リストのピアノソナタはホラー映画
リストのピアノソナタ・ロ短調は、発表された当時、「支離滅裂」と保守派の音楽評論家や演奏家に酷評される一方、「崇高で貴高く美しい」と評する支持派がいて、評価が真っ二つに分かれた作品であるが、私が10代のころラザール・ベルマンやホロヴィッツの演奏に触れた印象では、どちらの印象もなく、ただ、いくつかの単純なモチーフで進行する自由な形式という感想を持った曲であった。
しかし、リストの技巧を駆使した曲としては、小節ごとに分解して観察すると、意外と単純で、それほど難しい曲とは思わなかったが、(もちろん、私には全曲通して弾けないが)全体のイメージとしては、単純な中にも、バラードのように一つの物語を描写したような、ビジュアル的なものを感じた。
この曲は、どうやらゲーテの「ファウスト」にインスパイアーされてリストは作曲したようだが、私は外国文学が苦手なので、原作を読んでまで、この件について深く調べるつもりはない。
ただ、少し齧ったところによると、「ファウスト」には人間のファウスト博士と、彼が恋する処女グレートヘン、それにファスト博士を誑かそうとする悪魔のメフィストが登場するのだが、悪魔が出てくるといえば、現代ではホラー映画である。
この悪魔が、このソナタにはチョコチョコ顔を出しているようだ。
さて、ホラー映画のエンディング、ラストシーンといえば、だいたい似たような展開で、「めでたし、めでたし。悪霊は成仏し、天に還り、地には平和が訪れる」と解決する素振りを見せておいて、「まだ悪夢は終わっていない、悪霊は滅びていない」という、次回作を思わせるような「意味深」の終わり方をするものだ。
このホラー映画の「意味深」が、この、150年も前に作曲されたリストのソナタの最終ページにも、ちゃんと演出されていて驚く。
それは、ソナタ終盤、「潔い処女グレートヘン」の、心穏やかな慈愛あふれるテーマが進行し、このまま幸福感をもちつつ解決するとおもいきや、いきなりバッサリと、悪魔メフィストが地下室の窓から邪悪な視線で覗き込むような、暗いテーマが現れる部分がそうで、しかも、これは悪魔再生の第一段階にすぎないように思える。以下がその楽譜の部分。
ページの第一小節が処女グレートヘンのモチーフ、第二小節からいきなり転調して悪魔のモチーフが始まる。
やがて、悪魔に身をゆだねてしまったファウストのモチーフと、それでも心理の探求を諦めないファウストのモチーフが現れる。
ソナタのオープニングに登場する、学究ファウスト博士のモチーフが再び登場し、やはりファウストは悪魔に唆されていたのではなく、自分自身を失っていなかったと思わせるのだが、なぜか、旋律は地獄にでも落ちていくかのように、下へ下へと下降し、不安な心理をかきたてる。
このドン底の気分にさせといて、ここで、最も感動的な和音だけのフレーズが登場する。
ピアニシモからビアニッシシモへ移って移調し、解決しようとする和音は、驚くべきことに、音を小さくしていくべきなのに、逆にクレッシェンド記号がつけられている。しかも、ピアノは一度叩いた音を大きくできないので、このクレッシェンド記号は無意味である。この楽譜に込められたリストの想いとはいったい何だろうか。
この最後の7小節は、たいへんビジュアル的で、あたかも暗雲垂れ込める遠い海原から、一筋の暁光が射しているような、絵画的で優れた部分である。(たしか、こういう絵画があったはずで、どの画家のものか調べている。)
そして、やれやれ、天からの一筋の光、神様の思し召しのおかげでハッピーエンドとなった、メデタシ・メデタシ・・・・・・。
ところが、最終小節のバス音一発で・・・・
悪魔が再び画面の隅にチラッと顔を出すんである。最後の最後まで。
つまり、現代のホラー映画の、「これでもか・これでもか」という、しつこい反復の恐怖のテクニックと、「まだ未解決となったストーリーはこれからどう展開していくのでしょう」という、「意味深」的エンディングが、既に150年前のピアノ音楽に用いられている。
参考資料:「世界大音楽全集」-音楽之友社より、
リストピアノ曲集Ⅲ、解説・・・木村 重雄
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