カテゴリー「ゴリラ・ツーリングメモ」の記事

ゴリラ紅葉の道を行く

ゴリラ・ツーリングメモ

 2012年10月27日、半年前オイル交換し、チェーンのメンテナンスをしたままホッタラカシにしていたホンダ・ゴリラを引っ張り出し、半日ツーリングした。

 目的地は高山市荘川町の御母衣ダム湖。車なら国道158号線を走って1時間、高速を使えば40分で到着するところであるが、さて、今年32歳のゴリラではどうなるか。

 午後1時、エンジン点火、キック一発で始動。アイドリングも安定している。タンクに三分の一ほど残っていたガソリンも1年前のもの。ここがスーパーカブ系エンジンのすごいところ。ただし、カタログ出力の2.6馬力、トルク0.3kg/mはとうてい発揮できない。購入した当時より明らかにパワーは落ちていて、感じるところ、1.8馬力、0.2キロくらいになっているかもしれない。

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↑高山市赤保木町、こういうところを走るのがゴリラの真骨頂。

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↑高山市清見町キャトルパーク、サイド。ここを走ると「大脱走」マックイーンのジャンプを思い出す。言っときますが映画では本人ではなくスタントマンがやっていますからね。

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↑国道158号線に入る、上を走るは中部縦貫道・無料区間。125cc以上でなければ走れません。小鳥峠に向かって長い上り坂を進む。ゴリラはこれくらいの傾斜からトップギアの4速から3速に落とし、かろうじて30キロをキープできる。エンジン回転数は6000くらいに感じる。最大トルクを発生するあたり。

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↑小鳥峠までの道のり、標高800メートルあたりで紅葉が見ごろになってきた。ゴリラは速度がトロイので、途中停車して景色探訪、走っていてもオモシロ物体発見ができる。遅いなりの楽しみがある。・・・早い話、ワキ見運転がしやすい。

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↑「ひとつ山越しゃHONDAらっだホイホイ」。←ホンダさん。このコピーCMに使うんだったら著作料払ってね。

 20分かけて小鳥峠頂上に到着。車・CBなら10分とかからないですが。木に隠れて見えないが、温度計は14度を指している。対策をしているので寒くない。清見町夏厩でガス5.5リットル給油、9リットルの満タンになる。ゴリラはこれで500キロ走れマッセ。

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↑紅葉はこんなようなものでした。いたるとこに撮影者の停車あり。

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「もうひとつ山越しゃHONDAらっだホイホイ」。松の木峠頂上。

土曜日だけあってオートバイがスイスイ通り抜ける。相変わらずCB1300が多いなー。

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↑松の木峠を下った六厩の公園前で、いつも国道から右へ別れ新軽岡峠道に入る。それは、国道でこの先現れる軽岡トンネルが小型バイクにはオッカナイから。狭く暗いトンネルで後ろから80キロ以上で迫ってくる車は恐怖でっせ。最近は取締をめったにやらないのでみんな高速なみに飛ばしている。

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↑トンネルができる前はこれが国道でした。これでトラックやバスもバンバン走っていた。雪道では私もカウターステアでドリフト走行していました。

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「三つ山越しゃHONDAらっだホイホイ」。新軽岡峠頂上。

これですべての峠を制覇した。「♪HONDAらホダラダ・ホーイホイ」

旧軽岡峠というのも全くアサッテの方向にあり、過去同じくゴリラで探検したが廃道になっていて走行は無理でした。

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↑「むろや」という蕎麦屋のそばにある峡谷。ここも撮影ポイント。

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↑午後3時、御母衣ダム湖に到着。2時間も掛かってしまった。本来ここは水で沈んでいる所。今年もちょっと渇水状態。

 ↑の鉄橋を渡る度に、いつかあの地に降りたいと思っていたのでようやく願いが叶った。降りていく道はかなりのダートで普通車にはキビシイ。もちろんゴリラには無問題。

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↑索漠とした大地。この寂しさがたまらん。

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↑田んぼの跡。ここにあった集落が湖水で沈んだのは昭和36年ごろ。

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↑生活の跡。このお碗を使っていた人は今どうしているだろうか。

