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2016年8月

フランソワの幻想即興曲

 もうかれこれ45年以上、ショパンの幻想即興曲の演奏というとサンソン・フランソワのものをずーーっと聴いてきた。
 高校生のころには彼以外のレコードを集め始めると、フランソワの演奏が、ずいぶんと他のピアニストとは違う弾き方をしているというのが分かった。つまりフランソワ節と言われるやつで、この曲の演奏も例外ではないみたいだ。
 
 
 まず、この曲のABAという構成で、フランソワはAの部分はダンパーペダルをほとんど使っていない。だから音が濁らず聴こえている。私のようなアマチュアの下手くそは誤魔化すためにペダルを誤用し、音を濁らせてしまうのだが。
 
 彼のそのノンペダルのマルカート奏法によるフィンガーテクニックで聴くと、一連のパッセージは一房の葡萄みたいに音が一粒ずつはっきりしていて、乾いた果実がポロポロとこぼれているようだ。
 曲の途中からのオクターブの跳躍から始まる分散和音の部分でもペダルは一部分しか使っていないようで、ここから始まる演奏は、左手の最初のバス音・・・・ 自分はこのバス音が好きで、フランソワの演奏を聴くたびに一緒にこの音をハミングして歌い楽しんだものだ。このバス音は男性の音域にマッチしていて歌いやすい。・・・・
 ・・・・は、指ペダル奏法で、三連符の八分音符の音価を四分音符1拍から2拍分ほど押したまま伸ばして弾いてる。ペダルを踏んでいるように思わせるトリッキーなテクニックだ。
 
↓この先生によるチュートリアルのノンペダル演奏で指ペダルが使ってあります。
 
 中間のショパンとサンドが手に手を取り合ってデートしている甘い部分は、かなり速めのテンポで、しかもほとんど強い音のフォルテで、「このパートは早く終わらせるに限る」と言わんばかりに弾いている。しかし、ルバートを多用し、いかにも二度と同じ演奏はしないような、まさに即興性を感じる名演の一つと言えるのではないか。
 ここは、ふだん違うピアニストによる遅いテンポで歌わせた演奏を聴き慣れている人にとっては、粗削りで少し乱暴に聴こえるだろう。しかし、自分はかねてから、この甘い中間部分は繰り返しがシツコクて少し長いと思っていたので、ハイテンポで流しているフランソワの演奏が、ちょうど良い感じに聴こえる。
 
 そして、全体を聴き終えると、なにか再び立ち上がれることの出来ない諦めの境地、地球の終末の日の最後の演奏みたいな、やるせなさを覚える。
 
 全体的に、フランソワのショパンはこの幻想即興曲だけでなく、ノクターンやワルツ、マヅルカ、ポロネーズなどでも頽廃的なもの、諦念、厭世感が漂っている。フランソワの酒、タバコを愛し、ときにはドラッグにも手をつけていたらしい彼の人生と、40代でポックリ逝ってしまった天才ピアニストの最期を想うのも、そう感じる一因かもしれない。
 
 現代の若いピアニストによる猛スピード爆奏と、歌わせ過ぎの華麗な演奏とは次元が異なる何か独特の世界がフランソワの演奏する幻想即興曲にはある。

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幻想即興曲は弾くべきか

 
はい、弾くべきです
 
 中高年のピアノ愛好家として、最近、そう思うようになりました。
 
 この曲の練習を始めるようになったきっかけは、ピアノ教師であった私の叔母(田舎のことですからピアノのオケイコのセンセです)が発表会の模範演奏でこの曲を弾いたらしいことを最近になって知り、なにかしら対抗心が湧いたためです。
 
