「渚にて」の次ぐ、核戦争終末物映画である。
話は平凡な一家を中心に進められ、貧乏人の私としては親しみやすい。これが、小津の映画のように、企業の重役椅子に座っている主人公中心では、チト見づらい。
フランキー堺の娘として、星由里子が出演しているが、当時17歳ということで、驚いた。大変大人びていて、演技も堂々としている。今の同年のタレントにあれができるだろうか。
フランキーの家の間取りは玄関を開けると4畳半の茶の間で、横に台所。この台所は洗面もかねる。
茶の間の奥は6畳くらいの仏間と縁側、庭がある。木の階段を登ると4畳半の和室である。二階には物干しがある。
これが懐かしい。 昭和30年代半ばの話だが、私の幼児のころの家のまんまである。あのころは友達の家でもこんなふうだった。
茶の間には14インチの真空管テレビが、4本の足を生やし、カバーをかけられて偉そうに構えている。 カラータンスがある。
2階の和室は間借りさせていて、宝田明が下宿している。そして星由里子といい仲なのだ。
宝田は船の通信士をしていて、この下宿でも、アマ無線をしている。
この無線室のセットがよくできている。私の小学生のころ、友人の兄はハムであったが、昔の無線機は自分で組み立てたものであり、この映画のセットそのものであった。おそらく、スタッフか、その知人にハムがいて、そっくり無線機群を借りてセッティングしたのではないだろうか。
映画では星由里子も無線の免許を取得し、ラストシーンへのつながりとなる。
余談であるが、アマ無線は、あの当時から、簡単な試験の無線電話の資格があるにもかかわらず、星はいきなり難しいモールスの免許(当時、電信級といった)を受けており、しかも和文モールスまでマスターしているので、アマチュア無線家には意外なことである。
さて、この映画は、そのフランキーの一家と、父親のいない母子家庭一家の離別、無線通信士の船上での話し、という形で物語が進行し、一方、ミサイル基地での緊迫、日本政府のむなしい対応が進む。
これだけの話を一本の映画に盛り込むのは大変なことであり、脚本のすばらしさとともに、松林監督の手並みの良さが良く分かる作品である。
しかし、核戦争ものは、あまたあるが、あくまでも市井の家族をメインストーリーとし、核による世界戦争のむなしさを訴えたのは、この映画が最初ではないだろうか。
松林監督は僧籍でもあるが、映画には宗教の壁を超えたシーンがあり、これは私の考え方と同じで、考え深いものがあった。
なにげなくて衝撃のシーンがある。
子供たちが、学校から早退して家に帰ってきて言う。
「戦争がはじまったから、先生が家に帰りなさいって」。
フランキー夫婦は知らず、うろたえて、ラジオのスイッチをいれ、核戦争勃発のニュースを知るのだ。
これは、本当に現在でもありうるシチュエーションであり、古い映画とはいえ、想像すると自分でも、うろたえ、茫然としてしまう。
フランキー一家による、最後の晩餐は泣けてくる。
ちゃぶだいの上には、いなりずし、海苔巻きずし、小さなオムレツがある。当時ではささやかな一般家庭のご馳走だ。そしてなんとメロンが用意してある。メロンなどというものは、当時入院しなければ食えなかったシロモノである。
「今日はごちそうだね」と、事が良く分かっていない子供たちは喜ぶが、これが最後の食事なのだ。
その子供たちも、しだいに状況が分かってきて、あきらめた顔つきとなる。しかし決して泣き叫んだりしない。
フランキーによる物干しでの慟哭シーンは、彼の一世一代の名シーンに数えられる。 何度見ても涙なしには見られない。
このシーンはフランキーの要望により、撮影は一番最後に行われた。
こぼれ話:
「世界大戦争」と同時上映は、東宝の突撃隊長、古澤憲吾監督による「アワモリ君乾杯」で、なんと主演の坂本九が、悪漢を追いかけ東宝撮影所に乱入、「世界大戦争」のリハーサル現場に飛び込み、あっけにとられたフランキー堺や星由里子、松林監督を尻目に、東宝の倉庫に駆け込み、悪漢はモスラのキグルミに隠れるという、楽屋落ちの珍シーンがある。
・・・・このシーンをユーチューブで発見した。
http://jp.youtube.com/watch?v=GyNsyhjkaJI
神妙な映画を観たあとであり、観客も唖然としたであろう。東宝も粋なことをするものである。
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