 現場からは20分で立ち去り、今来た道を逆に進める。明るいうちに帰宅したい。というのもゴリラのヘッドライトは行燈並みの暗さなので。

 帰宅は午後4時30分。全走行距離110キロ。久しぶりに乗って楽しかった。走り終わって疲れていないのにも驚いた。スピードが遅いためメットの風切音が小さく、それが疲労軽減につながっている。スピードとは何かも考えさせられる。時速30キロでもけっこう速く感じられ、CB1100で60キロの感覚に近い。ずーっと路側帯の白線の上をマイペースで走っていれば、車もバイクも迷わず勝手にスイスイと追い抜いてくれるし、こちらもバックミラーに現れたモノでアドレナリンを分泌させることもなく、極めてラクチンである。50ccには50ccの世界があると改めて感じ入った。

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ゴリラ、2万キロ突破

ゴリラ・ツーリングメモ、NO,6

2009年、9月2日(水)

Dscf0031_medium 1980年5月に、東京・上野のバイク屋街で65000円で購入した中古のゴリラ君は、走行距離20000キロを突破した。購入した時のメーターは2000キロだった(たぶんバイク屋で距離を少なくゴマカシてある)ので、私の走行は18000キロである。29年間、途中、甥に譲ろうかと考えたこともあるが、事故を起こしてケガでもされたら後悔するので、結局譲らず持ち続けた。

購入した時分は東京大田区で通学、チョイ乗りに使ったが、その年の夏休みでは、ゴリラで我が実家の土肥中まで帰郷した。 たしか国道19号線・20号線あたりを利用し、大月、甲府、松本、野麦峠、朝日村、高山市へと爆走した。走行距離は350キロ近くあったと思う。

実家に着いたときの燃料タンクには、まだガソリンがタプタプと残っていて、燃料代は500円くらいのものだった。当時、JRを利用すると1万円ほどかかったものである。

このときは東京を朝6時に出発、実家に着いた時間は夜の7時であり、休憩時間を抜けば12時間走り続けたことになる。若かったから出来たことだが、走るのが楽しくて停止するのがイヤだったということもある。

現在もこういう冒険をやってみたい気持ちはあるが、体力が追いつかない。恐らく24時間マラソンのイモトみたいな状況になるだろう。それに今は車がオッカナクて、原付で国道などとても走れない。若い頃は怖いもの知らずだった。

夏休みが終わり、東京に戻るのにもゴリラを使った。結局、卒業して土肥中に戻るのにも使ったので、東京-高山を1往復半したことになる。これは、私の半生で唯一の自慢話、あるいは馬鹿げた話として紹介できることである。

その後、土肥中でも、雨風・風雪のなか通勤に使ったり、休みはツーリングに出かけた。標高2800メートルの乗鞍岳・畳平にも行った。このときはエンジンのガスケットから煙が出てきたものだが、なんとか登りきった。

結局、29年間で、飛騨の峠道はほとんど制覇してしまった。当初はオイルの量をこまめに点検せず、エンジンを焼きつかせたこともある。どうなるかというと、いきなりエンジンから「カン・カン・カン」という甲高い音が発生し、急速にパワーダウンする。

しかし、それで絶命、まったく走らなくなると思うとそうではなく、なんとかトコトコと走れるのがホンダのエンジンのすごいところであり、同じエンジンを使うスーパーカブが、販売台数、数千万というのは、世界で絶大な信頼性を得ているゆえんである。

さて、本日はいつもの散歩コースを走る。先日、エイプ100でも試走した道であるが、私の大好きな道。高山市・丹生川から国府町、飛騨市・古川への山坂道、田園農道。全長38キロのコース。

ゴリラにはゴリラの世界があり、時速20キロから40キロでの走行は、大型バイクの高速走行とは違った楽しさがある。モンゴリ(モンキー・ゴリラ)が世界のライダーに愛されているのは訳がある。

そういえば、ゴリラ君の写真を撮ったことがなかった。調子に乗ってブログに掲載。

Dscf0032_medium 高山市・丹生川町、ひだエアパーク公園にて。全長800メートルの滑走路は、ボンバルディア機なら、何とか緊急着陸できるだろう。

Dscf0036_medium国府町の田園道。こういう道をゴリラで走る気持ちよさは、大型バイクでは分からない。

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十二ヶ岳、バチ当たり登山

ゴリラ・ツーリングメモ、NO,5

2009年7月15日(木)

