カテゴリー「ピアノ」の記事

幻想即興曲を楽に?弾く法

 これは私のやり方であって、はたして他の方に通用するかどうかわからないのだけれど、中高年になられて指が固くなってしまった状態でピアノを始めた方、あるいは昔、チェルニー30番あたりでピアノを止めてしまって、今、何十年ぶりかでピアノを再開し、ショパンのこの名曲をぜひ弾きたい方にお勧めの、一つの方法を記させていただく。
 
 そのような方々がこの曲を弾き始めると、右手2指と3指をトリラーのように弾くところが何度も現れ、また、分散和音でも2.3の指を多用し、そのため人差し指と中指が結構疲労して、演奏表現が崩れることにお気づきになるでしょう。こう言っては失礼ですが、上記のような中高年のピアノ愛好家・カムバック組には、恐らくここはツライ部分だと思われます。
 
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 自分も一通り弾けるようになっても、冒頭のイントロ後の小節3拍めから以後続く、32,32という運指でリズムが乱れてしまう・・・ 少しアップテンポになってしまう ・・・傾向が続いた。
 もともと、自分の場合、黒鍵二つのトリラーは白鍵のより弾きにくいのです。
 
 しかも、人差し指と中指は分散和音で酷使された後、次の半音階大滑降の手前の盛り上がりでも32,32の運指が都合6回も繰り返され、ここでスタミナ尽き、ヘロヘロ状態となって、再びテンポが乱れたり、音を外してしまう。これは上記で指摘したとおりです。
 
 この原因は幼少のころからピアノを習わず、指が鍛錬されていないということが挙げられるでしょう。自分がピアノのを始めたのは18歳からで、指を育てるのが少し遅かった訳です。
 
 そこで、この疲れやすい指によるリズム崩れの解決方法として、自分はこのようにしたところ、安定して弾けるようになりました。
 
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42、42で弾く
 
 つまり、この曲に登場する2黒鍵部分のC#-D#F#-G# トリルもどきを、42,42の指使いで弾くのです。
 
 なぜこれで楽に安定したリズムで弾けるのか考えてみると、2.3という指の筋が隣通しの指ではなく、中指を一つ飛ばした二つの離れた筋を使うので、指だけの力だけでなく、手の捻りの力が加わるためだと思う。それで、鍵盤を強く確実に押し込められるのです。
 さらに、この奏法だと、一つ手前のE音・5指からD#音・4指へのつながりがスムーズで、ノン・ペダル奏法でもレガート演奏しやすくなるというメリットもあります。
 
 これで、黒鍵以外の32,32部分での演奏負担が減って2.3指の疲労度も下がります。
 
この奏法、お試しください。(こんなのピアノ教師は先刻ご承知かもしれませんが。)
  もう一つ、半音階大滑降のパッセージについて。
 
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 ショパンの自筆楽譜ではどうなっているのか知らないけれど、全音の楽譜ではこの半音階部分を321、4321で弾くように記されていますが、 これも極めて弾きにくい運指法で、自分は黒鍵-白鍵の下りは慣れた21,21という弾き方でやっています。
 ユーチューブでこの曲のプロのビアニストの弾き方を見ると、どうやら31,31とやっている方が多いようで、これはハノン教則本でのやり方です。だから、あえて、全音楽譜の運指にこだわる必要はないでしょう。
 ただし、全音の運指も鍛錬のしがいがあるので、練習して悪いわけではないです。(追記: ハノンにもレガート奏法として記載されていました。)
 
 

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クインシーの「ソウル・ボサノバ」

 
 
 この音楽、つい最近までクインシー・ジョーンズの曲だと知りませんでした。sweat01sign03
彼のファンからすると「えーーーーsign01sign03sign02」・・・でしょうか。サーセンthink
 
 しかし、こういうことは誰でもあるんではないでしょうか。ずーっと気になっている音楽・曲なんだけれど、誰の何という曲だろうか。ちょっと知りたいな。
 でもまあ調べるまでもなく、もののついでに分かればいいや。というやつですな。
 10年ほど前から、スマホなどにメロディーを口ずさむだけで曲名を教えてくれるアプリもあるようですが、そんなシチメンドクサイものは中高年のGGIは使う気力がありません。
 
