カテゴリー「ピアノ」の記事

リストのピアノソナタはホラー映画

リストのピアノソナタ・ロ短調は、発表された当時、「支離滅裂」と保守派の音楽評論家や演奏家に酷評される一方、「崇高で貴高く美しい」と評する支持派がいて、評価が真っ二つに分かれた作品であるが、私が10代のころラザール・ベルマンやホロヴィッツの演奏に触れた印象では、どちらの印象もなく、ただ、いくつかの単純なモチーフで進行する自由な形式という感想を持った曲であった。

しかし、リストの技巧を駆使した曲としては、小節ごとに分解して観察すると、意外と単純で、それほど難しい曲とは思わなかったが、(もちろん、私には全曲通して弾けないが)全体のイメージとしては、単純な中にも、バラードのように一つの物語を描写したような、ビジュアル的なものを感じた。

この曲は、どうやらゲーテの「ファウスト」にインスパイアーされてリストは作曲したようだが、私は外国文学が苦手なので、原作を読んでまで、この件について深く調べるつもりはない。

ただ、少し齧ったところによると、「ファウスト」には人間のファウスト博士と、彼が恋する処女グレートヘン、それにファスト博士を誑かそうとする悪魔のメフィストが登場するのだが、悪魔が出てくるといえば、現代ではホラー映画である。

この悪魔が、このソナタにはチョコチョコ顔を出しているようだ。

さて、ホラー映画のエンディング、ラストシーンといえば、だいたい似たような展開で、「めでたし、めでたし。悪霊は成仏し、天に還り、地には平和が訪れる」と解決する素振りを見せておいて、「まだ悪夢は終わっていない、悪霊は滅びていない」という、次回作を思わせるような「意味深」の終わり方をするものだ。

このホラー映画の「意味深」が、この、150年も前に作曲されたリストのソナタの最終ページにも、ちゃんと演出されていて驚く。

それは、ソナタ終盤、「潔い処女グレートヘン」の、心穏やかな慈愛あふれるテーマが進行し、このまま幸福感をもちつつ解決するとおもいきや、いきなりバッサリと、悪魔メフィストが地下室の窓から邪悪な視線で覗き込むような、暗いテーマが現れる部分がそうで、しかも、これは悪魔再生の第一段階にすぎないように思える。以下がその楽譜の部分。

Dscf0048_medium ページの第一小節が処女グレートヘンのモチーフ、第二小節からいきなり転調して悪魔のモチーフが始まる。

やがて、悪魔に身をゆだねてしまったファウストのモチーフと、それでも心理の探求を諦めないファウストのモチーフが現れる。

Dscf0049_medium ソナタのオープニングに登場する、学究ファウスト博士のモチーフが再び登場し、やはりファウストは悪魔に唆されていたのではなく、自分自身を失っていなかったと思わせるのだが、なぜか、旋律は地獄にでも落ちていくかのように、下へ下へと下降し、不安な心理をかきたてる。

このドン底の気分にさせといて、ここで、最も感動的な和音だけのフレーズが登場する。

Dscf0050_medium ピアニシモからビアニッシシモへ移って移調し、解決しようとする和音は、驚くべきことに、音を小さくしていくべきなのに、逆にクレッシェンド記号がつけられている。しかも、ピアノは一度叩いた音を大きくできないので、このクレッシェンド記号は無意味である。この楽譜に込められたリストの想いとはいったい何だろうか。

この最後の7小節は、たいへんビジュアル的で、あたかも暗雲垂れ込める遠い海原から、一筋の暁光が射しているような、絵画的で優れた部分である。(たしか、こういう絵画があったはずで、どの画家のものか調べている。)

そして、やれやれ、天からの一筋の光、神様の思し召しのおかげでハッピーエンドとなった、メデタシ・メデタシ・・・・・・。

ところが、最終小節のバス音一発で・・・・

悪魔が再び画面の隅にチラッと顔を出すんである。最後の最後まで。

つまり、現代のホラー映画の、「これでもか・これでもか」という、しつこい反復の恐怖のテクニックと、「まだ未解決となったストーリーはこれからどう展開していくのでしょう」という、「意味深」的エンディングが、既に150年前のピアノ音楽に用いられている。

参考資料:「世界大音楽全集」-音楽之友社より、

       リストピアノ曲集Ⅲ、解説・・・木村 重雄

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楽器を弾けない人が大騒ぎ

 チャイコフスキー/Piano Concerto.1: 上原彩子(P)de Burgos / Lso+pictures At An Exhibition チャイコフスキー/Piano Concerto.1: 上原彩子(P)de Burgos / Lso+pictures At An Exhibition
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全盲のピアノ学生、辻井伸行さんのことがメディアでは毎日、繰り返し話題になっているが、今まで、チャイコフスキーコンクール、ショパンコンクールなどの大舞台で入賞、優勝したピアニストたちが、これほど騒がれたことがあっただろうか、私にはその記憶が無い。