高山市丹生川町に、地元ではハイキング登山で有名な、十二ヶ岳という、標高1300メートルクラスの霊峰?(大概、目立つ山の頂上には神社があるものだ)がある。

この山を登るには、以前は丹生川町・瓜田から、トヤ峠を迂回する、完璧に舗装された2車線の大規模林道途中から右に折れ、旗鉾まで通じる八本原林道に入り、さらにまた、獣道を徒歩で登山しなければならなかった。

・・・・ 十二ヶ岳、案内サイト ・・・・

http://panoramahida.iza-yoi.net/juni.html

しかし、最近、もっと先を行った大規模林道から分岐し、十二ヶ岳頂上まで通じる林道が新たに開設された。この道は厳しいダートだが、四駆の車なら何とか登っていけそうな林道である。

先日、大規模林道をチンタラ走っていたら、偶然、この林道への案内看板を発見したので、ゴリラでチャレンジしてみた。 実は、かねてから、この山をバイクで踏破したいと願っていたのである。

Dscf0071_medium Dscf0070_medium -- 右の林道が入り口 --

林道ダートに入って数百メートルは、昇り道であってもそれほどハードではない。ゴリラはセコギアで、時速15キロ走行。 しかし、しばらく行くと、三叉路があり、右の道が本道であると判断して進むと、いきなり上昇率が高くなってきた。セコギアでは昇りきれない坂もある。止む終えず、ローギアに入れ、時速10キロで、なんとか昇っていく。こんな急坂でも車のタイヤ痕があるが、こぶし大の岩石がゴロゴロしていて、四駆車でなければ絶対無理な坂である。

途中、徒歩の登山者が降りてきたが、私とゴリラをあきれた顔で見て行く。その時は、坂の角度が最も急な箇所を、とうとうバイクを降りてエンジンを動かしつつ、ゴリラと共に歩いて昇っていたからである。

多少緩やかな昇りで、再びゴリラにまたがり、2キロくらい走ると、林道は密林に囲まれ、暗くジメジメした、ぬかるみに近い所を進む。相変わらず上昇率はキツイが、ここまで来て引き下がれない。

昼間なのに、薄暗く、物の怪がいそうな気配。藪から子泣き爺が「ウリャー!!!」、あるいは「オギャー!!!」と襲い掛かり、背中にかぶさり、バイクから引き倒されるのではないかという恐怖に駆られる。

実はこの十二ヶ岳には、妖怪百鬼がいるという伝説がある。

ギアをローに入れ、トライアル走行のようにステップに立ち上がって、後輪がグリップするように重心を後ろに下げつつ、エンジンの回転を最大パワーになるようにアクセルを上げたところ、いきなりギアが抜けてニュートラルに落ちてしまった。

変だ、今までこういう現象は無かった。ゴリラはサードギアから、セコギアにシフトダウンするときは、ニュートラルに落ちてしまうことが時々あり、また、セコギアで走っているときも、ニュートラルに落ちることがあったのだが、ローギアからこういうことになるのは初体験である。

何かミッションにトラブルでも起こったのであろうか。しかし、ゴリラを停止して再びローギアに入れると走り出した。多少、気がかりながらも凸凹だらけ、かつ、急坂をローギアで走ると、また、ニュートラルに落ちて、エンジンが「グオィーン」と空回りし、吼えた。

停止して、今度はギアを入れ直し、アクセルを吹かしても、ゴリラは手ごたえがない。動かない。

「嗚呼、壊れた。とうとう心配していたことが起こってしまった。こうなることがいつか起こるだろうと懸念していたが。」 ・・・ 。

このまま、押して帰ろうか。丹生川・瓜田までは下りなので、乗っかっていけるが、その先は、なんとか修理してもらえそうなガソリンスタンドまで数キロ押して行かねばならない。あるいは携帯でJAFを呼べばいいのだろうか。こんな所まで。・・・ いろいろな手段が頭をよぎる。

25パーセント、パニくった頭で、ゴリラを降りて車体の下を見ると、チェーンが外れているではないか。原因が分かった。普段から多少、緩んでいるなと感じていたが、あまりにもハードな昇りと振動により、外れたのだろう。あるいは道に落ちていた小枝がスプロケットに絡まって外れたのかもしれない。

