カテゴリー「アマチュア無線」の記事

「スパイ大作戦」のコリンズ

 もうアマチュア無線には0.1パーセントしか興味がなくなったけれど、BSの「スパイ大作戦」を観ていたら、画面にコリンズの無線機が出ていたので、ここでメモしときたい。
 無線はしなくとも、この真空管式のアナログ無線機を眺めるのは今だ好きなのです。
 
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 それは第二シーズン・エピソード「雲上のマイクロフィルム」、原題「The Astrologer」でのこと。
 
某国の旅客機、DC-7?に搭載されている、大統領直通無線機という扱いだった。
 
 画面の無線機で上段のKWM-2はトランシーバーなので、これ一台あれば通信に事は足りるのだが、下段に75S-1の受信機が設置してあるのは、電話機に繋いで同時通話にするためかもしれない。
 ただし、バーニーがワニ口クリップで小細工したコリンズは↑の2台とは違うもので、機械は何なのか不明だが、その電話機と中継するフォーンパッチの機械なのかもしれない。コレクターの方、教えてください。
 
追記: 再見したところ、やっぱりバーニーはKWM-2本体を取り出して細工していた。その上蓋を開けた中身は出力トランスがいくつも並んだものでKWM-2とは違うものだった。
 
  さて、このコリンズの無線機、よく見ると、マークが外されているうえに、チューニングダイヤルがオリジナルと違うものに交換されている。コリンズ社に使用許諾が得られなかった為の苦肉の策とみられる。
追記: 映画やテレビドラマに映る製品のメーカーロゴは、タイアップ以外は大体消されているのが普通ですが。
 
 ずーっと以前、交信相手の局長さんから、「スパイ大作戦」にはコリンズの無線機がよく登場すると聞いていたので、今回納得いたしました。さて、この次にはどのエピソードで見られるか楽しみ。
追記: 第三シーズン「The Intrrogator」でもコリンズ登場。
 
 私のコリンズです。日本で組み立てられたもの。
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FTDX-9000、10周年

 この八重洲無線のトランシーバーを手に入れてちょうど10年となった。
最近はアマチュア無線に0.1パーセントくらいしか関心が無くなって、もう3年も電波は発射していないが、時々、受信だけはやっています。
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 このFTDX-9000はコンテスト・タイプで、オプションにミュー同調とコンピューターユニットを追加したので、ほぼ9000Dタイプと同じ性能になっている。そのせいで、全購入費用は400ccのバイクが買えるほど。今考えると、なんか無駄なことしちゃったなと思う。結局、あんまり活躍させず、対費用効果が薄くなってしまった。
 
 14年前に1アマの免許を取得し、その自分へのご褒美としてコリンズのKWM-2Aを手に入れ、少したってから思い切ってこいつまで購入。しかし、いざ設置してみると、無線への情熱、アクティビティがグッと下がってしまった。こういう例は他でもあって、1アマ合格と、DXCCを上がった人に見られる現象ですな。「もういいや」って感情です。
 
 最近はCQ誌も本屋で立ち読みすらしなくなったけれど、この無線機をヤエスはまだ販売しているのか気になって、ホームページを覗いてみると、まだ売ってるではありませんか(コンテスト・タイプは生産終了)。こんな利益の出ない分野で努力していてメーカーには頭が下がります。
 
 FTDX-9000の素晴らしいところは、なんといってもダイヤル。大きなダイキャストメインダイヤルの回しごこちが廉価な無線機とは大違い。昔の東宝・戦争映画に出てくるゼロ戦のプロペラスピナーみたいにブヨブヨといびつに回らず、重厚感タップリに正確無比に回転します。それと、六角ネジで各所締められている操作パネルの剛性ガッチリ感。大褒めすると、無線機のメルセデス・ベンツという感じです。
 
 欠点はデジタルノッチとノイズフランカがタコで、音が歪むこと。いや、これはサブ機で使っているのFT-847のほうが、よっぽど性能がよろしい。しかし、現在はバージョンアップされて改良されているでしょう。
 
 アマチュア無線の将来を俺的にみると、20年後には静かーーになると予想しているけれど、ちょっとだけ、7メガの自作機AM交信には一筋の光を感じます。いまだに昭和30年代のハムに憧れている。
 