 さて、この曲、私と同世代で中部地方にご在住だった方々は、学生時代にラジオから流れる名古屋モード学園のCMテーマで覚えたという記憶があるはず。
 自分もそうで、それ以来40数年以上、いい音楽だからレコードでも買おうというほどのことでもなく、気に食わない曲ということでもなく、テレビやラジオ、スーパーマーケットなどで流される、ピッコロとフルートの二重奏
 
 「ツィラタ・タタ、 ツィラタ・タタ、 ツィラタ・タタ、 ツィラタ・タタ、・・・」
 
 というシツコイ動機の繰り返しに、いったいこれはいつまで続くんだろうと面白がってノホホンと聴いておりました。これはメディアが長いイントロ部分を省いて、この繰り返し部分だけを流しているせいでもあると思う。
 全体を通しで鑑賞すると、「ツィラタ・タタ」は8回のリフレインを2組×2演奏し、2組目は伴奏も変えて飽きさせないよう巧妙に作曲されているのが判る。弾むシンコペーションリズムもあいまって、誰の耳にも忘れられない強烈な印象を持たせる名曲ですな。
 イントロ部分のピアノの強烈な三連符連打もカッコイイ。
 
 尚、自分は中学2年のとき、クインシー・ジョーンズのLPを購入しております。
「ドッタラット・ラッター」のアイアンサイドや、「WHAT`S GOING ON」など、後にTV「ウィークエンダー」でおなじみになった曲が入っているヤツです。そのアルバムにはソウル・ボサノバは入ってなかったのです。
 Q・Jファンの方々、ソウル・ボサノバの名を知らなかったこと、これでお許しくだされ。
 
 
 

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ホロヴィッツの「死の舞踏」

 ホロヴィッツが1942年に編曲・録音演奏した、サン・サーンス=リスト「死の舞踏」は、恐らく楽譜として出版されていないはずで、これをピアニストが弾くには、自らレコードから音を拾って楽譜に起こし再現するしかない。
 ユーチューブにはその再現演奏の動画が、何人かの腕達者のピアニストによって鑑賞することができる。
 特に自分が見事な演奏だと感じたのは、この二人のピアニスト。
 
 
 
  ナカナカのもんであります。汗ひとつかかず、涼しい顔して弾きこなしていますな。
だけど、なにか物足りない。ファツィオリ、ベヒシュタインの音も素晴らしいけれど、音がなんかウェットなんです。
 しかし、ホロヴィッツのは録音が古くハイ・ファイでない、というのもあるけれど、ピアノの音がドライ。
 ドライとはどういうことか。 それはホロヴィッツの奏でるピアノの音に関係があるんですな。
 彼は10代のころ、ピアニストであった叔父から、指を伸ばして鍵盤を手前に引っ掻くピアノ奏法を学びました。こんな弾き方は現代ではタブーで、ホロヴィッツ自身も「私の奏法は今だったらピアノの先生に怒らるな」と語っているほどです。
 その独特のテクニックから引き出されたマルカート、素早いスビートの乾いたパリパリ・トントンという音が、「死の舞踏」で繰り広げられるガイコツどもの墓場大狂乱踊りで、骨がカラカラ・カシャカシャ・ポクポクと鳴っている様子にピッタリなんですな。彼の奏でるドライなピアノ音は「死の舞踏」を弾くために生まれたといってもいいほど。
 つまり、ホロヴィッツの「死の舞踏」のガイコツ音を再現するには、幼少からあの指を伸ばした突っ張った弾き方を練習し、会得するしかないのです。
 
↓そのホロヴィッツの演奏。私のCDよりこちらの方が音が良い。
 

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幻想即興曲のことなど

 ショパンの幻想即興曲の練習を2016年8月から始めて、9月終わりごろには通しでお終いまで弾けるようになった。
 ただし、弾ける速度はポーコ・アレグロという感じて、だいたいピアニストの弾く70パーセントくらいのテンポ。速く弾こうとするとヘロヘロになります。
 