チェーンが外れた場合は、自転車のチェーンをはめる要領と同様に、ギアに引っ掛け、車輪を少し動かせば、簡単に直る。その通りやったのだが、チェーンを引っ掛ける途中、右手の人差し指をチェーンとギアの間に挟んでしまった。軍手(イボのついたやつ)をしていたが、目から火が出るほどの激痛。

軍手を外すと、幸い、爪がつぶれるほどのダメージでもない。紫色にもなっていない。多少ホッとした。指に関しては、ピアノを30年近く弾いてきて、練習がしばらくご無沙汰ではあっても、怪我だけには注意してきたが、この様子なら医者にかからなくても自然治癒するだろう。下手くそでも弾いていきたい。神に感謝。

ふと、目の前の林道を見ると、10メートルほど先に木製の粗末な鳥居があった。つまり、ほぼ頂上に来ていたのだ。見上げると、林道はその部分で終わり、キツイ階段の歩道が上に向って伸びていた。

ジンジンと痛い人差し指を唾で濡らし、気化熱を利用して冷やしつつ、階段を100メートルほど汗だくで昇ると展望台のある十二ヶ岳頂上に着いた。

望遠鏡も設置してある立派な展望台からは大パノラマが展開。ただし、あいにくの曇り日だったので、北アルプスは見えず、ガッカリ。望遠鏡にもカバーがしてあり使えない。

展望台の横には屋根付きの祠がある。中は相変わらずの記念のイタズラ書きがある。100円の賽銭を入れ拝む。「ここに来れたのも、指の怪我がたいしたこと無かったのも、ゴリラの故障が直ったのも神様のおかげです」。

ゴリラに戻り、帰ろうと軍手をはめると、今度は右手親指付け根当たりに針で刺したような激痛が起こる。慌てて軍手を脱ぎ捨てると、黒い、蟻ほどの虫が落ちた。蜂の仲間の小さな虫が、脱いで置いていた軍手の中に隠れていたのだ。

神さまは、やっぱり、ゴリラで騒がしいエンジン音をたて、ズカズカと神聖な領域に昇って来た私に、まだ怒っているようである。しかし、この痛みは、腫れることもなく、1時間ほどで無くなった。これは100円の賽銭の効果かもしれない。

ゴリラのエンジンをスタートさせ、ギアをつなぐと普段どおり走り出した。今度は下りなので、シートに乗ったまま、ソロリ・ソロリと降りていく。またチェーンが外れないように。

2キロほど林道を下り、本道の大規模林道に下りて、瓜田までご機嫌のコーナリング。右手の人差し指と親指の痛みをともないつつ、自宅まで無事帰還できた。

・・・・ 十二ヶ岳展望、ユーチューブ映像 ・・・・

http://www.youtube.com/watch?v=Lt0dOE9NMBQ

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楢峠から飛騨市・宮川町「うつぼ」へ、その2

ゴリラ・ツーリングメモ、NO,4

2009年7月12日(日)

飛騨市河合町・角川の国道360号線から国道471号線への入り口には、大きな標識があるのだが、なぜか以前、表示されていた富山・八尾町への案内が消されている。つまり通行止めが多いので、この道を頼りにしては困るという意志表示である。これが「開かずの国道」と言われている理由の一つでもある。

ここから楢峠まで約7キロくらいあるだろうか。ゴリラで道の左に清水(すくって飲めるほどのきれいな水)の流れる川を横目で見ながら、車一台通れるほどの道を昇っていく。道路は簡易舗装で、ダートではない。 はじめはゴリラのサードギアで時速30キロ走行で順調に走っていたが、しだいに道は上昇率が高くなり、とうとうセコギアの20キロ走行となる。

この時のエンジンの回転数は、タコメーターが無いので断定できないが、エンジン音からの推測では毎分6000回転くらいだと思う。このスーパーカブ系のエンジンは、恐らくレッドゾーンは8000回転くらいではないだろうか。エンジンはツインカムではないが、ピストンが小さいので、よく廻るエンジンである。 因みにホンダ・CB50のエンジンも、ツインカムではないが、1万回転まで楽々廻せたはずである。

閑話休題。 それにしてもしつこい峠道で、行けども行けどもヘアピンカーブが続く。河合町から天生峠、白川郷へ続く峠道より、タイトなカーブが続く。 途中、すれ違った車は3台、まあ、交通量はこんなもんだろう。こちらは原付バイクなので、譲り合いなどの面倒はない。

