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幻想即興曲は弾くべきか

 
はい、弾くべきです
 
 中高年のピアノ愛好家として、最近、そう思うようになりました。
 
 この曲の練習を始めるようになったきっかけは、ピアノ教師であった私の叔母(田舎のことですからピアノのオケイコのセンセです)が発表会の模範演奏でこの曲を弾いたらしいことを最近になって知り、なにかしら対抗心が湧いたためです。
 
 以前はこの曲をまったく弾きたいとは思わなかった。理由は、いかにもショパン・ショパンした通俗曲で、例えばそういう曲というとノクターン2番、別れの曲、革命などが該当すると思うけれど、みんなが憧れる曲、誰もがいつかは弾いてみたい曲にはこの幻想即興曲も必ず入っていて、そういうショパンの「巨人・大鵬・卵焼き」的存在・・・・これは一般論ではなく私の感情です。・・・・に、何かモヤモヤした抵抗を感じていたこと。
 だから、皆が一斉に右を向けば左を向くアマノジャクのうえ、世間のブームに乗るのが嫌いな自分としては弾きたい選曲から除外していた。
 さらにもう一つの理由として、この曲の中間部の甘い、あまーいセンチな感じがちょっと鼻についていて、これもショパン・ショパンしているところに反発を感じていた。
 
 かなり古い時代の音楽評論家・野村光一氏など・・・・プロコフィエフがアメリカに渡航する途中、立ち寄った日本で彼の演奏会をプロモーションした人物・・・・は、この部分をサッカリン(合成甘味料)的甘さがあると評していたものだ。(ハネカーの評論を彼が翻案したもの)
 
 数十年前の何かのテレビCMで、この甘い部分が流れるなか、ナレーションで「ショパンとサンドは手に手を取ってマジョリカ島にやってきた」なんて女性週刊誌のタイトルみたいなのをやっていて、作曲家の人生を恋愛小説化する伝記作家のようなやり方に、自分は思わず吹き出したものだ。
 ショパンとサンドのマジョリカ島行きは、ショパンを嫌っていたサンドの二人の子供と一緒で、パリでのサンドとのスキャンダル逃れ(たしか決闘騒ぎまでになったはず)のため人目をはばかりコソコソ行ったのであって、船客や島民が居るなか、そんな小説みたいな駆け落ちシーンどころでは無かったはずだが。
 
 話を戻して、この曲がモシュレスの即興曲や、ベートーベンの「月光」ソナタ(幻想即興曲と同じ嬰ハ短調)第三楽章にあるパッセージをヒントに楽想を得たと思われる部分があり、・・・要するにパクリ疑惑・・・・ そのためか知らないけれど、ショパン自身も楽譜を出版せずホッタラカシにしていたというのにも引っかかるところがあった。
 
 ということで、長々と幻想即興曲をネガティブに語ってしまったけれど、思うにプロのピアニストでさえも、この曲は仕方なしに「ショパン・名曲集」の円盤録音やジュニア対象のコンサートでは「またこれか」という感情で渋々弾いているのではないだろうか。
 
 さて、この曲をピアノ愛好家は弾くべき理由。それは練習曲としても優れていると思ったから。
 
 まず、左手の三連符・八分音符に右手の十六分音符を、向かい合う歯車のごとく交互に嚙合わせるという技術の練習になる。しかもシンコペーションの後打ちではなく、最初の拍はぴったりと合わせなければならない。これだけでも完全なエチュードといえる。
 これは数多の練習曲にも取り入れてある技術だろうけれど、無味な練習曲を嫌々するのではなく、「名曲を弾きこなしてやりたい」という意欲で練習し、飽きずに努力して得た成果は弾けた喜びを生むと思う。これはピアノ練習が嫌にならない、永くピアノを続けるということで重要な事だと思う。
 
↓自分はこの静止画像、2小節目右手の下降が左手と合わせにくく弾きずらい。なにか体操・鉄棒のフィニッシュ・連続ひねり技みたいな感じ。ここが「月光」に似ている部分。
 
 
 もう一つ、手の大きさが八度音程が限界の人にとっては、右手を広げる練習になること。また、右手の2指・3指、2指・4指の拡張練習にもなること。これは最初は疲れるし、場合によっては痛みを覚えるけれど(その場合は緊急停止、休憩)、しだいに弾けるようになっていく。これも退屈なハノンなんかより名曲で上達するという喜びがある。
 中間部のショパンとサンドが手に手をとりあって逢瀬するあまーい演奏は、カンタビーレ奏法の練習になるし、ここも少し三連符の練習になる部分もある。
 
 さて、結論。
 
 ピアノ愛好家は幻想即興曲を練習曲として弾くべきである。たとえ途中でつっかえてもいい。なぜ上手く弾けないのかを考える。またそれがいいのである。そして何十回、何百回と練習する。かのリヒテルでさえ難しい箇所は1000回は練習すると語っていた。また、上達するには他のどの練習曲・・・・チェルニーやクラマーなど・・・を併用練習すればいいかを考えるのもよろしい。これは世のピアノレッスンのまったく逆の方法だけれど、自分ひとりで楽しむピアノ愛好家は自由なので、一向に構わないのである。ピアノ教師が聞いたら怒られそうだけれど無視無視。
 
 そのピアノ教師に就いているピアノ学習者はセンセイには内緒でこの曲を練習しよう。先生に白状すれば、どうせ「あなたにはこの曲はまだ早すぎる」とかなんとかガミガミ言われるに決まっている。そんなのも無視無視。最後まで弾けなくてもいい、たとえ数小節でもいいから弾くべし。練習するべし。
 
↓しだいに速くしていく練習。この曲をいきなり最初から速く弾こうとすると、ハッタメタな演奏になります。
 この曲の構成ABAの最初のAの速度指示はアレグロで、A再現部分はプレストとなっていますが、ほとんどのピアニストは最初のAと同じ速度で弾いているので、特に爆奏する必要はないと思います。
 
 

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