« GODZILLA  ゴジラ | トップページ | 社長学ABC、続・社長学ABC »

トランシーバーが欲しかったんだよ

 亡くなった俳優、小沢昭一さんの唄に「ハーモニカが欲しかったんだよ」というのがある。
彼のような昭和ヒトケタの世代にとっては、ハーモニカもなかなか手に入れられない高価なものだったというのがうかがえる。
 
 さて、昭和フタケタの私の時代はというと、男の子の欲しかったものはトランシーバーである。トランシーバーといっても、無線通信に使うマイクの後ろにあるミカン箱のようなやつではなく、携帯して手に持って使用する、ウォーキー・トーキーと呼ばれるもので、半導体のトランジスタが大量生産されはじめた昭和30年代から出回り、これはまず警察や消防などで実用品として使われ始めた。(ビートルズ来日の記録映像にはファンの整理で警官が使ってるのが見えますな)
 
 ただし、それはCB無線という、当時ではほぼ業務用のもので、小学生が気軽に扱うものではなかったが、子供たちはあのピカピカ光るロッドアンテナを長く伸ばしたカッコイイ小さな箱に、絶大なる憧れを抱いていたのである。少なくとも私は。
 そんな少年たちの夢をかなえさせてくれたのが、玩具トランシーバーで、オモチャ屋のショーウィンドーの一番上段に、「電子ブロック」と並んで昔の八百屋のメロンのように偉そうに鎮座されていた。
Photo
↑箱に3トランジスタと記してある。これが最低基準のセットで、通話距離は50メートルが限界。006P.9V電池の存在も友達のトランシーバーで知った。
Photo
 
↑自分が欲しかったのは学研のラジホーンではなく、・・・・(ラジホーンの本体プラスティック成型一体型のデザインが、なにかチープに見えて嫌だった)・・・・、映像で一番下段に並んでいるやつで、特にスピーカー部分が四角いアルミメッシュになっているタイプが欲しかった。スピーカーが丸いデザインの物も嫌いであった。恐らく輸出用のこのタイプだと、5トランジスター(5石)式くらいで、街中だと100メートルくらいまで通話距離が伸びた。
 
 さて、当時の少年たちは悩んだ。コイツの値段が安いもの(↑の3石式)で3,000円したからである。サンダーバードの一番高価なプラモデルの秘密基地セットよりずっと高かった。
 昭和40年当時の公務員のお父さんの月給は5.6万円位なので、今の物価では3.4万円するシロモノ。だから親にせがんでもなかなか買ってもらえるものではなかった。いや、アレを買ってと気軽に口に出すのも恐れ多い存在であった。
 
 つまり、トランシーバーというのは、今の大のオトナならフェラーリのような雲の上のものであったが、コイツを、なぜか、たいがいクラスの一人は持っていて、休日の運動場や遠足などでは周りに見せびらかしていたものだった。
 
 毎日もらっていたお小遣いは1日10円で、これで名糖ホームランバーなら一個、不二家ポップキャンデーやカクダイのクッピーラムネなら二個買えたが、これら買い食いを我慢して貯金してもトランシーバーを手に入れるには一年ほどかかってしまう。自分にはそんなこらえ性はなかった。
 
 それではお年玉はというと、親からもらうのは、せいぜい300円くらいで、私の家庭では両親の親戚筋からもあてにならなかった。冬休みが終わった学校で友達からお年玉が全部で3,000円になったと聞かされたときは驚愕し、自分の不幸な境遇を憂いたものだった。     
 あのころ「ビーバーちゃん」というアメリカのテレビ番組で、主人公のビーバー少年が親戚から10ドル(当時3600円)もらうシーンがあり、これにも驚いたものである。
 
 あれから50年、いまだにトランシーバーとお年玉3,000円に憧れ続け、夢にまで現れてくる。困ったものだ。
 
 
 
 
 

|

« GODZILLA  ゴジラ | トップページ | 社長学ABC、続・社長学ABC »

アマチュア無線」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/412224/67517952

この記事へのトラックバック一覧です: トランシーバーが欲しかったんだよ:

« GODZILLA  ゴジラ | トップページ | 社長学ABC、続・社長学ABC »