 以前はこの曲をまったく弾きたいとは思わなかった。理由は、いかにもショパン・ショパンした通俗曲で、例えばそういう曲というとノクターン2番、別れの曲、革命などが該当すると思うけれど、みんなが憧れる曲、誰もがいつかは弾いてみたい曲にはこの幻想即興曲も必ず入っていて、そういうショパンの「巨人・大鵬・卵焼き」的存在・・・・これは一般論ではなく私の感情です。・・・・に、何かモヤモヤした抵抗を感じていたこと。
 だから、皆が一斉に右を向けば左を向くアマノジャクのうえ、世間のブームに乗るのが嫌いな自分としては弾きたい選曲から除外していた。
 さらにもう一つの理由として、この曲の中間部の甘い、あまーいセンチな感じがちょっと鼻についていて、これもショパン・ショパンしているところに反発を感じていた。
 
 かなり古い時代の音楽評論家・野村光一氏など・・・・プロコフィエフがアメリカに渡航する途中、立ち寄った日本で彼の演奏会をプロモーションした人物・・・・は、この部分をサッカリン(合成甘味料)的甘さがあると評していたものだ。(ハネカーの評論を彼が翻案したもの)
 
 数十年前の何かのテレビCMで、この甘い部分が流れるなか、ナレーションで「ショパンとサンドは手に手を取ってマジョリカ島にやってきた」なんて女性週刊誌のタイトルみたいなのをやっていて、作曲家の人生を恋愛小説化する伝記作家のようなやり方に、自分は思わず吹き出したものだ。
 ショパンとサンドのマジョリカ島行きは、ショパンを嫌っていたサンドの二人の子供と一緒で、パリでのサンドとのスキャンダル逃れ(たしか決闘騒ぎまでになったはず)のため人目をはばかりコソコソ行ったのであって、船客や島民が居るなか、そんな小説みたいな駆け落ちシーンどころでは無かったはずだが。
 
 話を戻して、この曲がモシュレスの即興曲や、ベートーベンの「月光」ソナタ(幻想即興曲と同じ嬰ハ短調)第三楽章にあるパッセージをヒントに楽想を得たと思われる部分があり、・・・要するにパクリ疑惑・・・・ そのためか知らないけれど、ショパン自身も楽譜を出版せずホッタラカシにしていたというのにも引っかかるところがあった。
 
 ということで、長々と幻想即興曲をネガティブに語ってしまったけれど、思うにプロのピアニストでさえも、この曲は仕方なしに「ショパン・名曲集」の円盤録音やジュニア対象のコンサートでは「またこれか」という感情で渋々弾いているのではないだろうか。
 
 さて、この曲をピアノ愛好家は弾くべき理由。それは練習曲としても優れていると思ったから。
 
 まず、左手の三連符・八分音符に右手の十六分音符を、向かい合う歯車のごとく交互に嚙合わせるという技術の練習になる。しかもシンコペーションの後打ちではなく、最初の拍はぴったりと合わせなければならない。これだけでも完全なエチュードといえる。
 これは数多の練習曲にも取り入れてある技術だろうけれど、無味な練習曲を嫌々するのではなく、「名曲を弾きこなしてやりたい」という意欲で練習し、飽きずに努力して得た成果は弾けた喜びを生むと思う。これはピアノ練習が嫌にならない、永くピアノを続けるということで重要な事だと思う。
 
↓自分はこの静止画像、2小節目右手の下降が左手と合わせにくく弾きずらい。なにか体操・鉄棒のフィニッシュ・連続ひねり技みたいな感じ。ここが「月光」に似ている部分。
 
 
 もう一つ、手の大きさが八度音程が限界の人にとっては、右手を広げる練習になること。また、右手の2指・3指、2指・4指の拡張練習にもなること。これは最初は疲れるし、場合によっては痛みを覚えるけれど(その場合は緊急停止、休憩)、しだいに弾けるようになっていく。これも退屈なハノンなんかより名曲で上達するという喜びがある。
 中間部のショパンとサンドが手に手をとりあって逢瀬するあまーい演奏は、カンタビーレ奏法の練習になるし、ここも少し三連符の練習になる部分もある。
 
