カテゴリー「ピアノ」の記事

ショパン、マズルカOP33-2の歌

 ピアノ独奏用であるこの曲はフランスのソプラノ歌手によって唄に編曲されているようで、それがどんな歌詞なのかは知らないけれど、まあ、想像するとこんなようなものではないか。
 
・「あの人は私に気があるのかしら」、「そうみたいよ、いつもあなたを見つめているわ」・・・
・「またあんた浮気したやろ・クドクド・ネチネチ」、「カカかんにんな、ゆるしてーな」・・・
・「このパン、昨日のやつでネェアーカ?」、「何言っとリャアースカ、焼き立てのホヤホヤだがや」・・・
 
 とまあ、だいたい二人の人物がまきおこす庭先や市場での喧騒にイメージが湧く。シュトラウスの「トリッチ・トラッチ・ポルカ」のショパン版というところか。
 
(追記) ↓ユーチューブで発見。これがソプラノの歌でした。内容分からず。
 
 そこで自分もショーモナイ唄を作ってみた。
 
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 ピアニッシモからのフレーズは同じ歌詞で、イ長調に替わったら「粉きれたで」と変わる。またタコヤキをイカヤキ、ブタマンに変えてしつこく繰り返してもいい。
 中間部は省略してフィニッシュが・・・
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自分の才能なんてこんなものであります。ホナさいなら。
(著作権は自分にあります。転載使用には承諾を受けてください)
 
 
 
 

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ショパン、マズルカOP33-2

2017年10月、この曲を弾き憶えた。
 
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 ショパンの音楽の中でも底抜けに明るい曲で、マルクジンスキーの円盤にて覚えた19歳ごろ、さして難しい技術は要らないように聴こえるので、よし弾いてやろうではないかと楽譜を開いて指を鍵盤に当てていくと、どしょっぱなから意外と難曲であることが分かった。
 
 右手が奏でるメロディーには親指を使った四分音符の同時打ちが仕込んであり、つまり右手の演奏は2声だったのだ。これはどういう難しさがあるかというと、親指は2拍、3拍のタン・タンというリズムを打つために控えていなければならず、メロディーは残りの指で弾かざるをえないということである。結局、ショパン特有のフィンガーテクニックである、4指が5指を跨いで黒鍵を弾くというアクションが必要になり、しかもその時、1指と4指でオクターブを弾かなければならないという肉体的困難さも発生する。ピアノビギナーには結構シビアな要素を含んでいた。
 
 若いころはここで挫折してしまい、一生弾くこともないだろうと捨て置いていたが、最近チャレンジしてみると、弾けてしまった。毎日、「幻想即興曲」を指ならしの練習曲代わりに弾いていて、右手が鍛えられたおかげかもしれない。ただし、親指を意識して弾かないとここを外すことがあり、今でも難しい曲であることには変わりない。
 この終盤の右手もやっかいで難しい。
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 また、マズルカのリズムやペダリングも難しい。自分は教師に就いていないので、ここはピアニストの模範演奏で学習するしかない。鑑賞にあたって、マズルカの演奏者は本場ポーランドと、その周辺の東ヨーロッパやスラブ地方出身者のものが参考になる。イタリア出身のポリーニの演奏など、相変わらず心に響かない。自分が好きな演奏はルービンシュタインとホロヴィッツのもので、この二人の演奏はよく比較される。
 本場ポーランドのマルクジンスキーの演奏は少しアクが強く感じるが、あれが土着マズルカに最も近いものなのかもしれない。彼の演奏は大変勉強になる。フランソワの演奏も魅力的だが、彼独特の天才が成せるもので、マネしないほうがよいようですな・・・。
 
 
 
 
↓ゼンオンの楽譜にミスプリがあった。それともこれが原典版なの?。
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WTC Book2 14番、プレリュード

このプレリュードは先月、2017年6月に弾き憶えた。
 
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 この曲も琴線に触れるプレリュードで、なにが自分の琴線に触れるのかというと、技術的には易しいのに、音楽表現としては難曲であるということがその理由の一つで、今までもそういうタイプの音楽を学習し苦労し楽しんできた。技術的には高度なテクニックが要るのに、音楽芸術的には評価されていないような曲は苦労してまで練習する気が起こらない。そういう音楽というとリストの作品に見られる。
 