しかし、今回の辻井さんの優勝は、ピアノを弾ける人、楽器を弾ける人は案外冷めた目で視ているかもしれない。

たしかに全盲でコンクールに優勝するのは快挙であり、祝福すべきことだが、生まれつき目が不自由なことは、本人にとっては楽器を演奏することに、さほどハンディとは感じていないのではないだろうか。

例えば脳の一部を事故や銃弾を受けて損傷し、体の機能に不自由をきたしても、今まで使っていなかった脳を起動させ見事に回復させるという事例がある。

この場合、リハビリという訓練が必要だが、彼の場合その訓練は必要ない。もう生まれつきから、人並み以上に聴覚、触覚、空間能力がアシストしている。

つまり彼にとって、目の前の鍵盤が見えないということはハンディではない。仮にもし、いきなり目が見えるようになったら、恐らく彼はピアノを弾けなくなるのではないか。余計な情報が脳へ邪魔してしまうのだ。

私は、生まれつき全盲のピアニスト、演奏家の存在よりも、もし、糖尿病などで失明したピアニストが、訓練を重ね、見事リサイタルを開くという事例があれば、そちらのほうがはるかに驚異的だと感じる。

この大騒ぎしている新聞、テレビ、週刊誌の担当者諸君は、恐らく楽器が弾けないのではないだろうか。たぶん「ピアノを弾ける人は、どうして右手と左手と別々に指を動かせるのだろうか」という小学生クラスの疑問を永年持ち続けている人々なんだと思う。両手を使って弾くことすら凄いのに、全盲でそれをやるのはなんと凄いことだろうか。という訳である。

それに、日本人というのは、昔からハンディを負った人物が、努力して人並み外れた偉業を達成する話に弱い。ヘレン・ケラーや耳の聞こえないベートーベンが戦前・戦中に人気があったのは、そういう国民性による。さらにメディアがそれを煽る(特に女性週刊誌)。

だから日本の大騒ぎに一番驚いているのは彼自身だろう。

ピアノ演奏の場合、体から離れている場所の鍵盤は、ある程度横目で場所を確認するが、レガート奏法で指を動かしている場合、案外目をつむっていても弾けるものである。まして、バイオリンなどのアナログチックな楽器は、暗譜していれば演奏中は視覚など関係ない。

ある程度楽器を弾ける人、プロのミュージシャンが今回のことで関心しているのは、全盲で演奏していることよりも、彼の暗譜能力と読譜能力ではないだろうか。点字の楽譜もあるようだが、それでは時間がかかるので、耳で聞いて暗譜しているというのだ。しかも、コンクール用の課題曲まで短期間で暗譜しなければならない。これこそ、ほんとうに驚異的であるが、メディアはなぜか、そのことを詳しく取り上げていない。

ところで、ケチをつけるつもりはサラサラないが、コンクール名にピアニストの名前がついているものは、作曲家の名前がついたコンクールより、あまりレベルが高くない。こう言っては悪いが、こういうコンクールは、ピアノ留学生が生活費用にする賞金を得るために受けるという例もある。

そのことは彼自身がよく知っていることだと思う。

彼はまだ20歳なので、これから人生経験を積み上げて、さらに上の領域に達していくのが楽しみである。次はぜひ「ショパンコンクール」、「チャイコフスキーコンクール」にチャレンジしてください。

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ショパンのワルツ

celeste 仲道郁代愛奏曲集 Music celeste 仲道郁代愛奏曲集

アーティスト:仲道郁代
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発売日:2007/09/26
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       ↑  BSリサイタルで、アンコールにショパンのエチュード作品10の3「別れの曲」を、何か想いいれがあるのでしょう、感極まって泣きながら弾いていました。 こちらも思わずモライ泣きしました。 

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本日、なにげなしにテレビジョンをつけて、台所で昼メシのチャーハンなど作っていたら、ショパンのワルツのメロディーが耳に入り、ピクッと背筋が伸びた。

その旋律は、つけていたテレビジョンからのものであったが、これがトイレか何かの芳香剤のCMの音楽だった。

ショパンの曲、特にワルツやマズルカ、ノクターンなどの小品は、映画などでは喫茶店での待ち合わせなどのシーンに店内で流れていることが多い。また、作品69の2、ロ短調のワルツがテレビドラマのテーマ音楽になっていたことがあったし、他のワルツもCMでもよく使われるが、このBGMとして聞くショパンが、なぜか、ソファにふんぞり返ってステレオで聴くよりも断然、気持ちよく聴こえるので不思議だ。

これらの小品は、たとえば見知らぬ街を歩いていて、どこからか邸宅から流れてくるピアノ曲の調べの哀愁があり、奏でているのはひょっとして、病弱で学校にも行けない、か弱い令嬢ではないかという想像や、クラシカルなロマンスの筋書きを想い描いて、歳がいもなくあこがれるものだ。