しだいに気温が下がってきて、肌寒く感じる。恐らく気温は20度くらい。下の角川では24度あった。沢の流れも気温を下げる原因だろう。バイクに乗るときは、夏でも長袖を着るのが原則で、私も普段から羽織っているが、もう一枚、ウインドブレーカーが欲しい。

ここ数日、大雨が降ったので、道の所々、濡れている。小さな流れもある。 が、20キロのトロトロ走行ではノープロブレム。ゴリラのブロックタイヤはガッチリとグリップして頼もしい走り。 ただ、時々、キツイ昇りではローギアにまで落とすことがあり、この速度では、エンジンのオーバーヒートが心配。宮崎アニメ、「紅の豚」の1シーンを思い出す。「がんばってくれよエンジンちゃん。」。

私が経験したもののうちでも、5本の指に入るほどのシツコイ、タイトコーナーが続く昇りをようやく制覇し、峠にだどりつく、20分ほどかかっただろうか。峠には約束どおり祠がある。めんどうなので賽銭もあげず、素通りする。

峠から100メートルほどで、471号線・472号線の標識があり、ついでに、三叉路に別れる。右方面は富山・八尾町、左は「水無ダム」(水はちゃんとあります)を経由して富山・利賀村へ行く。ただし、そちらは予想通り通行止めの標識あり。まあ、恐らくバイクなら通行できるであろうが、この次ぎの楽しみにとっておく。実はこの先の牛首峠を走破する計画があるのだ。

今回は二谷から万波高原が目的なので、右の林道(国道・酷道?)を下る。

道は下りなので、もうオーバーヒートの心配はない。トップギアかサードギアのエンジンブレーキを併用しながらコーナーリングを楽しむ。峠から1キロくらいのタイトコーナーは簡易舗装であるが、後に完璧な舗装路となる。ただし1車線の幅。これが実にバイクには気持のいい道。時速40キロから50キロで、安定して走れた。かつて無いほどのご機嫌な下りの道。来てよかった。自転車でも最高の気分ではないだろうか。思うに、八尾町までペダルをこがずに進めるかもしれない。

峠から下って3キロばかり進んだろうか。やがて再び三叉路に出くわす。標識では右は上・万波林道とある。この林道が、目標、万波高原に通じる道。とうとう近くまで来た。ダート走行で時速20キロ。少しずつ昇っていくが、ダート走行には心細い感情と、若干の恐怖心が湧いてくる。

つまり、こんな携帯も圏外の山奥で、バイクが故障したらどうしよう。という現実的・不安感と、先日も遭遇した熊チャンにバッタリ会ったらという、恐怖。 あるいは、林道の林から、いきなり烏天狗 ・・・(日本の烏天狗をモデルにしたという映画「プレデター」の宇宙人のような。)・・・が「ウリャー!!!」と飛び出てきて襲うのではないかという妄想が頭をよぎる。

こんな小心者の心理状態も束の間、10分ほどで、あっけなく、高原らしき頂上の林道・三叉路に到着。ここにはチェーンで通行止めのゲートがあるが、こんなものはゴリラには通用せぬ。楽々とくぐって右の開けた土地の林道を進む。すると所々、舗装されている。シメタ。万波高原の道に間違いない。とうとう目標に到達。10年前、車で走破できなかった道を逆コースでリベンジした。

左に、これまたすくって飲めそうな清水の流れる万波川を見ながら走ると、完璧な舗装路となり、牛舎が現れる。しっかりした建造の橋を渡ると道の右側に広い牧場があり、綺麗な牛、10頭くらいが草をはんでいた。

もう、この高冷地野菜畑と牧場がある万波高原・・・標高1000メートルくらいであろうか ・・・から、宮川町までは経験済みのコース。完璧に舗装された、新万波峠を経由して、約10キロの下りは、またバイクのコーナーリングを楽しめるコースでもある。以前、車で逆に走ったときは、行けども行けども、舗装路が昇っていくので、どこまで続くのかとあきれてしまった道でもある。

完璧に舗装された、つづら折の道を下り、15分で飛騨市・宮川町「うつぼ」に到着。ここにはJR高山線の無人駅がある。

JAの店があるのだが、本日は休業。別の店に自動販売機はあるのだが、飲み終わったカンを入れる回収ボックスが置かれていない。水分補給は諦める。いつも思うのだが、自販機の横にはカンの回収ボックスを置ケッチューノ。売りっぱなしは無責任である。