 さて、この嬰ヘ短調というめったに見られない調性の音楽は、ゼンオンの楽譜の解説や巷の話によると、バッハのWTCの中でも最高傑作であるという。自分は音楽芸術的才能などチョットしか持ち併せていないし、WTC全曲ジックリ聴き比べていないので、この曲が最高傑作かどうかはわからないが、この曲のシンコペーションと半音のメロディーの調べには「これはほんとにバッハの曲かいな、ロマン派の音楽ではないか」と感じたほど。・・・・それは12番プレリュードでも同じ感じをもった。
 それはなにか、切ない片思いの恋文の綴りか、今から駆け落ちか心中でもしそうな男女の悲哀を唄った曲に思えてしまう。
 その切なさを表現するのが難しい。センチメンタル過ぎてもいけないが、ペダルは使うべき曲だと思う。そのペダリングもどこで踏むのかが難しい。最後の和声をマイナー版で弾くかメイジャー版にするかで曲の雰囲気が違ってしまうが、これがまた面白いというか難しい。
 ピアニストの演奏では、やはりリヒテルのものが自分の好み。そもそも彼のWTCの録音は大聖堂で行われたため、ペダルを踏んでいなくとも音に美しい残響があり、その効果ゆえ、たいそうロマンチックに聴こえる。
 
自分はアシュケナージと同じテンポで弾いている。この淡々とした演奏もいい。
 

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WTC Book2 16番、プレリュード

 
 ほのかに暗く、すこし悲劇的な調のこのバッハのプレリュードを弾き憶えた。
 
 ずーっとリヒテル演奏の円盤を愛聴していて、この曲も自分の琴線に触れたプレリュードであったので、いつか弾きこなしたいと考えていた。
 
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 さて、この曲の楽譜を開いてピアノで指をたどっていくと、リヒテルの演奏は楽譜と少し違うことに気づく。 そう、彼は付点8分音符からつながる後の16分音符を32音符のように弾いていているのだ。そのため右手の32分音符と2声になるようなところは、本来16分音符を32分早く弾かねばならないところを、完全に一致させて同時に鍵盤を叩いている。
 
リヒテルの演奏
 
 これはどうしたものだろうか。ゼンオンの楽譜を見ても原典版の赤本を見ても、丁寧に音符はちゃんと少しズラして記載印刷してあるというのに。それにゼンオンの楽譜の解説にはこのことが全く触れられていない。(追記: ウィーン原典版にはページ下注釈にちっさい字でこの部分の弾き方が記入されていました。)
 そこで、この問題をネットで調べてみると、これはバッハ時代の弾き方だというのである。なるほど、ユーチューブでのチェンバロ奏者の弾き方は、リヒテル式演奏であった。ところが同じくユーチューブでのピアニストやピアノ学習者の演奏を数々試聴してみると、楽譜通りの弾き方をしている例もあるのだ。例えばアシュケナージがそう。
 
 彼の端正な演奏が自分の好み。
 
 いろいろ聴いたところ、リヒテル式の古典調の弾き方と、楽譜通りの弾き方の割合はピアニストによって半分半分というところだろうか。
 自分は古典調の32分音符で統一した、なにか鋭利な刃物でスッパ斬っていくような演奏も嫌いではないが、楽譜通り、アシュケナージ式の「16分音符引きずらし型」の弾き方で練習・暗譜した。こちらのほうが弾いていて面白いのである。
 
 終生、バッハのWTCの楽譜を傍らに携えていたショパンも、この曲は特にお気に入りの1曲ではなかっただろうか。彼の二つのピアノ協奏曲のピアノパートのテーマ出だしは、このプレリュードのモチーフを少し変えたものある。
 
 このお姉さまの骨太な演奏も好きheart01
 
 