 特に弾き難いところがこの箇所。ときどき、つっかえます。右手の2-4というハードな指使いに加えて左手の赤字で記入した手の小さい人向けの指使い法が影響してしまう。しかし、ここはフレーズ的にはオシャベリが一息するところなので、ルバートして遅く弾くという手があります。
 
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 今回、この曲を練習するにあたり、ネットのユーチューブにて、いろいろな演奏、楽譜解釈の勉強ができた。スラーやペダリングも私が使ったゼンオン楽譜で確定しているものではないんですな。
 
 ↓まずはバレンチナお姉さまの演奏。なんと中間の部分を半分カットして演奏しています。私が長くて少しクドイと感じていた部分だけれど、省略するのなんてアリかよ、と思いました。
 
 でも、親父が蔵書していた音楽の友社の楽譜を引っ張り出して見ると、この部分から後半を省略することもありと書いてあるではありませんか。↓
 
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・・・・ほんで、私もカットして弾くことがあります。発表会でこれをやると、「あ、上がって頭の中が真っ白になったかな」と思われるのがオチなので、やらないほうが無難ですが。(プログラムに短縮版と書きましょう)
 それにしてもバレンチナ・イゴシナの長い指とスパンの広いアシダカクモみたいな大きな手、うらやましいですな。
 
 カットといえば、ルービンシュタインが演奏している、おそらく彼が発見した楽譜のバージョンによると、最後のコーダ部分では1小節カットされていて、これも聴衆は「オヤ!?」と思うはず。↓(楽譜はルービンシュタイン版ではありません)
 
↓、こちらはラン・ランの爆奏とユンディ・リーの端正な演奏との聴き比べ。これも解釈が二人で極端に違う。
 ラン・ランは、聴衆の間では好き嫌いが分かれ、時々演奏スタイルがキ○ガイじみて見える天才型ピアニストだが、彼の演奏では右手分散和音のパッセージにおいて、楽譜で指示されているアクセント記号を無視して弾いているのが分かる。それに中間部は響きが美しいがルバートが多く、少し歌わせ過ぎ。
 ユンディは楽譜通り弾いていて、やはりショパンコンクール優勝者だけに万人受けしたガッチリと安定した演奏。中間部もセンチメンタル過ぎず、私はこちらのほうが好みです。
 
 
 この曲を毎日練習して、指がかなり強くなり、他曲の難しい箇所も楽に弾けるようになりました。また、最初は練習後、肩がパンパンに凝りましたが、今は凝らなくなった。鍛えられたんですな。
 気合いの要る曲で、2.3回弾くだけで指と手と体がポカポカ暖かくなってくる。ほんとに練習曲としても有用です。
 この曲に憧れているピアノ愛好家のみなさん。ハノンの1番から5番をさらった後、遅いテンポでいいので、さっそく練習しましょう。レベル的には自分と同じようにチェルニー30番卒業程度でチャレンジできるはずです。決してあきらめず、指のトレーニングのつもりでもいいので弾いてみてください。
 
 
 

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フランソワの幻想即興曲

 もうかれこれ45年以上、ショパンの幻想即興曲の演奏というとサンソン・フランソワのものをずーーっと聴いてきた。
 高校生のころには彼以外のレコードを集め始めると、フランソワの演奏が、ずいぶんと他のピアニストとは違う弾き方をしているというのが分かった。つまりフランソワ節と言われるやつで、この曲の演奏も例外ではないみたいだ。
 
 
 まず、この曲のABAという構成で、フランソワはAの部分はダンパーペダルをほとんど使っていない。だから音が濁らず聴こえている。私のようなアマチュアの下手くそは誤魔化すためにペダルを誤用し、音を濁らせてしまうのだが。
 