コマーシャルに使われるショパンのワルツというと「子犬のワルツ」が多いだろう。これは外国では「一分間のワルツ」と呼ばれる。演奏時間が短いがためだ。

また題名に「華麗なる・・・」とついたワルツもよく使われる。

しかし、今日聞いたワルツ、作品70の3、変ニ長調は珍しい。テレビで流れるのを聞いたのは初めて。

この曲はショパンが初恋の人を想って書いたオノロケの曲で、躁病的に明るい。 たとえば、安っぽい恋愛物ドラマのシーンでは、白樺林などで恋人同士がふざけて追いかけっこなどをしているが、その情景のような、幸せいっぱいのワルツである。

実はこのワルツ、15年ほど前に練習したことがある。しかし、中間部のシンブルなメロディー部分が意外に難しく、その後、捨て置いていた。

この曲の面白いところは、最初の右手が2声になっていることで、その対位法的な進行は弾いていても楽しい。ただし、下声部は最初、強い力の親指を使うので、その音を抑えるのがちょっと難しい。

しばらく進むと、右手の4度の和音のレガート進行が現れるが、これもハノンなどで指を鍛錬しておかないと、ちょっと難しい。

この際、コマーシャルを聞いたきっかけに、終わりまで弾いて完成させようと思う。中年オヤジが弾くには、ちょっとばかし、恥ずかしい曲なんではあるが。

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「ゴッドファーザー」のイメージ音楽

モーツァルト : ピアノ協奏曲第17番・第20番・第21番・第23番&第24番 Music モーツァルト : ピアノ協奏曲第17番・第20番・第21番・第23番&第24番

アーティスト:ルービンシュタイン(アルトゥール)
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持ち前のアマノジャクで、大ヒットしている映画は反発してめったに観ないことにしているのだが、私が高校生のときから始まり、パート2、パート3と続いて大ヒットしたコッポラの「ゴッドファーザー」も、全ピソードを未だ1カットすらも観ていない。

それで、そろそろ観ようかと思っているのだが、大分前から、観てもいないのに、この映画の内容のような、血で血を洗う残酷、かつ悲壮な家族関係をイメージするような音楽があることを感じていた。

それは

モーツァルトのピアノコンチェルト23番の第二楽章。

この協奏曲は私の高校のときから愛聴している曲ではあるが、私の思い違いか、夢の中のことか、あるいは錯覚であろうか、「ゴッドファーザー」ではない、題名も知らないイタリア映画の何かのシーンに、この第二楽章のフレーズが流れていたような気がする。

追記: この映画は1966年のイタリア映画「天使の詩」と判明。

そのイタリア映画は貧しい家庭の子供の話だっただろうか。なにか「禁じられた遊び」の内容のような哀しい話である。 しかしやっぱり夢の中の作り事かもしれない。

この物悲しい嬰へ短調の第二楽章はシチリアーノが使われている。つまりイタリア・マフィアの出身地の音楽。 イタリア人のニーノ・ロータが作曲した「ゴッドファーザー」の音楽が、この曲に感じが似ているのはムリからぬことだった。

ただし、ロータのこの映画の、暴走族のラッパにまで使われているあの有名なテーマは4拍子であるが、シチリアーノは8分の6拍子で3拍子系である。

私の耳だけの記憶によれば、映画劇中に使われている別の音楽もシチリアーノにそっくりで、それはたしか3拍子だったはずだ。

ところでモーツァルトのこの曲のピアノのパートは、バイエル教則本(今時こんなものをレッスンに使っているのだろうか)程度の技術で弾けてしまい、私も時々ソロ部分を弾いて物悲しい雰囲気を楽しんでいる。

終わりの楽譜の数ページなど、ピアノを弾けない人でも右手の指1本、左の指1本で奏でられてしまうが、オーケストラ部分と合わせ、実はこの部分が最も情緒があるところで、涙が湧いてくるほど哀しいフレーズが曲をしめくくり、まるでコルレオーネ・ファミリーの終焉を彷彿させる。 

音楽とはリストのような技巧を使わなくとも、人を十分感動させられることを教えてくれる。モーツァルトの天性を感じる部分だ。

「ゴッドファーザー」のDVDを借りてきたら、テーマ音楽の部分、あるいは物悲しいシーンでは音を消して、この第二楽章のCDを流してみようかと企んでいる。

追記: 「ゴッドファーザー」のテーマとこの第二楽章の音階が似ているのは事実であるが、同じ調性・音階であるかは私の音感では分からない。 探偵、天出臼夫に調べてもらうしかない。

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シフラの演奏

 ピアノ作品集/Cziffra Plays Transcriptions ピアノ作品集/Cziffra Plays Transcriptions
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ジョルジ・シフラと言えば、ハンガリー出身のビアニストで「リストの再来」と言われた人だ。