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幻想即興曲を楽に?弾く法

 これは私のやり方であって、はたして他の方に通用するかどうかわからないのだけれど、中高年になられて指が固くなってしまった状態でピアノを始めた方、あるいは昔、チェルニー30番あたりでピアノを止めてしまって、今、何十年ぶりかでピアノを再開し、ショパンのこの名曲をぜひ弾きたい方にお勧めの、一つの方法を記させていただく。
 
 そのような方々がこの曲を弾き始めると、右手2指と3指をトリラーのように弾くところが何度も現れ、また、分散和音でも2.3の指を多用し、そのため人差し指と中指が結構疲労して、演奏表現が崩れることにお気づきになるでしょう。こう言っては失礼ですが、上記のような中高年のピアノ愛好家・カムバック組には、恐らくここはツライ部分だと思われます。
 
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 自分も一通り弾けるようになっても、冒頭のイントロ後の小節3拍めから以後続く、32,32という運指でリズムが乱れてしまう・・・ 少しアップテンポになってしまう ・・・傾向が続いた。
 もともと、自分の場合、黒鍵二つのトリラーは白鍵のより弾きにくいのです。
 
 しかも、人差し指と中指は分散和音で酷使された後、次の半音階大滑降の手前の盛り上がりでも32,32の運指が都合6回も繰り返され、ここでスタミナ尽き、ヘロヘロ状態となって、再びテンポが乱れたり、音を外してしまう。これは上記で指摘したとおりです。
 
 この原因は幼少のころからピアノを習わず、指が鍛錬されていないということが挙げられるでしょう。自分がピアノのを始めたのは18歳からで、指を育てるのが少し遅かった訳です。
 
 そこで、この疲れやすい指によるリズム崩れの解決方法として、自分はこのようにしたところ、安定して弾けるようになりました。
 
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42、42で弾く
 
 つまり、この曲に登場する2黒鍵部分のC#-D#F#-G# トリルもどきを、42,42の指使いで弾くのです。
 
 なぜこれで楽に安定したリズムで弾けるのか考えてみると、2.3という指の筋が隣通しの指ではなく、中指を一つ飛ばした二つの離れた筋を使うので、指だけの力だけでなく、手の捻りの力が加わるためだと思う。それで、鍵盤を強く確実に押し込められるのです。
 さらに、この奏法だと、一つ手前のE音・5指からD#音・4指へのつながりがスムーズで、ノン・ペダル奏法でもレガート演奏しやすくなるというメリットもあります。
 
 これで、黒鍵以外の32,32部分での演奏負担が減って2.3指の疲労度も下がります。
 
この奏法、お試しください。(こんなのピアノ教師は先刻ご承知かもしれませんが。)
  もう一つ、半音階大滑降のパッセージについて。
 
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 ショパンの自筆楽譜ではどうなっているのか知らないけれど、全音の楽譜ではこの半音階部分を321、4321で弾くように記されていますが、 これも極めて弾きにくい運指法で、自分は黒鍵-白鍵の下りは慣れた21,21という弾き方でやっています。
 ユーチューブでこの曲のプロのビアニストの弾き方を見ると、どうやら31,31とやっている方が多いようで、これはハノン教則本でのやり方です。だから、あえて、全音楽譜の運指にこだわる必要はないでしょう。
 ただし、全音の運指も鍛錬のしがいがあるので、練習して悪いわけではないです。(追記: ハノンにもレガート奏法として記載されていました。)
 
 

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クインシーの「ソウル・ボサノバ」

 
 
 この音楽、つい最近までクインシー・ジョーンズの曲だと知りませんでした。sweat01sign03
彼のファンからすると「えーーーーsign01sign03sign02」・・・でしょうか。サーセンthink
 
 しかし、こういうことは誰でもあるんではないでしょうか。ずーっと気になっている音楽・曲なんだけれど、誰の何という曲だろうか。ちょっと知りたいな。
 でもまあ調べるまでもなく、もののついでに分かればいいや。というやつですな。
 10年ほど前から、スマホなどにメロディーを口ずさむだけで曲名を教えてくれるアプリもあるようですが、そんなシチメンドクサイものは中高年のGGIは使う気力がありません。
 
