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2016年6月

ボディ・スナッチャー/恐怖の街

洋画メモ、NO,123、NHKBS
1956年、アメリカ、80分
原題: Invasion of the Body Snatchers.
監督: ドン・シーゲル、 撮影: エルズワーズ・フレデリックス、 音楽: カーメン・ドラゴン
出演: ケヴィン・マッカーシー、ダナ・ウィンター
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 尺が80分と短いのは、他のB級映画などと3本立てくらいで上映するためだと思うけれど、この作品はB級扱いできない上質な仕上がりになっている。SF映画のなかでも名作として数えられている。宇宙生命体が人類に成りすますというSF物の元祖的作品。
 
 が、しかし。脚本は破たんしている。
特に観客は終盤のベッキーがニセモノに変貌するシーンで「アレーーーー????、やっぱりこうなるのーーー?」となってしまう。
 
 これは、まず、前半からして、ニセモノがホンモノとどうやってすり替わるのかという疑問から、その展開への期待を抱かせるのだが・・・・結局何も説明がなく経過する。ニセモノは素っ裸でサヤから生まれるというのに服なんかはどうするんだ?。
 
 生まれたニセモノは、ホンモノのボディをどうやって抹殺し、始末するのかという疑問から、その展開の期待・・・・これも結局何も説明がないが、地下室にあったビニールシートに包まれたベッキーのニセモノらしきものが、ひょっとしてすでに殺されたホンモノかもしれないと思わせるシーンのみで終わる。
 
 その納得しないモヤモヤした気持ちで観続けていると、どうやら今度はホンモノが睡眠後、目覚めるとニセモノに替わるらしいということで、観客は「エー?、そうなんすか、ニセモノのボディはどこいっちゃったの?」となる。
 
 という具合でストーリーに一本の筋が通っていない。
 
 この解決法、後ほどのリメーク作品ではどうやっているのか見てみたいものだ。
 
 時代がら、共産主義・社会主義への不安感を感じさせる。ニセモノたちは個性を抹殺され均一化されても悩みの無い世界「この世の楽園」をホンモノたちに訴える。自由の国、アメリカ人の主人公たちはそれに反発する。
 
 映画的には最初の5分からグイグイと観客を画面に引き付けさせるものがある。なにかヒッチコック的なゾクゾクさせる手法も感じる。大勢のヘンな奴らに追いかけられるというのは、後のゾンビ映画に影響させたかもしれない。
 
 階段を使った撮影が多い。これもヒッチ風。
 
 スーパースコープという横長サイズの画面で、実際はシネスコと同様、35ミリフィルムに圧縮されていて、さらにトリミングして拡大されているみたいだが、特に画質の粗さは感じなかった。
 
 ベッキー役のダナ・ウィンターという、細身でもナイスバディな美しい女優さんをこの映画で憶えた。
 
 助監督だったサム・ペキンパーが地下室の水道屋のオヤジでチョイ役出演している。自分は彼のツラを知らなかったので、ネット情報で分かった。監督のシーゲルも出ているそうだが、これもどこにいるのか分からない。
 
 TV「タイムトンネル」で所長だった俳優が初めと終わりに出ている。
 
 
 
 

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The Martian.(オデッセイ)

洋画メモ、NO,122、レンタルBD

2015年、20世紀フォックス、141分

監督 :リドリー・スコット、 撮影: ダリウス・ウォルスキー、 音楽: ハリー・ウィリアムズ

出演: マット・デイモン、ジェシカ・チャスティン、クリスティン・ウィグ・・・

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 邦題は「オデッセイ」ねーー。原題どおり「ザ・マーシャン」じゃ、これも認知度としてはマズイ感じがするけれど、もうちょっといい邦題はつけられなかったか。たぶん、「マーズアローン」というのも候補になったと思うけど、これもイマイチだな。難しいもんだ。

 随分と前向きな性格の主人公だけれど、メイキングによると、マット・デイモン自身が彼に近いキャラクターで、まさに適役だったらしい。

 デイモンの火星での一人芝居では、ブツブツと独り言したり、ナレーションを入れたりするのは「愚の骨頂」の演出ということで、彼に動画日記という形でカメラに向かって喋らせたのは良いアイデア。

 2030年ごろのNASAメカ・宇宙服などが素晴らしい。もう脱帽。文句在りません。

追記: 劇中の単位はメートル法が使われていて分かりやすい。最近のアメリカの民間ロケット打ち上げでもメートル法の使用となった。

 ああいうスタンダードで実用的な造形を著名デサイナーなどに一任させると、えてして、かえって滑稽で不細工なものになることがある。「2010年宇宙の旅」でのシド・ミードのレオーノフ号などがいい例。