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トランシーバーが欲しかったんだよ

 亡くなった俳優、小沢昭一さんの唄に「ハーモニカが欲しかったんだよ」というのがある。
彼のような昭和ヒトケタの世代にとっては、ハーモニカもなかなか手に入れられない高価なものだったというのがうかがえる。
 
 さて、昭和フタケタの私の時代はというと、男の子の欲しかったものはトランシーバーである。トランシーバーといっても、無線通信に使うマイクの後ろにあるミカン箱のようなやつではなく、携帯して手に持って使用する、ウォーキー・トーキーと呼ばれるもので、半導体のトランジスタが大量生産されはじめた昭和30年代から出回り、これはまず警察や消防などで実用品として使われ始めた。(ビートルズ来日の記録映像にはファンの整理で警官が使ってるのが見えますな)
 
 ただし、それはCB無線という、当時ではほぼ業務用のもので、小学生が気軽に扱うものではなかったが、子供たちはあのピカピカ光るロッドアンテナを長く伸ばしたカッコイイ小さな箱に、絶大なる憧れを抱いていたのである。少なくとも私は。
 そんな少年たちの夢をかなえさせてくれたのが、玩具トランシーバーで、オモチャ屋のショーウィンドーの一番上段に、「電子ブロック」と並んで昔の八百屋のメロンのように偉そうに鎮座されていた。
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↑箱に3トランジスタと記してある。これが最低基準のセットで、通話距離は50メートルが限界。006P.9V電池の存在も友達のトランシーバーで知った。
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↑自分が欲しかったのは学研のラジホーンではなく、・・・・(ラジホーンの本体プラスティック成型一体型のデザインが、なにかチープに見えて嫌だった)・・・・、映像で一番下段に並んでいるやつで、特にスピーカー部分が四角いアルミメッシュになっているタイプが欲しかった。スピーカーが丸いデザインの物も嫌いであった。恐らく輸出用のこのタイプだと、5トランジスター(5石)式くらいで、街中だと100メートルくらいまで通話距離が伸びた。
 
 さて、当時の少年たちは悩んだ。コイツの値段が安いもの(↑の3石式)で3,000円したからである。サンダーバードの一番高価なプラモデルの秘密基地セットよりずっと高かった。
 昭和40年当時の公務員のお父さんの月給は5.6万円位なので、今の物価では3.4万円するシロモノ。だから親にせがんでもなかなか買ってもらえるものではなかった。いや、アレを買ってと気軽に口に出すのも恐れ多い存在であった。
 
 つまり、トランシーバーというのは、今の大のオトナならフェラーリのような雲の上のものであったが、コイツを、なぜか、たいがいクラスの一人は持っていて、休日の運動場や遠足などでは周りに見せびらかしていたものだった。
 
 毎日もらっていたお小遣いは1日10円で、これで名糖ホームランバーなら一個、不二家ポップキャンデーやカクダイのクッピーラムネなら二個買えたが、これら買い食いを我慢して貯金してもトランシーバーを手に入れるには一年ほどかかってしまう。自分にはそんなこらえ性はなかった。
 
 それではお年玉はというと、親からもらうのは、せいぜい300円くらいで、私の家庭では両親の親戚筋からもあてにならなかった。冬休みが終わった学校で友達からお年玉が全部で3,000円になったと聞かされたときは驚愕し、自分の不幸な境遇を憂いたものだった。     
 あのころ「ビーバーちゃん」というアメリカのテレビ番組で、主人公のビーバー少年が親戚から10ドル(当時3600円)もらうシーンがあり、これにも驚いたものである。
 
 あれから50年、いまだにトランシーバーとお年玉3,000円に憧れ続け、夢にまで現れてくる。困ったものだ。
 
 
 
 
 

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アマ無線の何が面白くないのか

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↑これが

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↑こんなことになるからです。

 記憶が定かでないけれど、このアンテナタワーは1990年ごろ揚げたはずで、かれこれ四半世紀風雪雨に耐えてきた。それが先月の寒冷前線通過の大風でドスンと倒れてしまった。何年ぶりかの大雪で土台のブロックから一本の足が外れ、フラフラしていたところでした。人足が2人そろったところで直そうと計画していた矢先、その前に想定外の風が吹いてしまった。これは全くの不覚。