 さて、この曲、私と同世代で中部地方にご在住だった方々は、学生時代にラジオから流れる名古屋モード学園のCMテーマで覚えたという記憶があるはず。
 自分もそうで、それ以来40数年以上、いい音楽だからレコードでも買おうというほどのことでもなく、気に食わない曲ということでもなく、テレビやラジオ、スーパーマーケットなどで流される、ピッコロとフルートの二重奏
 
 「ツィラタ・タタ、 ツィラタ・タタ、 ツィラタ・タタ、 ツィラタ・タタ、・・・」
 
 というシツコイ動機の繰り返しに、いったいこれはいつまで続くんだろうと面白がってノホホンと聴いておりました。これはメディアが長いイントロ部分を省いて、この繰り返し部分だけを流しているせいでもあると思う。
 全体を通しで鑑賞すると、「ツィラタ・タタ」は8回のリフレインを2組×2演奏し、2組目は伴奏も変えて飽きさせないよう巧妙に作曲されているのが判る。弾むシンコペーションリズムもあいまって、誰の耳にも忘れられない強烈な印象を持たせる名曲ですな。
 イントロ部分のピアノの強烈な三連符連打もカッコイイ。
 
 尚、自分は中学2年のとき、クインシー・ジョーンズのLPを購入しております。
「ドッタラット・ラッター」のアイアンサイドや、「WHAT`S GOING ON」など、後にTV「ウィークエンダー」でおなじみになった曲が入っているヤツです。そのアルバムにはソウル・ボサノバは入ってなかったのです。
 Q・Jファンの方々、ソウル・ボサノバの名を知らなかったこと、これでお許しくだされ。
 
 
 

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ホロヴィッツの「死の舞踏」

 ホロヴィッツが1942年に編曲・録音演奏した、サン・サーンス=リスト「死の舞踏」は、恐らく楽譜として出版されていないはずで、これをピアニストが弾くには、自らレコードから音を拾って楽譜に起こし再現するしかない。
 ユーチューブにはその再現演奏の動画が、何人かの腕達者のピアニストによって鑑賞することができる。
 特に自分が見事な演奏だと感じたのは、この二人のピアニスト。
 
 
 
  ナカナカのもんであります。汗ひとつかかず、涼しい顔して弾きこなしていますな。
だけど、なにか物足りない。ファツィオリ、ベヒシュタインの音も素晴らしいけれど、音がなんかウェットなんです。
 しかし、ホロヴィッツのは録音が古くハイ・ファイでない、というのもあるけれど、ピアノの音がドライ。
 ドライとはどういうことか。 それはホロヴィッツの奏でるピアノの音に関係があるんですな。
 彼は10代のころ、ピアニストであった叔父から、指を伸ばして鍵盤を手前に引っ掻くピアノ奏法を学びました。こんな弾き方は現代ではタブーで、ホロヴィッツ自身も「私の奏法は今だったらピアノの先生に怒らるな」と語っているほどです。
 その独特のテクニックから引き出されたマルカート、素早いスビートの乾いたパリパリ・トントンという音が、「死の舞踏」で繰り広げられるガイコツどもの墓場大狂乱踊りで、骨がカラカラ・カシャカシャ・ポクポクと鳴っている様子にピッタリなんですな。彼の奏でるドライなピアノ音は「死の舞踏」を弾くために生まれたといってもいいほど。
 つまり、ホロヴィッツの「死の舞踏」のガイコツ音を再現するには、幼少からあの指を伸ばした突っ張った弾き方を練習し、会得するしかないのです。
 
↓そのホロヴィッツの演奏。私のCDよりこちらの方が音が良い。
 

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幻想即興曲のことなど

 ショパンの幻想即興曲の練習を2016年8月から始めて、9月終わりごろには通しでお終いまで弾けるようになった。
 ただし、弾ける速度はポーコ・アレグロという感じて、だいたいピアニストの弾く70パーセントくらいのテンポ。速く弾こうとするとヘロヘロになります。
 