 彼のそのノンペダルのマルカート奏法によるフィンガーテクニックで聴くと、一連のパッセージは一房の葡萄みたいに音が一粒ずつはっきりしていて、乾いた果実がポロポロとこぼれているようだ。
 曲の途中からのオクターブの跳躍から始まる分散和音の部分でもペダルは一部分しか使っていないようで、ここから始まる演奏は、左手の最初のバス音・・・・ 自分はこのバス音が好きで、フランソワの演奏を聴くたびに一緒にこの音をハミングして歌い楽しんだものだ。このバス音は男性の音域にマッチしていて歌いやすい。・・・・
 ・・・・は、指ペダル奏法で、三連符の八分音符の音価を四分音符1拍から2拍分ほど押したまま伸ばして弾いてる。ペダルを踏んでいるように思わせるトリッキーなテクニックだ。
 
↓この先生によるチュートリアルのノンペダル演奏で指ペダルが使ってあります。
 
 中間のショパンとサンドが手に手を取り合ってデートしている甘い部分は、かなり速めのテンポで、しかもほとんど強い音のフォルテで、「このパートは早く終わらせるに限る」と言わんばかりに弾いている。しかし、ルバートを多用し、いかにも二度と同じ演奏はしないような、まさに即興性を感じる名演の一つと言えるのではないか。
 ここは、ふだん違うピアニストによる遅いテンポで歌わせた演奏を聴き慣れている人にとっては、粗削りで少し乱暴に聴こえるだろう。しかし、自分はかねてから、この甘い中間部分は繰り返しがシツコクて少し長いと思っていたので、ハイテンポで流しているフランソワの演奏が、ちょうど良い感じに聴こえる。
 
 そして、全体を聴き終えると、なにか再び立ち上がれることの出来ない諦めの境地、地球の終末の日の最後の演奏みたいな、やるせなさを覚える。
 
 全体的に、フランソワのショパンはこの幻想即興曲だけでなく、ノクターンやワルツ、マヅルカ、ポロネーズなどでも頽廃的なもの、諦念、厭世感が漂っている。フランソワの酒、タバコを愛し、ときにはドラッグにも手をつけていたらしい彼の人生と、40代でポックリ逝ってしまった天才ピアニストの最期を想うのも、そう感じる一因かもしれない。
 
 現代の若いピアニストによる猛スピード爆奏と、歌わせ過ぎの華麗な演奏とは次元が異なる何か独特の世界がフランソワの演奏する幻想即興曲にはある。

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幻想即興曲は弾くべきか

 
はい、弾くべきです
 
 中高年のピアノ愛好家として、最近、そう思うようになりました。
 
 この曲の練習を始めるようになったきっかけは、ピアノ教師であった私の叔母(田舎のことですからピアノのオケイコのセンセです)が発表会の模範演奏でこの曲を弾いたらしいことを最近になって知り、なにかしら対抗心が湧いたためです。
 
 以前はこの曲をまったく弾きたいとは思わなかった。理由は、いかにもショパン・ショパンした通俗曲で、例えばそういう曲というとノクターン2番、別れの曲、革命などが該当すると思うけれど、みんなが憧れる曲、誰もがいつかは弾いてみたい曲にはこの幻想即興曲も必ず入っていて、そういうショパンの「巨人・大鵬・卵焼き」的存在・・・・これは一般論ではなく私の感情です。・・・・に、何かモヤモヤした抵抗を感じていたこと。
 だから、皆が一斉に右を向けば左を向くアマノジャクのうえ、世間のブームに乗るのが嫌いな自分としては弾きたい選曲から除外していた。
 さらにもう一つの理由として、この曲の中間部の甘い、あまーいセンチな感じがちょっと鼻についていて、これもショパン・ショパンしているところに反発を感じていた。
 
 かなり古い時代の音楽評論家・野村光一氏など・・・・プロコフィエフがアメリカに渡航する途中、立ち寄った日本で彼の演奏会をプロモーションした人物・・・・は、この部分をサッカリン(合成甘味料)的甘さがあると評していたものだ。(ハネカーの評論を彼が翻案したもの)
 