ピアニストのなかで、リスト弾きは沢山いるのだが、中には巨匠の雰囲気を装うためか、わざと難曲をゆっくり弾いて「どうです、味わいのあるリストの演奏でしょう」と、ゴマカシてしまっている人もいる。

リストのピアノ曲というのは、晩年の作品を除き、はっきり言って名人芸で、原色的イメージの単純なものであって、超絶的にできるだけ早く、大きな音を出して弾くのが正しい。

そんなピアニストがいる中で、シフラは文句無く、正真正銘のリスト弾きだ。

彼は速く弾けるものは出来るだけ速く、大きな音が出せるものは出来るだけ大きな音を出して演奏した。

また、可能な限り、難しく編曲して弾いた。この原曲をピアニストが編曲して演奏するというのは、19世紀では普通のことであり、作曲家も公認のことで、リスト本人もそうだった。 ただし、ショパンは、自曲の演奏はオリジナル通り弾くことを望んだ作曲家だった。

私の子供のころのリストの演奏レコードというと、ほとんどシフラだった。東芝EMIのエンジェルレコードというのが、彼の演奏のものだった。

そのレコードの中で、リストではなく、ハチャトリアンの「剣の舞」の録音があり、彼のアレンジによるこの演奏が、まったくKICHIGAIじみているというか、人間技を超えたデーモニッシュな編曲と演奏で、数十年も前から驚嘆していたのだが、その演奏の楽譜がユーチューブで見つかったので、メモをする。親切に演奏に合わせて楽譜が動いてくれる。

http://jp.youtube.com/watch?v=SjTwVI_jyK8

さらに、この演奏を自動ピアノで弾いた演奏があったので、これもメモしておく。

鍵盤とハンマーのすさまじい動きが良く分かる。

http://jp.youtube.com/watch?v=78PDzZLc874

追記:オリジナルの楽譜では、伴奏のバス音は和声が厚いが、自動ピアノ演奏では単なるオクターブ音になっている。

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アニメのピアニスト

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ユーチューブ・サーフィンをやっていると、思わぬ映像に出くわし、もうけた気分になれる。

最近は「トムとジェリー」制作の元となった、

「ミルキーウェイ」1940年作品、http://jp.youtube.com/watch?v=V2URYX9nfQA

やアヴェリー作品の未見のものまで発見して大喜びしている。

あの当時のアメリカのアニメのキャラクターたちは、よくピアノを弾いている。 リストの「ハンガリアン・ラプソディー2番」に関しては、三匹の動物たちが弾いていた。

★まずはミッキー。1929年の作品

http://jp.youtube.com/watch?v=o5zdHAspBAQ&feature=related

出だしはラフマニノフの前奏曲。その後リストを弾いている。当時ラフマニノフは健在で、彼は「私のこの曲はどこでも弾かれているが、ミッキーの演奏が一番良かった」と言っている。

★そしてWBのバックス・バニー。1946年作品。

http://www.imeem.com/superaton/video/TlKn7kQt/rhapsody_rabit_animation_video/

これがなんと「トムとジェリー」のアカデミー賞作品「キャット・コンサート」の前年に公開されていた。 リストの曲だけでなく8ビートのジャズや「チョップスティック」まで弾いている。 トム・ジェリの作品は、この作品の影響を受けたことは大である。

しかも、前に指摘したことがあるが、グランドピアノの内部の描写で、ハンマーが上から下に降りて弦を叩くという構造上の間違いまで一緒だ。

だが、作品の出来具合としては、やはりトム・ジェリの作品のほうが優れていると私は感じた。 さすがアカデミー賞を取るだけあって、構成が卓越している。 似ているシーンがたくさんあるが、モノマネに終わっていない。 それに対してバックス・バニーの方はカット割が荒削りだ。ネズミのキュラクターも貧弱に感じる。

★そしてこれが「トムとジェリー」の1947年、アカデミー賞作品。

http://jp.youtube.com/watch?v=fqxZ3AYjuJo

オープニング・タイトルで流れている曲は、ショパンの24の前奏曲の24番目をオーケストレーションしたもの。

ウッドペッカーもピアノを弾いていたのを記憶している。これから探してみよっと。

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バッハのプレリュード

バッハ:平均律クラヴィーア曲集 Music バッハ:平均律クラヴィーア曲集

アーティスト:グールド(グレン)
販売元:ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
発売日:2004/11/17
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ピアノを弾かなくなって久しいが、時々酔っ払うと鍵盤の前に座って音を鳴らすことがある。

ピアノという楽器は音が既に準備してあって、大変便利な楽器であり、ネコでも音を出すことができる。

というわけで、一応、私でも音は出せる。

最初ハノンの練習曲の中にある、ハ長調の音階のユニゾンを弾く。この音階の鍵盤はすべて白鍵だけだが、実はこれが一番弾くのが難しい。これはショバンも発言していることである。