 特に弾き難いところがこの箇所。ときどき、つっかえます。右手の2-4というハードな指使いに加えて左手の赤字で記入した手の小さい人向けの指使い法が影響してしまう。しかし、ここはフレーズ的にはオシャベリが一息するところなので、ルバートして遅く弾くという手があります。
 
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 今回、この曲を練習するにあたり、ネットのユーチューブにて、いろいろな演奏、楽譜解釈の勉強ができた。スラーやペダリングも私が使ったゼンオン楽譜で確定しているものではないんですな。
 
 ↓まずはバレンチナお姉さまの演奏。なんと中間の部分を半分カットして演奏しています。私が長くて少しクドイと感じていた部分だけれど、省略するのなんてアリかよ、と思いました。
 
 でも、親父が蔵書していた音楽の友社の楽譜を引っ張り出して見ると、この部分から後半を省略することもありと書いてあるではありませんか。↓
 
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・・・・ほんで、私もカットして弾くことがあります。発表会でこれをやると、「あ、上がって頭の中が真っ白になったかな」と思われるのがオチなので、やらないほうが無難ですが。(プログラムに短縮版と書きましょう)
 それにしてもバレンチナ・イゴシナの長い指とスパンの広いアシダカクモみたいな大きな手、うらやましいですな。
 
 カットといえば、ルービンシュタインが演奏している、おそらく彼が発見した楽譜のバージョンによると、最後のコーダ部分では1小節カットされていて、これも聴衆は「オヤ!?」と思うはず。↓(楽譜はルービンシュタイン版ではありません)
 
↓、こちらはラン・ランの爆奏とユンディ・リーの端正な演奏との聴き比べ。これも解釈が二人で極端に違う。
 ラン・ランは、聴衆の間では好き嫌いが分かれ、時々演奏スタイルがキ○ガイじみて見える天才型ピアニストだが、彼の演奏では右手分散和音のパッセージにおいて、楽譜で指示されているアクセント記号を無視して弾いているのが分かる。それに中間部は響きが美しいがルバートが多く、少し歌わせ過ぎ。
 ユンディは楽譜通り弾いていて、やはりショパンコンクール優勝者だけに万人受けしたガッチリと安定した演奏。中間部もセンチメンタル過ぎず、私はこちらのほうが好みです。
 
 
 この曲を毎日練習して、指がかなり強くなり、他曲の難しい箇所も楽に弾けるようになりました。また、最初は練習後、肩がパンパンに凝りましたが、今は凝らなくなった。鍛えられたんですな。
 気合いの要る曲で、2.3回弾くだけで指と手と体がポカポカ暖かくなってくる。ほんとに練習曲としても有用です。
 この曲に憧れているピアノ愛好家のみなさん。ハノンの1番から5番をさらった後、遅いテンポでいいので、さっそく練習しましょう。レベル的には自分と同じようにチェルニー30番卒業程度でチャレンジできるはずです。決してあきらめず、指のトレーニングのつもりでもいいので弾いてみてください。
 
 
 

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フランソワの幻想即興曲

 もうかれこれ45年以上、ショパンの幻想即興曲の演奏というとサンソン・フランソワのものをずーーっと聴いてきた。
 高校生のころには彼以外のレコードを集め始めると、フランソワの演奏が、ずいぶんと他のピアニストとは違う弾き方をしているというのが分かった。つまりフランソワ節と言われるやつで、この曲の演奏も例外ではないみたいだ。
 
 
 まず、この曲のABAという構成で、フランソワはAの部分はダンパーペダルをほとんど使っていない。だから音が濁らず聴こえている。私のようなアマチュアの下手くそは誤魔化すためにペダルを誤用し、音を濁らせてしまうのだが。
 