 数十年前の何かのテレビCMで、この甘い部分が流れるなか、ナレーションで「ショパンとサンドは手に手を取ってマジョリカ島にやってきた」なんて女性週刊誌のタイトルみたいなのをやっていて、作曲家の人生を恋愛小説化する伝記作家のようなやり方に、自分は思わず吹き出したものだ。
 ショパンとサンドのマジョリカ島行きは、ショパンを嫌っていたサンドの二人の子供と一緒で、パリでのサンドとのスキャンダル逃れ(たしか決闘騒ぎまでになったはず)のため人目をはばかりコソコソ行ったのであって、船客や島民が居るなか、そんな小説みたいな駆け落ちシーンどころでは無かったはずだが。
 
 話を戻して、この曲がモシュレスの即興曲や、ベートーベンの「月光」ソナタ(幻想即興曲と同じ嬰ハ短調)第三楽章にあるパッセージをヒントに楽想を得たと思われる部分があり、・・・要するにパクリ疑惑・・・・ そのためか知らないけれど、ショパン自身も楽譜を出版せずホッタラカシにしていたというのにも引っかかるところがあった。
 
 ということで、長々と幻想即興曲をネガティブに語ってしまったけれど、思うにプロのピアニストでさえも、この曲は仕方なしに「ショパン・名曲集」の円盤録音やジュニア対象のコンサートでは「またこれか」という感情で渋々弾いているのではないだろうか。
 
 さて、この曲をピアノ愛好家は弾くべき理由。それは練習曲としても優れていると思ったから。
 
 まず、左手の三連符・八分音符に右手の十六分音符を、向かい合う歯車のごとく交互に嚙合わせるという技術の練習になる。しかもシンコペーションの後打ちではなく、最初の拍はぴったりと合わせなければならない。これだけでも完全なエチュードといえる。
 これは数多の練習曲にも取り入れてある技術だろうけれど、無味な練習曲を嫌々するのではなく、「名曲を弾きこなしてやりたい」という意欲で練習し、飽きずに努力して得た成果は弾けた喜びを生むと思う。これはピアノ練習が嫌にならない、永くピアノを続けるということで重要な事だと思う。
 
↓自分はこの静止画像、2小節目右手の下降が左手と合わせにくく弾きずらい。なにか体操・鉄棒のフィニッシュ・連続ひねり技みたいな感じ。ここが「月光」に似ている部分。
 
 
 もう一つ、手の大きさが八度音程が限界の人にとっては、右手を広げる練習になること。また、右手の2指・3指、2指・4指の拡張練習にもなること。さらに右手の2指・3指を強くさせること。これは最初は疲れるし、場合によっては痛みを覚えるけれど(その場合は緊急停止、休憩)、努力すれば次第に弾けるようになっていく。これも退屈なハノンなんかより名曲で上達するという喜びがある。
 中間部のショパンとサンドが手に手をとりあって逢瀬するあまーい演奏は、カンタビーレ奏法の練習になるし、ここも少し三連符の練習になる部分もある。
 
 さて、結論。
 
 ピアノ愛好家は幻想即興曲を練習曲として弾くべきである。たとえ途中でつっかえてもいい。なぜ上手く弾けないのかを考える。またそれがいいのである。そして何十回、何百回と練習する。かのリヒテルでさえ難しい箇所は1000回は練習すると語っていた。また、上達するには他のどの練習曲・・・・チェルニーやクラマーなど・・・を併用練習すればいいかを考えるのもよろしい。これは世のピアノレッスンのまったく逆の方法だけれど、自分ひとりで楽しむピアノ愛好家は自由なので、一向に構わないのである。ピアノ教師が聞いたら怒られそうだけれど無視無視。
 
 そのピアノ教師に就いているピアノ学習者はセンセイには内緒でこの曲を練習しよう。先生に白状すれば、どうせ「あなたにはこの曲はまだ早すぎる」とかなんとかガミガミ言われるに決まっている。そんなのも無視無視。最後まで弾けなくてもいい、たとえ数小節でもいいから弾くべし。練習するべし。
 
↓しだいに速くしていく練習。この曲をいきなり最初から速く弾こうとすると、ハッタメタな演奏になります。
 この曲の構成ABAの最初のAの速度指示はアレグロで、A再現部分はプレストとなっていますが、ほとんどのピアニストは最初のAと同じ速度で弾いているので、特に爆奏する必要はないと思います。
 
 