 幸い、倒れた方向に松の木があり、枝にのしかかった状態で止まり、民家への落下を防いでくれた。去年、松の木を撤去する予定でそのまま期日を延ばしていたのが僥倖でした。

 このように、アマ無線家とは、一旦アンテナを揚げると、風が吹いても、台風のニュースを聴いても、雪が降っても、カミナリがゴロゴロいいだしても、ビクビクするしかない生き物なのです。

 そこまでして何が面白いのかねー。

 いや、ま、少しは面白かったけど。

 落ちたタワーとアンテナをバラしてもこれくらいの量です。たいしたものではありません。アルミ製なので思ったよりも軽く、人間ひとりで全部持上げられる。一番重いのは中央の鉄管マストで30キロくらいあります。

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追記: このルーフタワーのアンテナ歴

・1990年: 430MHz、31エレx2(コメット、マッハ7)、3段GP(コメット)

・2005年: 14、18、21、24、28MHz・2エレHB9CV(ミニマルチ)、50MHz・7エレ(クリエイト)、

マスト頂上のダミー梟はスケアクロウ代わり。

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無線機メーカーへのお願い

 冷却ファンの音がゴーゴーと五月蠅いの。

 静かな無線機を造ってください。

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 最近のパソコンの冷却ファン音って、ものすごく静かになってきているけど、どうしてアマチュア無線のデスクトップの機械って、あいかわらずファンの音がゴーゴー・ザワザワとウルサイのでしょうか。

 無線機の性能はデジタル処理によって混信除去、対抑圧信号除去、SN比など格段に優れてきていますが、無線室環境での機械音対ノイズ比は全然改善されていません。

 Hi-Fi・SSBでいくらスピーカーからの音質がよくなっても、耳で聴く段階でファン音による雑音でSN比が悪くなってはどうしようもありませんがな。そこんところをメーカーさんは気が付いてください。無線機もスピーカーで音を再現するオーディオ製品という概念で考えれば、あんな音を発生することなどありえないのです。

 そこで、出来れば、MPUやメモリーなどの素子だけはパソコンのような静かなファンで冷却し、ファイナル段の発生熱は液体冷却を利用して無線機の筐体の外に循環させ、分離された大型放熱板による自然空冷で行ってもらいたい。こうすれば、どれだけ静かに快適な無線室になることだろうか。

 これはコストがかかり、無線機の値段も上げざをえないが、静かな環境で受信音を楽しむということには代えがたい。ヘッドフォンを使えばいいと仰る方もいるだろうけど、これを耳に着けるのを嫌う人もいるのです。

 八重洲無線さん、アイコムさん、JVCケンウッドさん。お願いしますな。

 ところで、アマチュア無線局って、一昔前より随分と少なくなりましたな。特に、ここ数年でぐっと減ったように感じる。この趣味も中高年ライダーのように、リターン組が増えてきましたが、一方、若年の方の声があまり聴かれなくなってしまった。

 私が思うに、20年後にはこの世界も昭和30年ごろのアマチュア無線黎明期の雰囲気になってしまうでしょうな。

↓一番賑やかだった7メガ帯も最近は結構スキ間がある。

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アマ無線の何が面白いのか

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 アマチュア無線家でもあったタモリが、「笑っていいとも」のゲストにアマチュア無線の解説をしたことがある。アマ無線の存在そのものを知らなかったゲスト曰く、「なにそれ、どういうこと?。携帯やネットがあるじゃん。何が面白いの?」・・・

 ま、これが現在のワケーやつらのアマ無線に対する認識であろう。 が、実は自分もアマ無線の何処が面白いのか、いつも自問自答しながら、もう数十年もこの趣味を続けてきた。

 で、自問に対する最終的な自分の答えというのが、・・・「太陽活動や気象に伴う、不安定かつ、突発的に発生する電離層や大気の逆転層の反射、あるいは山岳反射による不確定な電波信号を利用して、世界や国内の不特定な個人と偶然、コンタクトできる楽しみ」ということになる。