 彼のそのノンペダルのマルカート奏法によるフィンガーテクニックで聴くと、一連のパッセージは一房の葡萄みたいに音が一粒ずつはっきりしていて、乾いた果実がポロポロとこぼれているようだ。
 曲の途中からのオクターブの跳躍から始まる分散和音の部分でもペダルは一部分しか使っていないようで、ここから始まる演奏は、左手の最初のバス音・・・・ 自分はこのバス音が好きで、フランソワの演奏を聴くたびに一緒にこの音をハミングして歌い楽しんだものだ。このバス音は男性の音域にマッチしていて歌いやすい。・・・・
 ・・・・は、指ペダル奏法で、三連符の八分音符の音価を四分音符1拍から2拍分ほど押したまま伸ばして弾いてる。ペダルを踏んでいるように思わせるトリッキーなテクニックだ。
 
↓この先生によるチュートリアルのノンペダル演奏で指ペダルが使ってあります。
 
 中間のショパンとサンドが手に手を取り合ってデートしている甘い部分は、かなり速めのテンポで、しかもほとんど強い音のフォルテで、「このパートは早く終わらせるに限る」と言わんばかりに弾いている。しかし、ルバートを多用し、いかにも二度と同じ演奏はしないような、まさに即興性を感じる名演の一つと言えるのではないか。
 ここは、ふだん違うピアニストによる遅いテンポで歌わせた演奏を聴き慣れている人にとっては、粗削りで少し乱暴に聴こえるだろう。しかし、自分はかねてから、この甘い中間部分は繰り返しがシツコクて少し長いと思っていたので、ハイテンポで流しているフランソワの演奏が、ちょうど良い感じに聴こえる。
 
 そして、全体を聴き終えると、なにか再び立ち上がれることの出来ない諦めの境地、地球の終末の日の最後の演奏みたいな、やるせなさを覚える。
 
 全体的に、フランソワのショパンはこの幻想即興曲だけでなく、ノクターンやワルツ、マヅルカ、ポロネーズなどでも頽廃的なもの、諦念、厭世感が漂っている。フランソワの酒、タバコを愛し、ときにはドラッグにも手をつけていたらしい彼の人生と、40代でポックリ逝ってしまった天才ピアニストの最期を想うのも、そう感じる一因かもしれない。
 
 現代の若いピアニストによる猛スピード爆奏と、歌わせ過ぎの華麗な演奏とは次元が異なる何か独特の世界がフランソワの演奏する幻想即興曲にはある。

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幻想即興曲は弾くべきか

 
はい、弾くべきです
 
 中高年のピアノ愛好家として、最近、そう思うようになりました。
 
 この曲の練習を始めるようになったきっかけは、ピアノ教師であった私の叔母(田舎のことですからピアノのオケイコのセンセです)が発表会の模範演奏でこの曲を弾いたらしいことを最近になって知り、なにかしら対抗心が湧いたためです。
 
 以前はこの曲をまったく弾きたいとは思わなかった。理由は、いかにもショパン・ショパンした通俗曲で、例えばそういう曲というとノクターン2番、別れの曲、革命などが該当すると思うけれど、みんなが憧れる曲、誰もがいつかは弾いてみたい曲にはこの幻想即興曲も必ず入っていて、そういうショパンの「巨人・大鵬・卵焼き」的存在・・・・これは一般論ではなく私の感情です。・・・・に、何かモヤモヤした抵抗を感じていたこと。
 だから、皆が一斉に右を向けば左を向くアマノジャクのうえ、世間のブームに乗るのが嫌いな自分としては弾きたい選曲から除外していた。
 さらにもう一つの理由として、この曲の中間部の甘い、あまーいセンチな感じがちょっと鼻についていて、これもショパン・ショパンしているところに反発を感じていた。
 
 かなり古い時代の音楽評論家・野村光一氏など・・・・プロコフィエフがアメリカに渡航する途中、立ち寄った日本で彼の演奏会をプロモーションした人物・・・・は、この部分をサッカリン(合成甘味料)的甘さがあると評していたものだ。(ハネカーの評論を彼が翻案したもの)
 