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WTC・平均律第2巻1番プレリュード

 バッハの平均律クラヴィーア曲集

 ・・・・この呼び方も今まで自分が見聞きした限りでは平均律の後、「クラフィア」、「クラヴィア」、「クラヴィール」とかなんとか呼ばれていることがあり、また最後が「ア」なのか「ヤ」なのか、どちらもハッキリせいと思ったものだ。

 「ギョエテとは俺の事かとゲーテ言い」じゃないが、どうせドイツ語発音をカタカナにしても正解などありはしない。しかし最近は書き方としてはクラヴィーアに統一されているようで、どうやらこれが定着しているみたいだ。

 ・・・・を英語圏では略してWTCと書くようで、自分もそれに従いこのアルファベット三文字をタイトルに付けてみた。アメリカ人とこの曲集のことを会話するならば「ウェル・テンパード」で通じると思う。

 それにしても日本語での「平均律」ってのは学門的な硬い言い方だね。数学じゃないんだよ。なんとかならんものですかな。こんな文字付けるからクラシックやバッハが寄り付きにくくなるんだね。これからはもう世界貿易センターじゃないが「ダブルティーシー」って呼んでいいんじゃないすか?。

さて、2巻オープニングのこのプレリュード、

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 ゼンオンの楽譜では冒頭のテッペンにZWEITER  TEIL.と明記してある。同じくゼンオンの第1巻にはERSTER  TEIL.とある。これはいったいどういう意味なんだろうか。楽譜のどこを探しても解説されていないのです。原典版にはこんなものは載っていないんですが。・・・ゼンオン編集部の方かご存知のかた、ドイツ語辞書も無く調べるのも面倒なので教えてくださらぬか。多分、上巻・下巻という意味ではないかと思うのだが。

 やっとで本題に戻ります。この曲を初めて聴いたときは、なんともツマンナイ音楽だと思ったものでした。はっきり主張しているモチーフ、テーマが見られず、なにか口の中でモゴモゴしゃべっているようで、それがお終いまでグダグダ続く。第一小節から現れる32部音符で始まるターンもなにか人をチャカチャカとオチョクッてるみたいで好きではありませんでした。

 ところが、弾いてみるとオモシロいんですな、これが。なにが面白いかというと、儚く消えゆくピアノの弦の音を保つ楽しみと言いましょうか、つまりオタマジャクシの音価を保持する楽しさが満ちている曲なのです。まあ、これはこの曲だけでなく、バッハの対位法音楽共通の楽しみなのですが。

 これをビジュアル的に表現すると、溶接作業で零れる溶けた鉄の球が地面で次々に現れては消えゆく様、あるいは流星群の星たちが消えゆく光の残像の傍で再び流星が発光する様。

 ・・・つまり、消えゆく音・儚い生命をなんとか繋ぎ留めておきたい。という想いがあると思う。これは自分だけの想像だけども、本来、音を持続できない弦楽器というのは、古典音楽から永遠に続くロマンチックなモノのだと思う。

 なんか話が飛んでしもた。この曲には後半、最高音部が半音階で下がっていく箇所もあり、ここもまたちょっとロマンチックでいい。 

                             ↓このへんから

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エンディングが第1巻1番のフーガとほぼ同じ。

↓ここも半音下降もあり聴かせどころ。ただし。

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 この曲も9度音程にやっと手が届く人には演奏困難な箇所があり、私が上記した赤ペンの指使いにせざるをえない。

追記:  電子ピアノのパイプオルガン音で弾くと冒頭の左手オクターブなどで素晴らしい効果がある。このオクターブは本物のグランドピアノでは良く共鳴してこれまた良い響きとなる。

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ベートーベン「英雄」第二楽章の柱時計

 ベートーベンの音楽は自分のタイプではなく、若いころからタイトルがついている有名な曲くらいしか聴かなかった。

 そのなかでも、ベートーベンの交響曲第三番「英雄」は、二、三度くらいしか聴いておらず、それも第一楽章の途中でプレーヤーの再生をストップするという有様だった。なにかナポレオンに関する音楽であるということに抵抗があったからだ。政治家や人物を音楽のテーマにするなんて嫌であった。