以上で、今回の目的達成。自宅を午後1時に出発、「うつぼ」には3時半に着いた。250ccのオフロードバイクならば、2時間もかからないだろう。しかし、排気量五分の一、50ccの原付ゴリラで走破したという達成感は5倍以上あるかもしれない。

追記: 写真も地図も載っていないツーリングレポートとは、我ながらつまらないものと思う。そろそろデジカメを使い、人並みにブログに写真を取り込みたい。

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楢峠から飛騨市・宮川町「うつぼ」へ、その1

ゴリラ・ツーリングメモ、NO,3

2009年7月12日(日)

検索してみると、飛騨市河合町から富山、「風の盆」で有名な八尾町に通じる国道471号線は「酷道」という呼び方でマニアに有名らしい。ひどい道という比喩であろう。

私は以前、20年ほど前に、この国道を飛騨市河合町から入り、楢峠から左に分岐して、水無川方面林道へ進み、水無ダムを経由して、演劇で有名な利賀村にゴリラでツーリングした経験がある。たしかにこちらの林道は、大きな石ころが散乱し、道の一部が小川になっている箇所もあり、オフロードバイクか、スズキジムニーでなければ進めない道であった。この道は国道472号線というのかどうか記憶がアイマイだが、これぞ「酷道」と呼ぶべき道だった。

また、峠から右の本道471号線を、車で八尾町まてドライブしたこともあるが、この道は、ずっーと完璧に舗装された、下りの快適な道路だった記憶がある。こちらは「酷道」といえるほどでもなかったはずだ。

さて、今回は、その過去の記憶の追想・再確認のため、八尾町方向へのツーリング決行。ただし、楢峠から471号線をしばらく行ったところで右に折れ、二つ屋から林道に入り、万波高原へ向う計画。実はこの逆のルートを10年ほど前に車でチャレンジしたのだが、高原の林道からが、普通乗用車には走破不可能な荒れた道だったため、断念した経験がある。そのリベンジという意味もある

ということで、消化不良だった林道を、車より、いや、オフロードバイクよりフットワークの軽いゴリラで走破しようと思い立った。

まず、私の住んでいる、土肥中、日本一面積の大きい市から、飛騨市河合町までの道のりが第一関門である。国道41号線を利用すれば、車なら30分で道の471号線入り口に到着するのだが、原付ゴリラで国道を走るのは自殺行為に等しい。せいぜい時速45キロが限界のゴリラでは、車の流れに乗ることは不可能である。 後ろからダンプなど迫ってきようものなら生きた心地がしない。

これは車を運転する自分の立場からも、原付バイクという存在が、実にウザイものであるか十分理解していることにもよる。したがって、止む終えず国道を走るときは、できる限り路側帯内か、白線に沿って走るように心がけているが、そのラインが道路脇ギリギリのところは、ほんとうに死ぬほどコワイ。また車が自分を避けて、大きくセンターラインから反対車線にふくらんで追い越していくときは、本当にスマナイと思い、恐縮して、ますますハンドルを握る手が堅くなってしまうもので、実に窮屈だ。

従って第一級国道は避け、裏道を進む。裏道とは「飛騨りんご」などを栽培している高山市国府町から、古川町田園地帯の農道である。この動線は、ほんとうにノンビリしていて、原付バイク専用と言ってよい道である。といっても車も通るので油断は出来ず、常にバックミラーを確認して走る。バックミラーは原付バイクの命といってもいい。

飛騨市古川町から河合町を経由し、富山に抜ける便利な国道があるが、これも避けたいので、古川町・野口、「桃源郷温泉」から河合町・角川へ大廻りのルートを選んだ。この道は私のお気に入りの道で、プロのチームも合宿に使う立派なサッカーグランドを抜けていく2車線の道は、めったに車も通らず、また「湯峰」トンネルを出た後、角川への経路もずっと田舎道の下りなので、実に快適。

角川から国道360号線を上り、楢峠の入り口に到着。ここは7年ほど前、大水害が発生したところであり、林道に沿う谷の防災工事が完璧に成されている場所でもある。

長くなってしまったので、以後、「その2」に続き。

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トヤ峠・続き・こんなところに民家あり

稲川淳二の超こわい話スペシャル 2「渓谷の廃屋」
提供ビデオプランニング
提供:@niftyコンテンツ

ゴリラ・ツーリングメモ、NO,2

2009年6月27日(日)