 数十年前の何かのテレビCMで、この甘い部分が流れるなか、ナレーションで「ショパンとサンドは手に手を取ってマジョリカ島にやってきた」なんて女性週刊誌のタイトルみたいなのをやっていて、作曲家の人生を恋愛小説化する伝記作家のようなやり方に、自分は思わず吹き出したものだ。
 ショパンとサンドのマジョリカ島行きは、ショパンを嫌っていたサンドの二人の子供と一緒で、パリでのサンドとのスキャンダル逃れ(たしか決闘騒ぎまでになったはず)のため人目をはばかりコソコソ行ったのであって、船客や島民が居るなか、そんな小説みたいな駆け落ちシーンどころでは無かったはずだが。
 
 話を戻して、この曲がモシュレスの即興曲や、ベートーベンの「月光」ソナタ(幻想即興曲と同じ嬰ハ短調)第三楽章にあるパッセージをヒントに楽想を得たと思われる部分があり、・・・要するにパクリ疑惑・・・・ そのためか知らないけれど、ショパン自身も楽譜を出版せずホッタラカシにしていたというのにも引っかかるところがあった。
 
 ということで、長々と幻想即興曲をネガティブに語ってしまったけれど、思うにプロのピアニストでさえも、この曲は仕方なしに「ショパン・名曲集」の円盤録音やジュニア対象のコンサートでは「またこれか」という感情で渋々弾いているのではないだろうか。
 
 さて、この曲をピアノ愛好家は弾くべき理由。それは練習曲としても優れていると思ったから。
 
 まず、左手の三連符・八分音符に右手の十六分音符を、向かい合う歯車のごとく交互に嚙合わせるという技術の練習になる。しかもシンコペーションの後打ちではなく、最初の拍はぴったりと合わせなければならない。これだけでも完全なエチュードといえる。
 これは数多の練習曲にも取り入れてある技術だろうけれど、無味な練習曲を嫌々するのではなく、「名曲を弾きこなしてやりたい」という意欲で練習し、飽きずに努力して得た成果は弾けた喜びを生むと思う。これはピアノ練習が嫌にならない、永くピアノを続けるということで重要な事だと思う。
 
↓自分はこの静止画像、2小節目右手の下降が左手と合わせにくく弾きずらい。なにか体操・鉄棒のフィニッシュ・連続ひねり技みたいな感じ。ここが「月光」に似ている部分。
 
 
 もう一つ、手の大きさが八度音程が限界の人にとっては、右手を広げる練習になること。また、右手の2指・3指、2指・4指の拡張練習にもなること。さらに右手の2指・3指を強くさせること。これは最初は疲れるし、場合によっては痛みを覚えるけれど(その場合は緊急停止、休憩)、努力すれば次第に弾けるようになっていく。これも退屈なハノンなんかより名曲で上達するという喜びがある。
 中間部のショパンとサンドが手に手をとりあって逢瀬するあまーい演奏は、カンタビーレ奏法の練習になるし、ここも少し三連符の練習になる部分もある。
 
 さて、結論。
 
 ピアノ愛好家は幻想即興曲を練習曲として弾くべきである。たとえ途中でつっかえてもいい。なぜ上手く弾けないのかを考える。またそれがいいのである。そして何十回、何百回と練習する。かのリヒテルでさえ難しい箇所は1000回は練習すると語っていた。また、上達するには他のどの練習曲・・・・チェルニーやクラマーなど・・・を併用練習すればいいかを考えるのもよろしい。これは世のピアノレッスンのまったく逆の方法だけれど、自分ひとりで楽しむピアノ愛好家は自由なので、一向に構わないのである。ピアノ教師が聞いたら怒られそうだけれど無視無視。
 
 そのピアノ教師に就いているピアノ学習者はセンセイには内緒でこの曲を練習しよう。先生に白状すれば、どうせ「あなたにはこの曲はまだ早すぎる」とかなんとかガミガミ言われるに決まっている。そんなのも無視無視。最後まで弾けなくてもいい、たとえ数小節でもいいから弾くべし。練習するべし。
 
↓しだいに速くしていく練習。この曲をいきなり最初から速く弾こうとすると、ハッタメタな演奏になります。
 この曲の構成ABAの最初のAの速度指示はアレグロで、A再現部分はプレストとなっていますが、ほとんどのピアニストは最初のAと同じ速度で弾いているので、特に爆奏する必要はないと思います。
 
 

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