弾くのが優しい音階は、黒鍵が多く含まれるもので、フラットが五つの変ニ長調やシャープが五つのロ長調などが、もっとも弾きやすい。親指をくぐらせ易いからだ。

音階の練習だけでなく、ハノン先生の作ったこの指のハードトレーニングの曲集は実にすばらしいもので、三日練習をサボッていても、1時間も弾けば、指は元通りになり、再びピアノと仲良しになれる。 ただし、子供にとっては、このレッスンはチェルニーとともに拷問に近く、せっかく買ってやったピアノがタケモトピアノに引き取られてしまう原因となっている。

つっかえながら10分も音階をさらった後は、必ずバッハのプレリュードの一番を弾く。

この曲は後に作曲家のグノーが「アベ・マリア」として編曲し直し、すばらしい効果をあげている。あれはまさに音楽の実用新案と言ってもいい。

この曲を正確に言うと、「程よく調律された鍵盤楽器のための曲集」の第一部・プレリュード1番というところか。日本では平均律クラヴィア曲集と言われているが、これは誤訳である。1オクターブを半音で12に割っても数学的にちっとも平均ではない。

このやさしいプレリュードは、あらゆるピアニストの演奏で何度聞いても、また、私のヘタクソな演奏で何度弾いても飽きない。

それがたいへんドラマチックで、映画音楽みたいに聞こえる。いや映画そのものというか、まるで黒澤映画のように明快な起承転結がある。

途中、不協和音になる部分、22小節から23小節は、ドラマの転換部分であり、そこから27,28小節に至っては劇的終局、クライマックスとなる。

また、いろいろな弾き方を楽しめる曲で、グールドのようにスラーとスタッカートを併用して弾いたり、そのドラマチックな部分はフォルテにして、ペダルを踏まずに音のピントをはっきりさせたりして、表現を拡大させることが出来る。

ペダルの使い方もようようで、まったく踏まずにバス音を強調させてもいいし、一拍目で踏んで3拍目で踏みなおす、あるいは第一拍目ごとに踏みなおすという、いろいろな方法がある。

ちなみに私は23小節はペダルを放して右手の「シ」と「ド」の不協和を濁らないように弾いている。この部分はテンポを遅くし、フォルテで弾けば、音のフォーカスがはっきりし、次ぎのシーンへ期待をもたせることが出来る。

この曲集はフーガとセットで48曲あり、第2部と合わせれば、なんと96曲もあるのだが、この一番最初のプレリュード一曲だけで、既に銀河系・小宇宙といってよく、キャパシティーは無限だ。

後年の作曲家の巨匠たちも、どれだけこの曲でインスピレーションを受けたかわからない。

ショパンのエチュードの作品10の1番、ハ長調はこの曲を参考にしているが、彼はバッハに敬意を表しているのを感じる。

そんな、おおげさに言えば、「2001年宇宙の旅」のモノリスのようなこの曲が、ちょっとピアノをカジリ始めたオトーサンでも弾けてしまうのだ。

もし神さまからピアノは1曲しか弾いてはいけないと宣言されたら、私は迷わずこの曲を選ぶだろう。

---- ユーチューブ、デビット・エドワード・スミスの演奏 ----

http://jp.youtube.com/watch?v=DAZ8KNsZSCg

 

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ルービンシュタインの音楽

ショパン:ピアノ・ソナタ集&幻想曲 Music ショパン:ピアノ・ソナタ集&幻想曲

アーティスト:ルービンシュタイン(アルトゥール)
販売元:BMG JAPAN
発売日:2007/11/07
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二十何年も前に亡くなったピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタインの横顔写真を久しぶりに見たので、思い立ってこれまた久しぶりに彼のCDを聞いた。

彼の演奏で、私のお気に入りの一つはショパンのピアノソナタ3番で、戦後生まれの技巧派ピアニストの演奏と比較すれば、多少荒削りのところもあるが、やはり素晴らしい演奏だと思う。

特に第一楽章のシンプルな単音だけのテーマのフレーズの演奏は絶品で、天国にいるような幸福感を得ることができる。長いすにもたれかかって聞いていると、そのまま天に召されてもいいくらいだ。第三楽章となると、もう天国に来ているようだ。

先ごろ亡くなったチャールトン・ヘストン主演の映画「ソイレント・グリーン」の一シーンにエドワード・G・ロビンソンが、安楽死マシーンにかかるのに、ベートーベンの「田園」を聞きながら死んでいくところがあったが、私だったらこのCDをかけながら死んでいきたい。

彼の演奏ではショパンのワルツも素敵で、特に最晩年にイタリアで録音したものが、また天国的に素晴らしい。この演奏では原典版と、フォンタナ版との両方取り入れた解釈を行っていて、少し混乱するところもあるが、ユニークかつ端正な演奏で、ピアニストや練習生のお手本になるレコードだ。 