 さて、結論。
 
 ピアノ愛好家は幻想即興曲を練習曲として弾くべきである。たとえ途中でつっかえてもいい。なぜ上手く弾けないのかを考える。またそれがいいのである。そして何十回、何百回と練習する。かのリヒテルでさえ難しい箇所は1000回は練習すると語っていた。また、上達するには他のどの練習曲・・・・チェルニーやクラマーなど・・・を併用練習すればいいかを考えるのもよろしい。これは世のピアノレッスンのまったく逆の方法だけれど、自分ひとりで楽しむピアノ愛好家は自由なので、一向に構わないのである。ピアノ教師が聞いたら怒られそうだけれど無視無視。
 
 そのピアノ教師に就いているピアノ学習者はセンセイには内緒でこの曲を練習しよう。先生に白状すれば、どうせ「あなたにはこの曲はまだ早すぎる」とかなんとかガミガミ言われるに決まっている。そんなのも無視無視。最後まで弾けなくてもいい、たとえ数小節でもいいから弾くべし。練習するべし。
 
↓しだいに速くしていく練習。この曲をいきなり最初から速く弾こうとすると、ハッタメタな演奏になります。
 この曲の構成ABAの最初のAの速度指示はアレグロで、A再現部分はプレストとなっていますが、ほとんどのピアニストは最初のAと同じ速度で弾いているので、特に爆奏する必要はないと思います。
 
 

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飛べ!ダコタ

邦画メモ、NO,101、地上波民放
2013年、アッシュジャパン、109分
監督: 油谷誠至、 撮影: 小松原茂、 音楽: 宇崎竜童、
出演: 比嘉愛未、窪田正孝、柄本明、洞口依子、中村久美
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 映画が制作されている当時から注目していた作品。レンタル店でもDVDが見つからず、かといって円盤を購入するほど急ぐこともなく、そろそろテレヴィジョンで放送されるだろうと待機していたので、このタイミングで地方の民放局(ギフチャン)が放映してくれたのは、渡りに船だった。
 岐阜放送テレビはテレ東の番組とテレビ神奈川の「クルマでいこう」くらいしか自分には観るものはなく、やたら仏壇屋のCMだけが目立つ、自分にとっては存在意義の低い放送局であったが、たまにこういう粋なことをやってくれる。感謝。
 
 戦後まもなく、佐渡の村の砂浜にイギリス人クルーのDC-3が不時着する話で、自分のようなヒコーキ少年は絶対みのがせなかった作品なのである。
 ただし、ヒコーキ好きとしては、DC-3の不時着するカットはなく、最後の離陸シーンも出来の良くないCGで残念であった。(離陸時の機体後部で吹き荒れるプロペラの猛烈な風圧と飛び散る砂塵が表現されていない)
 
 イーストウッド監督「硫黄島からの手紙」では双発の実機が海岸に着陸する実写映像があり、あの迫力とハリウッドの撮影力にはマイッタが、この映画の監督さんも予算とスケジュールが間に合えばああいうシーンを撮りたかったに違いない。ただし、それは日本での撮影は無理と思われ、おそらくフィリピンあたりでロケしなければならないだろう。邦画ではそれだけで予算が無くなる。
 
 実際にあった話の映画。この映画が話題になるまで、自分は内容の事実をまったく知らなかった。戦後間際の出来事は、ネガティブな面ばかりネタされるが、こういう平和的な話もたまにはいいもんだ。
 
 若手、男優・女優の熱演が良い。
 
柄本明が村長を演じているが、彼に関するエピソードを一つ。
 
 柄本明も出演している「シャル・ウイ・ダンス」が台湾で公開されたとき、彼がスクリーンに顔を出すと笑うシーンでもないのになぜか劇場内で笑いが起こったという。周防監督は「なぜ笑うのか分からない」とDVDのオーディオ・コメンタリーで語っていた。
 
 この理由は私が思うには、台湾では日本のTV番組がいくつか放送されていて、その中でも特にバラエティーの志村けんは絶大な人気をはくしているそうな。おそらく台湾でも放送されている彼の番組「だいじょうぶだぁ」には、たびたび柄本明がゲスト出演して独特のお笑いを提供してくれている。それで柄本明は台湾では役者というよりはコメディアンとして知られているのではないだろうか。その彼がシリアス物で、思いもよらずクソ真面目に演技しているという、そのギャップに可笑しさを感じたのだろう。
 