 ところが数年前から、七番交響曲の第二楽章が気に入ったのを機会に、ベートーベンの音楽に興味が湧いてきた。歳をとったためと、ベートーベンの死去した年齢を超えたというのもきっかけになったかもしれない。

 それで「英雄」もマジメに全楽章通して聴くようになって、なかなかどうして、巷でよく演奏されるとおり、名曲であると感じた。

 特に第二楽章の葬送行進曲の重厚さと意味深なストーリー性には感心した。これだけでも演奏時間20分近い大曲で第一楽章と続きで鑑賞すると約30分かかり、それでもうお腹一杯となるが、これはベートーベン自身も分かっていたようで、演奏会では全四楽章通して演奏するとお客がダレてしまうので、休憩や別のプログラムでインターミッションを入れたほうが良いと知人に語ったらしい。

 因みに、晩年のベートーベンは自作の交響曲全九曲のうち、この第三番が最も好きな曲だとも語ったという。(もちろん筆談で)

 さて、その第二楽章。自分にはちょっとホラー映像的に怖いと感じた展開がある。

 それは起承転結でいうと曲の終わりに向かわせる「結」の導入部分。↓

(リストのピアノアレンジ編)

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(↑演奏では14分43秒から)

 いきなり始まるこのフレーズを自分は「柱時計」と名付けたい。

 第二楽章は、墓地へ埋葬されようと担がれている棺桶の中の人物の、かつての栄光と没落に至った一生をストーリーテラーが第三者に語っているような展開で、なにか埋葬する墓地の控室・・・ (そんなものが西洋の墓地にあるのか不明だが) ・・・で、語っている最中、部屋の壁に掛かっている停まっていたはずの柱時計のフリコが、いきなりカチカチ動き出すように見えるのだ。

 それは、棺桶の人物が「おい、もう時間だよ、オレのくだらない生涯の話などもう止めて、とっとと土の中に埋めてくれ」と警告しているように感じる。

 これがチョット怖い。

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バッハの後妻、アンナ・マクダレーナの作曲

 最近観たNHKBSの海外ドキュメンタリーで、バッハの後妻で彼より16歳年下だったアンナ・マクダレーナは、バッハの作曲にも関与していたことを知った。

 バッハの作曲した楽譜の最終原稿は、大半がアンナによって清書されたことは既に知っていた。   

 その原版を見ると、実に丹精な筆跡で、オタマジャクシの丸い部分や音符をつなげる線、スラーのカーブなど見やすい上に芸術的で、演奏するための記録に用いるだけでなく、見るだけでも鑑賞できる立派な美術作品といってもいい。ベートーベンの書きなぐったような自筆楽譜といい対称である。(彼は原稿を清書せず、代書屋に書かせた)

彼女の清書、リュート組曲

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↑羽ペンによるインクで清書するわけだけど、書き間違えたらどうするのかね。修正ホワイトも無い時代だというのに。

 アンナの代筆は、盲目となったバッハの晩年では、完全に彼女の仕事となったようで、原稿のほとんどは彼女の書いたものらしい。

 それら原稿を丹念に研究した結果によると、なんと有名なあの作品はアンナ自身が作曲したものらしいのだ。それは・・・

・平均律第一巻のプレリュード・ハ長調、

 ・・・・このピアノ愛好家、珠玉の1曲がアンナの作曲だったとは・・・何度も推敲されたらしい。対のフーガはバッハの作曲。

・無伴奏チェロ組曲・プレリュード、・・・CMでもおなじみですな。

・ゴールドベルグ変奏曲・アリア部分、・・・なるほど、いかにも女性による作品のような愛らしい曲。アンナがクラブザンで弾いているような感じ。

 ・・・いや、この事実には驚きました。

 アンナ・マクダレーナは11歳でバッハに弟子入りし、彼から音楽理論の素養を身に着け、また宮廷に雇われた声楽家としても優れていて、同僚の楽士の10倍近い給料を得ていたという。作曲の才能があってもおかしくない。