録音がメリハリが効いていて、ダンパーペダルの利かせ方がよく分かる。 ショパンのワルツの演奏では3拍目か、3拍目の少し手前で、ペダルを放さなければならないのだが、ルービンシュタインの演奏は楽譜に書かれたこの手法を忠実に守っていることが、この録音ではよく分かる。

若い頃、子供の頃に聞いた音楽、演奏というものは、本人にとっては人生の友となり、永遠のスタンダードとなることが多い。

私にとって、ルービンシュタインがラインスドルフと組んで1962年に録音した、チャイコフスキーピアノ協奏曲1番は、小学校6年の頃から、スタンダードになっている。

だから、その後、あまたの、違う演奏家のこの曲を聞いて来たが、その時もルービンシュタインより演奏が良くないな、この部分は遅いな、この部分は速過ぎるなと比較してしまうことになる。

ルービンシュタインは、ライバルの陰性で研ぎ澄まされたホロヴィッツと比較して、正反対の性格といってもよく、まったく陽性で、社交的で、ジョークの絶えない愉快な人物だった。抜群の記憶力の持ち主で、何十年前の何月何日の何時にこういうことがあったと、昨日のように思い出すことが出来る人である。

プライベートでは葉巻、酒、旨いメシ、女、旅行を愛したひとであり、天寿を全うして、天国に召されたピアニストでもある。

そういうキャラクターも音楽に幸福感を与える要素かもしれない。

ルービンシュタインの映画の仕事というと、シューマンの妻・クララを扱った映画で、クララを演ずるキャサリン・ヘップバーンのピアノの吹き替え演奏を彼が担当した。

一度観てみたいが、ソフトは手にはいるだろうか。その題名を知らない。

また彼の息子の一人は映画俳優で、私はテレビ番組の刑事役で出演しているのを見たことがある。その天然パーマは親譲りだった。 その題名は忘れた。

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おっそろしい演奏

BMG JAPAN ホロヴィッツ/アーティスト・オブ・ザ・センチュリー〜世紀の名演奏家1 ホロヴィッツ BMG JAPAN ホロヴィッツ/アーティスト・オブ・ザ・センチュリー〜世紀の名演奏家1 ホロヴィッツ
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「おっそろしい」とは名古屋弁で「恐ろしい」の最大級をいう。

何が恐ろしいかというと、ホロヴィッツが1953年にカーネギーホールで演奏・録音した、プロコフィエフのピアノソナタ7番の第3楽章のことだ。

第2次大戦中に作曲されたので「戦争ソナタ」と呼ばれるものの一つであるが、この第3楽章は、よく戦車が突進してくる様子を顕わしているようだと言われる。

当時のソ連の戦車は性能もよく、大きくて、それがキャタピラの音を響かせて向こうからやってきたら、さぞ怖いだろう。

映画では「プライベートライアン」でドイツ軍の戦車の音を効果的に使い、戦場の恐怖を再現していた。あれはもう「ジュラシックパーク」の恐竜の地響きのようであった。

だが、ホロヴィッツの演奏は戦車の音の恐怖を超えている。

8分の7拍子で強烈な和音が、始終、連打されるが、それはもう戦争の武器でいうならば、まるでボフォース40ミリ機関砲の連続発射といってもいい。

「ランボー」では完全にキレたスタローンが、本部基地の機械装置をマシンガンでぶっ壊すシーンがあるが、発射のリズムがそれに似ている。

それは ダッ ダッ ダッ ダッ ダッ ダッ という感じであろうか。

しかし、マシンガンの発射音というような生易しい音ではない。

ホロヴィッツの出す音は、厚い鋼鉄の板をブチ抜く砲弾の音である。 

あのような圧倒的に強力な打鍵能力は、日本人ピアニストには無い。

ホロヴィッツの腰から肩、腕にかけては、生理学的にみてどういう構造になっているのだろうか。 とても人間がなせる演奏・音ではない。

最後のしだいにクレッシェンドしていくところは、いつもイスから転げ落ちてしまう。 完全に「マイッタ」の状態。

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ベーゼンドルファー

オーストリアのピアノメーカーであるベーゼンドルファーがヤマハに買収されるという。

1828年創業の老舗であり、完全に一台ずつ手作りの楽器であるから、大量生産で、流れ作業で作るピアノメーカーの傘下になるのは、さぞこの楽器のファンも楽器職人もショックであろう。

ただ、ヤマハ楽器も「ベーゼンドルファー アンド ヤマハ」などとピアノの鍵盤の上に名前のプレートを貼り付けるような愚直なことはしないと思う。

私は特にこのメーカーのピアノに思い入れはない。 台数が少ないこともあり、レコード録音もそれほど多くなく、ホールにも、必ずしも完璧なピアノがあるわけではないからだ。生演奏も一度だけ聴いただけである。