 そういう自分も柄本明がドラマで乃木希典を演じていたのには、本人には失礼だけれど「だいじょうぶだぁ」での彼の大年増芸者を思い出し、乃木大将の顔にかぶさって笑ってしまった。ヘンなプライドを持たない彼の多才・多芸には敬服させられる。自分も生まれ変わったら彼のような役者になりたい。

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すみません、オリンピック観ないす

 いつからオリンピックの中継を観なくなったかな。
元々スポーツ中継というとプロ野球と相撲中継の5時半以降くらいしかマジマジと観ないので、オリンピックも中継をリアルタイムで観たり録画してまで観戦した記憶がない。自分にはスポーツを長時間見る、応援するという性根がない。
 
 最近でオリンピックの生中継を観たというのは、野球の日本VS韓国のを日本が勝利するまでの試合くらいかな。
 韓国のチームがそれ以前にグランドに自国旗を突き立てるという、日本や他国でさえも、とうてい恥ずかしくて出来ない馬鹿げた行為をしたことに腹を立て、その反発で観ていたものだ。その試合ではイチローのヒットで日本が勝利して喝采したものだが。
 
 韓国という国の人は、少なくともネットで匿名による便所の落書きレベルのコメントを載せるようなごく一部の連中は、日本が何事においても負ける、失敗する、災難に遭う、不幸に遭うことを無上の喜びとしているようで、そういう人の不幸を喜ぶ低次元の行為に腹を立てていたのでは、こちらも低次元のレベルに陥ってしまうのでいちいち相手にしないが、このときばかりは韓国のネット住民に対して自分も品がないけど「ざまーみろ」と思った。
 
 オリンピック映像で、特に避けて見ないのは芸術性を伴った競技で、シンクロナイズドスイミング、冬季ならフィギュアスケート。
 なぜ忌避するかというと、音楽が流れていてエンタティメントとスポーツの中間という感じがしてシックリしないんですな。それで点数を付けるというのがどうも。
 「どうですかみなさん、素晴らしいでしょう」と訴えているような両腕を広げたり、片手を上に伸ばしたポーズ、それに作り笑顔?・・も嫌です。本人や団体から「そんなつもりで演じているのではない」と怒られそうですが。
 
 団体競技は、ほんと、長々と鑑賞出来るのは野球くらいです。それでも最後数イニングくらい。サッカーは特に興味ないす。ニュースでゴールするシーンを観るだけ。体操もニュースでだけ。
 
 バレーボールは好きな競技だけど、日本が試合会場になっているときは、観客席応援の女性サポーターによる、サーブ時の「ソーレ!!!」という、まるでジャニーズ系タレントに向かって叫んでいるような黄色い声を聴くのが嫌で嫌で、他国開催の試合でもついでに観なくなった。
 
 ところが、最近、長時間バレーの試合を鑑賞、堪能する事態が発生した。
それは、1964年東京オリンピックの日本VSソ連戦中継の完全3セットフル録画映像で、NHKBSで放送を観たときの事。
 
 
 録画は白黒だったが、これほど緊迫して見応えのあるものはなかった。もちろん当時は「ソーレ!!!」なんて黄色い声はなく、会場は静寂そのもの、皆、声を押し殺して試合を見守って、一声でも発しては試合を妨害してしまうというギャラリーの気遣いと緊張感がひしひしと伝わってきて感動すら覚えた。
 
 バレーボールの試合はこうでなくてはならない。放送関係の方々、どうか中継ではギャラリーのキーキー声は拾わず、指向性マイクでボールのぶつかる迫力ある音だけを際立たせてください。
 
 それから女性ファンの方々、サーブ時の「ソーレ!!!」はやめろ。
 
追記: NHKがオリンピック関連ニュース、番組冒頭で流すお仕着せのイメージソングを聴かされるのも嫌だ。いったいあれは誰が選曲するんだ?。NHKは芸能プロから金をもらっているのか?。自分は始まったら速攻でリモコンの消音ボタンを押している。
 
 
 
 
 

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