 バッハと死別し未亡人として59歳で生涯を閉じた彼女の墓石には「物乞いしていた女性」と記録してあるそうで、これはどういうことなんでしょうか。なにか小説や「アマデウス」のような映画のテーマになりえる波乱な人生だったようですな。

 アンナとは関係ないけれど、「タララー」のトッカータとフーガ・ニ短調はバッハの弟子による作品だという。これも知らなかったなー。ちょっとショック。

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フランソワのショパン・バラード1番

 フィギュアスケートの羽生さんが演目にショパンのバラード1番をしばしば使っているおかげで、この音楽はクラシックファンでない方にも耳になじむピアノ曲になったと思う。

 自分がこのバラード1番を愛聴し始めたのは18歳の青春まっただ中の時で、たまたま家にあったこの曲のレコードを掛けて聴き、なんとロマンチックで劇的な展開の曲なのかと驚き、大げさにいうと衝撃を受けたものでした。

 衝撃というのは、映画もテレビも無い19世紀に、どうしてこのような史劇映画のようなストーリー性を感じるビジュアル的展開の音楽が出来たのかというもので、この疑問は後に19世紀以前は、劇映画やテレビドラマのかわりにオケ付演劇やオペラが親しまれていたのだと納得できるまで不思議に感じたものでした。

 その最初に聴いたバラード1番のレコードの演奏がサンソン・フランソワの録音で、これはフランソワの演奏録音でも、まあまあ音質のいいものでした。・・・・思うにフランソワは良い録音スタジオや良いレコードカッティングに恵まれていないように感じる。

これが、その演奏。

 彼の演奏で特に感嘆、興奮したのがこの部分、3拍子系から4拍子(2拍子)に変わり、まさに劇的クライマックスとカタストロフィーヘの展開。映像では6分23秒当たりから。

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プレスト・コン・フォーコ・・・・・ものすごく速く炎のように。

 フランソワはまったくこの指示通りに弾いている。どのピアニストの誰よりも速く弾いている。ここはもう悪魔が乗り移ったとしか思えない狂気の演奏。炎というのは地獄で燃えている炎なのかと思える。

 後に聴いた他のピアニスト、例えばホロヴィッツのカーネギーホール実況録音のこの部分はテンポも遅く、ガチャガチャ鳴って、まるで皿を床に叩きつけて割っているような演奏で、フランソワで聴き慣れた自分には、これはこれでショックを憶えたものでした。

 フランソワのこの悪魔が憑りついたような演奏・・・・ところが、↑の楽譜の9小節目からハッタメタの演奏になってしまう。まるで精も魂もつきてしまったように。ここからの演奏はアシュケナージの丹精な演奏のほうが素晴らしいと感じてしまう。

 まあ、全体的にフランソワの演奏はテンポが速いうえ荒削りに感じる。しかしツィメルマンのを聴くと歌わせ過ぎ(彼の入魂ハミング音まで聴こえる)でこちらまでも息がつまりそうで、フランソワの演奏が懐かしくなるのである。

 でも、やっぱりフランソワは天才肌のピアニストですな。この導入部分もそう感じる。

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ここをフランソワは

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 のように八分休符を無視しC音を伸ばす弾き方をしている。

つまり楽譜ではショパンの指示はバス音の後、

「ん、それではね」・・・というお話の始まりが、

「えー、それではね」・・・

 というふうに弾いているのだ。これはテンポ・ルバートと言えばルバートなんだろうけど、まず他のビアニストは恥ずかしくて?こういうマネはできない。これも天才の成せる技なのだろうか。彼の師匠であるコルトーのこの曲の演奏はどうだったかちょっと記憶にないけれど。

 実は自分はフランソワのこの弾き方が正当だと、楽譜も読めなかった18歳当時は信じていて、その後聞いたアシュケナージの楽譜どおりの演奏で、これが正しい弾き方なのだと分かり、これまたショックを受けたものでした。

 こういう彼の弾き方を巷では「フランソワ節」と呼んでいることは2.3年後になってから知った。

 フランソワが逝去していることが、レコードの解説の一番最後にさりげなく記してあり、これもしばらく気が付かず、後で知ってショックだった。

 

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