だから、この楽器の音については、スタインウェイやヤマハのように、聴きなれていないので、なんとも言えない。 よく「いぶし銀」の音と言われるが。

その、一度だけ聴いたのは、インペリアルという型番のもので、通常のピアノの鍵盤数88鍵より低音部分が9鍵多いタイプのものである。その増えた鍵盤の部分は弾き間違えないよう、白鍵の部分も黒くしてある。

低音弦ほど長くなるので、このピアノは20センチほど、他のコンサートグランドより奥行きが長く、見た印象は、はるかに大きく感じて、まるで小型トラックといってもいい。

増えた低音部分の利用効果は、ピアニストの裁量で行われるといってもよい。

グリークの有名なコンチェルトの最初、出だしのカデンツァで、最低音からアルペジォとなるところは、最低音に、通常のピアノには無い、オクターブ下の同音を同時に鳴らして、ど迫力の音を出すことが出来る。

私が生演奏で聴いたのは、野島稔氏の所有による、同氏のチャイコフスキーの一番だったが、音響効果の悪いホールで、おまけに最後部の席だったので、残念ながらこのピアノの音を味合うことも、重低音を利用したかも分からなかった。

一度でいいから、このピアノのそばにいって、しげしげとながめ、できれば重低音部の鍵盤を叩いてみたいものだ。

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暖かい、サンソン・フランソワの演奏

 私がフランソワの演奏に触れたのは中学1年ごろであり、1971年のことである。たまたま家にあったEMIのレコードのショバンの名曲を集めたものでだ。 そろそろ生意気になってくる年齢であり、生来のヘソマガリの性格もあり、クラッシックのレコード盤に針を下ろしてみたのだ。 ただし、全くのクラシック1年生ではなく、親父がピアノの教師をやっていた関係で、幼少から、親父の弾くショパンのワルツなどを耳にしていた。

 そのレコードにはおなじみのノクターン、ワルツ、ポロネーズ、エチュード、バラード、スケルツォなどが録音されていたが、そろそろロマンチックなるものに開眼するころであり、やはり一般大衆の好みにならい、ノクターンの2番や5番、「別れの曲」、「幻想即興曲」などにウットリしたものである。 またスケルツォの2番のダイナミックな演奏には興奮したものだが、後になって、フランソワは大変遅いテンポで弾いてることが分かり、自分はなんと他愛の無い人間だとあきれたことがある。

 とはいえ、フランソワの弾くノクターンの2番は、今聞いても絶品である。しかし、この曲は大の大人には、弾くのも聴くのも少々恥ずかしい曲ではある。 ちなみに映画「愛情物語」のテーマといえばお分かりであろう。

 彼は時々、フランソワ節といわれる、くどいテンポルバートを使うが、彼の弾くこの2番もそうだと予想したらどっこい、抑制された絶妙なルバートで、早いデンポでサラリと弾きこなしているのだ。だから彼の演奏を聴くと恥ずかしい感じがしない。

  若いときに聴いた曲や演奏というのは頭に一生残り、それがスタンダードになってしまう。 だからこの曲では、他のピアニストによって、ルバート過多のセンチメンタルで感情をこめた、恥ずかしい演奏を耳にすると、私はフランソワの演奏が定番として頭に刻み込まれているから、とても聴いていられない。

 それから彼の弾くピアノ演奏はなぜか私には大変暖かく感じられる。 特にそう感じるのはエチュードの3番で、日本だけで「別れの曲」と呼ばれているアレの演奏だ。 声の高いお兄さんのヒットした歌で「おじいさんの古時計」という歌がありますね。 あの曲のメロディーが「別れの曲」と似ていることもあり、私にはフランソワの弾くピアノの音で聞くと、 暖炉が燃えている前で、揺り椅子に掛けながら、おじいさんから昔話をきかされているような暖かい気持ちになるのです。

 この曲だけでなく、なぜかバラードの1番も、ワルツも音が暖かい。ショパンだけでなく、ドビュッシューの「雪がふっている」ですら暖かく感じる。

 またフランソワは時々演奏中に悪魔が乗り移ったかのような、天才的デーモニッシュプレイを披露してくれて、しばし興奮させてくれる。 

 特にバラードの1番の4拍子部分、劇的カタストロフィーのクライマックスの演奏は、だれよりも早いテンポで弾きこなしており、まさにショパンが楽譜で指定したpresto con fuoco(とても速く火のように)を忠実に再現している。

 このような演奏は素直に聴衆を熱狂させてくれて、エンタテイナーでもあるだ。 残念ながら私はライブ演奏を聴いていないが、デーモニッシュな演奏の終わりにポロリとミスタッチして、終わった後、恥ずかしそうにおじぎをし、聴衆の笑顔と盛大な拍手でステージを後にするというのだ。