前回、高山市丹生川町トヤ峠、下り方面・防災ダム建設現場林道にてクマさんに出会い、その後、ご機嫌な気持ちで再びトヤ峠方面にユーターン。

次は高山市内に帰らず、上宝町471号線方面林道を走る。このトヤ峠から下りにさしかかる標高1000メートル近い地域は、左に深い森林、右に深い絶壁を伴う渓谷があり、人をよせつけない自然の雰囲気であるが、その「蓑谷」という名前の地域の林道沿いには、民家が何件かあり、ここを初めて通行する人は、「こんなところに人が住んでいるのか」と驚くところである。私も、なぜここのご先祖たちは、この場所を住居として選んだのか聞いてみたいところである。

Dscf0067_medium 断崖絶壁下の滝

この場所から、なんとか生活物資が手に入る最短の町というと、高山市丹生川町・町方であるが、最近出来た便利な大規模林道を利用しても、そこまで急勾配の山坂道を、車で20分走るという場所である。

たぶん、住んでいるのはジイちゃんバアちゃんであろうが、冬季は除雪もままならない場所であり、その間、恐らく息子夫婦の家へ一時疎開するのではないかと勝手に想像する。

さて、その民家が5.6軒ちらばっている林道をトロトロ走っていると、三相の高圧線と電話線がさらに林道から外れて、右方面、地図では東の谷に向って下っていくのを発見する。実は事前にネットの地図で調べていたのだが、「鼠餅」という地名に向って林道があるのだ。地図ではその林道のデットエンドに「大原」という地名が載っていて、神社のマークがある。

Dscf0069_medium -- 大原への入り口

と、いうことは、これよりもっと深い密林の中に、なにか生活基盤があるはずだ。実に興味がそそる。いかずにおれりょか、ゴリラのハンドルを林道のダートへ向ける。

その林道は軽自動車がやっと通れる幅。ゴリラはセコギアで15キロ走行。また熊ちゃんが現れないか、イノシシがつっかかってこないか20パーセンのビクビク頭で走行する。この道が実にトリッキーで、きついカーブを下がったり上がったり。それがシツコイ。しかし、行けども行けども電線と電話線は道の端に立っている。

すると、なんと軽トラックが向こうからやって来た。乗っているのは軽装のジイちゃん。ヘルメットをかぶった林業のオジサンではない。やはり何か先にある。

起点の蓑谷の林道から約5キロ、一軒の廃屋を発見する。やっぱりこんな山奥の奥に住んでいる人がいたのだ。結構古くない家、恐らく人が住まなくなって20年くらいのもの。

私は廃屋が好きで、たたずまいを観察しながら、この家の家族たちはどのようにして暮らしていたのかと想像するのが趣味である。 時にはボロボロの家屋に入っていって、畳の下あたりに張り付いている昭和40年ごろの新聞を発見し、記事の内容で時の経過を想い、シミジミとしてしまうものである。こういう廃屋は飛騨市、神岡鉱山跡の道路沿いに多い。

ただし、廃屋には恐怖心もある。過去、この家で死んだ自縛霊が私に取り憑き・・・なんてことは全く気にしないたちで、それよりも、「八つ墓村」の犯人のような狂人、あるいはジェィソンのような怪人が中に潜んでいて、いきなり鉈やチェンソーをふりかざし「ウリャー!!!」と襲い掛かってくることを想像してしまう。そういう怖さがある。こんなことを考える私はやっぱりどこかオカシイのだろうか。映画の観過ぎだろうか。

高圧線と電話線はまだ先に延びている。ワクワクしながらゴリラを進める。道の間は杉木立がうっそうとせまり、少し暗い。多少ジメジメしている。

すると、開けた場所が現れ、なんと立派な家が道の20メートル右上に見えた。家自体は古いのだが、普通に町の郊外で見かける二階建て民家。窓はアルミサッシ。周りは畑。ワンちゃんがこちらを覗いている。高圧線と電話線はその家の少し行った先の廃屋で終わりとなっていた。この一軒だけが人の住んでいる家のようだ。さっきすれ違った軽トラのジイさんが住人なのかもしれない。