 電話やネットというのは、確実に間違いなくコンタクトが出来る。これは趣味というより実務的である。しかし、アマ無線は不確定で偶然性があり、ここが面白いのだ。

 ということで、私のアマ無線のやり方というのは、ひたすら無線機の受信ダイヤルを廻して、偶然聴こえた無線局と交信するという方法である。自分からCQCQと発信することは、めったにやらない。

 一期一会・・・(ボキャブラリーの乏しい私のような人間が良く使う四字熟語)の偶然の出会いでなければならないから、ネットで、何時何時・何処何処で電波を発射すると公開された無線局との交信には興味がない。だから、そういう情報をわざわざネットから得てまで、交信することをしない。

 また、多数の無線局から蜂の巣をつついたように呼び出しを受けている無線局への呼び出しに自分も参加しない。行列に並んで待つのが大嫌いである。

 すべての国やエリアの人と交信すると、申請によって賞状が得られるが、これも私の趣味ではない。たまたま送られてきた無線交信証を数えたら、賞状をもらえる状態になっていた。・・・これだけで良い。

 これは自分の趣味の問題なので、誰かから、「それではアマ無線の面白さを100パーセント享受していないな」と説教されても「どうぞ、おかまいなく」と答えるしかない。

 無線室の写真の壁に5B4KHという、めったに聴こえない地中海のキプロス島無線局から届いたカードを貼っている。この局と偶然交信できたときは嬉しかった。それも蜂の巣状態・・・(無線用語でパイルアップという)・・・ではなかった。こういう交信が一番楽しい。

 ちなみにキプロスは英語で「サァイプラス」と発音する。無線をやっていると、耳から英語を覚えられるというメリットもある。

 

 

 

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ガキの頃欲しかったものゲット、9R-59D

 自分へのお年玉として、小学4・5・6年生のころに欲しかったものを手に入れた。

それは・・・

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 トリオ(現ケンウッド)、9R-59D。

  ・・・ 受信機。ぶっちゃけた話、真空管ラジオです。

 自分は、ほんのチョットだけラジオ少年でした。この「ラジオ少年」という呼び方は、現在は、もう死語になっていると思う。 

 若い人にとってはイミフの言葉だろうが、ラジオの放送ばかり聴いていた少年ということではなく、下手なハンダ付けで配線図などを頼りに電子部品をくっつけ、何が楽しいのか、そうやって怪しげな簡単な電子回路を作って一人楽しんでいる、極めてヲタ的少年のことを言うのです。

 その電子部品を買うにも、当時のオ小遣い5~600円、落し玉で2000円くらいの予算ではトランジスタを一か二つ使ったくらいのオモチャしか作れなかったものです。

 そのオモチャを組み立てるための配線図・回路図は、当時、「ラジオの製作」や「初歩のラジオ」という、今はもう廃刊になってしまった雑誌の記事によったのですが、その雑誌の広告の一番目立つページに載っていたのが、この9R-59Dという型番の受信機だったのです。

 1968年当時、こいつの価格は組み立てキットで19800円でした。

 当時の親爺の給料は恐らく7~8万円くらいのものではなかったか。息子の趣味にまったく理解を示さなかった親爺に、買ってくれと請うのは絶望的でした。

 これでも当時、ハム(この言葉を分かる人も少なくなってしまった)の交信を受信できる受信機としては廉価版のものだったのです。

 そのハムをやりたいと願っていたラジオ少年にとっては、この9R-59Dとは、アマチュア無線・電話級のライセンスを取得し、開局するまでの道のりで、必要最低限のものだったのです。

 ラジオ少年は、毎晩、寝床の布団にうつぶせになって、ラジオ雑誌の広告欄を見ながら、このムセンキが自分の学習机の上に載っかっていればなー、と夢見て嘆息していたのでありました。

 その、もう40年も前に憧れた物体が、今、机の上にある。

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 ようやく少年の夢が叶いました。

 海外の放送や、無線交信がガンガン聴こえます。感無量です。

 なつかしいなー。当時のラジオ雑誌も引っ張り出して感慨にふけっています。

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・右隣の機械は友人から譲り受けた、同じくトリオ製のアマチュア無線用・通信型受信機。

9R-59Dは存在感があって堂々としているなー。

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