 ただし、まったく残念なことには、レコードのEMIの録音が良くないことであり、彼にとっても不幸なことであった。 

 そのフランソワが1970年に死去していたことを後で知ったときは、ショックで茫然としてしまった。 リパッティといいフランソワといいフランスの天才的ピアニストはなぜか夭折してしまう。

 

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リヒテルの素顔

 NHKBSにて「リヒテル謎のピアニスト」というフランスで制作されたドキュメンタリーが放送された。 リヒテルは気難しいことで有名であり、さらにカメラ嫌いということであったから、彼へのインタビューで進められる映像は貴重であり、ピアノファンにはありがたいことである。 

 彼は1997年に死去しており、鮮明なビデオテープの映像で拝見できる彼の素顔と声は、いまだどこかに生きているかのようである。 インタビュー中の彼は、地味なシャツの普段着で、質素な机にすわり、彼の後ろの壁も単なるベニアの板のような造りである。 凡庸なドュメンタリー演出家だと、こういうカットは、必ずびっしりと蔵書が並んだ本棚をバックにするはずだ。あるいはリヒテルがそうするよう望んだのかもしれない。

 すでに老齢の彼は、俳優でいえば、笠置衆に似ており、声も弱弱しい。 だが記憶力はかくしゃくとしており、時々過去の愉快なエピソードをいたずらっこのような顔で話してくれる。 これを見たら彼へのイメージはだいぶ変わってくるはずだ。 インタビューで見せる彼の素顔は、もう町内の敬老会にいる普通のじいさんである。 

 やはりソ連にいたということもあり、愉快なことばかりではなく、時には当局から尾行されたり、肉親の尋常でない不幸に遭遇しているが、当時のソ連人の芸術家としては、まだラッキーなほうではなかったか。スターリン時代は、ちょっとした発言や、演奏曲目では、へたをすると生きては還れない収容所行きとなりかねない状況だったので、世渡りは案外上手だったのだ。 やはり、芸術家は政治と思想と経済には、すくなくとも表向きには興味のない素振りをしたほうが無難である。 そして彼はそうした。

 映像には時々、彼の演奏フィルムが流れ、大変参考になった。ショパンの練習曲作品10の4の演奏は、私が聴いたものでは、かってないほど一番早いテンポの演奏であった。まるで、シフラの弾くリストの「半音階ギャロップ」に匹敵するモーレツ演奏である。 プロコフィエフのコンチェルトやソナタなども迫力ありました。 ゆっくりしたテンポのシューベルトのソナタも味わいがありましたね。 

 彼の弾くシューベルトには、グールドも感動したと、本人のインタービューがありました。 グールドの普段の態度は、弾いてる時ほど変人ではありませんぞ。

 貴重な映像では、彼の師匠であるゲンリックネイガウスの姿を見せてくれたことであり、彼の演奏シーンとリヒテル家のクリスマスパーティに呼ばれた際の普段着の姿を見ることができました。 

 傑作はリヒテルが映画出演したシーンで、それは「グリンカ」というロシア映画でのリストの役で、結構うまく芝居していましたね。役者ですね。 たぶん彼の30代後半の頃の撮影だと思いますが、若ハゲでしたから、リストのあの「チビまる子」的ヘアスタイルのかつらをかぶり、片足をピアノの椅子の下の奥までつっこみ、リストの派手で超絶的かつカリスマ的演奏を再現していました。 なんたって本当に弾いていますからね。 

 そのリヒテルが死んでもう10年たちました。 番組の中で言っていた彼の言葉で印象に残ったのは 「私はピアノは選ばない。その会場にあるものを使う。ひどいピアノで最高の演奏をしたこともある。」 でした。

 

 

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身の毛もよだつアシュケナージの演奏

 ウラディミール・アシュケナージは身長・体重とも日本人に負けないくらい小柄であるが、彼の奏でるピアノ音楽においては、フォルテシモは、厚き氷河が崩壊するかのような轟く音であり、早いパッセージのピアニッシモはヒバリの飛翔のごとき軽やかさである。 

 彼の録音において、私が思わずゾー!と鳥肌が立った演奏は、ショパンの練習曲、作品25の三度の和音のレガート曲である。 あらゆるピアニストの中で彼ほど、あのように、滑らかに弾ける人がいるだろうか。しかもピアニッシモで。ノンペダルで。 この演奏の下降部分を聴くたびに、私は意識がフット途切れるかのような恍惚感覚をきたす。 この曲でショパンコンクールの並居る審査員を「あっと」言わせたのも理解できる。

 もう一つはリストの「超絶練習曲」の「鬼火」。 これまたピアニッシモでかなり早いテンポで、あの複雑に編みこまれた綾縄のようなパッセージを軽やかに弾いているのだ。 たいていのピアニストはどうしても力が入ってしまい、フォルテで演奏してしまうのではないだろうか。 

 おそるべきアシュケナージである。 

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