やはり、昔は何件かの住民が、隣同士、助け合いながら厳しい自然に打ち勝ち、生活していたのであろう土地があった。

その近辺で、もう腐り果てた鳥居を発見する。地図の神社のマークのものであろう。恐らくご神体は移された空き家の神社だと思う。

ほんとうに、ほんとうに奥の奥。なぜ、ここで住む必要があるのだろうか。別荘でもないようだ。それに電気のメーターを中電の係り員はいちいち計りに来るのだろうか。郵便物もここまで配達するのだろうか。 ラジオの中波は入りにくいだろう。テレビはBSが写るか。冬はどうするんだ。急病になったら・・・。

光でネットをしたいと申し込んだら、ここまで光ファィバーをもってくるのだろうか。興味がつきない。

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熊さんに出会う

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ゴリラ・ツーリングメモ、NO,1

2009年6月27日(日)

 高山市丹生川町、トヤ峠をホンダ・ゴリラで攻める。といっても、峠は防災ダム建設中にて通行止めであり、平日はダンプカーが行きかい、とても道路に入り込めるものではないが、本日は日曜日なので休業と見込んで、チェーンで塞いである峠の下のゲートをくぐって道に入る。つまり普段は一般車進入禁止の道。 ゴリラは身長も低いので、こんなことはいとも簡単。 背の高いオフロードバイクでは車体を倒さなければ通過できない。

 道は完全舗装してあり、快適。予想通りダンプや作業車は一台も通らない。登りはサードギアの時速28キロで走行。 最近、エンジンの点火プラグを交換したら、すこぶる調子よく、トルクが増した。交換前だったらセコギアで17キロ走行だったはず。15000キロを経過したら交換すべきと学習した。

 5分で峠の上に達し、あとは下りのつづら降り。道がいいので気持ちがいい。いっちょうまえにコーナーをバンクして走る。10分程度でダムに到着したが、水は無く、恐らく洪水のときだけに溜めるシカケのものである。建設中なので、ダム湖ぞいにりっぱな道が完備されている。

 その建設中の道路、橋の入り口の横に、川上に向って林道がある。地図で観ると、かなり山奥まで続いているが、こういう道は冒険心をくすぐるもので、迷うことなく突入する。 ダートとなるとゴリラのブロックタイヤは強いが、車輪のスプリングが荒れた道の凸凹を吸収するにはプアなので、時速はせいぜいセコギアで15キロ前後となる。 

 そして、ダートに入って5分だろうか、10メートルほど先、右手のブナの樹らしき梢でガサガサと何かが動いているのに気が付いた。明らかに動物がいる。サルや大型の鳥でもあんなに動かないだろう。人が樹の伐採をしているのだろうか。無断で進入したことを咎められるかもしれない。「スンマセン。ちょっと散歩させてください」とでも言って笑ってゴマカスか。

 ・・・・ 「 ん?」 毛深いものがうごめいている。しかも、こちらに気が付いたようで、大急ぎで樹から降りているところ。

 「 クマちゃんだ !!!」 。

ある日、森の中で熊さんに出会ってしまった。辺りに花は咲いていなかったが。

 こうなることがいつかあるだろうと覚悟はしていて、ダート走行は多少ビクビクしながら走っていたのだが、とうとう遭遇してしまった。

 心臓バコバコ。 即座にゴリラを反転。一目さに・・・(といっても時速30キロくらい。ダートではこれがせい1杯の速度)・・・元の舗装道まで戻る。その間、バックミラーで後ろを確認し、追いかけてこないことを祈る。 熊は時速40キロくらいで走ると聞いている。追いかけてきて、背中に噛み付き、バイクから引き倒され、肉をえぐられ、腕をもがれ・・・ なとど短い時間ながら悪いほうへ運命を想像してしまう。

 ようやく追いかけてこないことをバックミラーで確認し、血圧は上がったままだが、ホッとして、元のチェーンゲートに戻る。

 まあ、熊というのは子連れに、いきなりバッタリ合うのが最も危険で、それ以外はたいていは人間の気配や音で、向こうから先に遠慮して逃げてしまうものだ。そういう知識は持っていたのだが、初めて接近遭遇するとビビルものである。 あの熊ちゃんも私とゴリラに怖かったのだろう。去ってくれてありがとね。怖かったがなんとなくウレシサもある。私は動物が大好きなので。

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