 サバイバル宇宙映画のストーリーとしては、やはり宇宙空間での命綱無しのハラハラ・ドキドキ描写は取り入れざるをえないようで、「GRAVITY」とこの映画はそういうところがソックリ。

 しかし、自分はデイモンのハラハラより、ヘルメスの機体表面を命綱なしでサッサと移動した一人のクルーのほうがよっぽど心配でハラハラした。あんなことは実際ではありえない超危険行為だと思う。ちょっと手を離せば慣性で機体からどんどん離れて絶対に戻れないのよ。オッカネー。

 航空宇宙少年の自分としては疑問点や間違いと思うカットがいくつかあったので指摘する。マチガイ探しは私のサガなのでしょうがない。

・デイモンが火星から脱出する宇宙船内。MECO(メインエンジン・カット・オフ)前なのに、ボルトなどの部品が無重量状態で漂っていた。 エンジン噴射・加速中ではこれはありえない。完全な編集ミス。

・ヘルメスに動力式・人工重力回転居住区がある。

 これはSF特撮シーンでは定番のメカ描写だが、実際にNASAがこれを実現させるならば、エネルギーを浪費するこんな無駄なメカは採用せず、ソーラーパネルが太陽側に向く軸で宇宙船全体を慣性回転させることになるだろう。稼働メカとしては宇宙船の先端に常に地球に向く通信アンテナを設置すれば済むことである。

・火星の移動用ローバー・MAV。なぜ天井に穴を開けバルーンを付けたのだろうか。どんな必然性があったのか、なにか自分は見落としたのだろうか。

・芋の栽培で水の確保にさんざん手を尽くしているというのに、デイモンがシャワー室からサッパリして出てくるカットがあった。どゆこと?。シャワーの水はイモ用に再利用するのかな。

・火星の大暴風砂嵐。火星の大気は地球の地上気圧の1パーセント位なので、風速100メートルでも実際の嵐の風圧は地球のそよ風程度だという。あれはNASAも認める大間違い。でもこれは映画のウソということで許しちゃう。これに文句を言ったんじゃ映画は成立しないもんね。ただし、知識のない人に火星ではああいう危険があると誤解される恐れがある。

・地球より重力の低い火星でデイモンやクルーたちが1g状態の動きをしている。これも映画のウソということでショーガナイけれど、火星の重力を正確に再現したらもっと面白いだろうな。

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CB1100、兄貴分と並ぶ

CB1100、NO,38

 2016年6月4日午後、いつもの山坂道、R158、飛騨市数河峠を下り、神岡町の道の駅で一服。

 標高およそ900メートル近い峠の頂上の温度計は21度を指していたが、そこから500メートル?くらい下った神岡町では26度くらいの体感温度だった。フェーン現象というやつである。これくらいの気温からライダーは疲れを感じ始める。

 そこで、体力温存のため、道の駅では450円という高めのソフトを食べたが、ちっとも旨くなかった。濃厚な乳脂肪の味を期待したのだが。

 さて、帰ろうとバイクの前でメットを着けていると、自分の後から停車していたホンダ金翼のオーナーさん(たぶん自分と同年代の男性)が近づいてきて、イレブンの4本出しについてお尋ねなられた。

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 「CB750の音を再現したと聞きましたがどうですか」というので、キーを廻し一瞬3000回転まで吹かしてみせる。違法マフラー装着ハーレーのダラビチ下痢便音よりは、はるかに音はおとなしく、はるかに良いサウンドだと思うけれど、道の駅のお客にとっては所詮ウルサイ騒音なので、即座にエンジンを停止。自分も本来、カラ吹かしという無意味で迷惑な行為は嫌いなのです。

 さて、どんなものか、自分はCB750の排気音を生で聴いたことがなく、金翼氏もそのようで、お互い結論を得られない表情でおわった。

 今度は自分が金翼について教わると、この重量450キロのバイクは立ゴケしても起こすのは案外難しくないということが分かった。重心が低いうえに、目立たないエンジンガードとリアガードが機体を高角度状態で支えるため、ベタっと倒れず訳なく起こせるようだ。

 これは、知らなかった。ずーっとこのバイクは倒れたら起こすのに、自分以外の助っ人が要るだろうなという固定観念を持っていたのだが。

 金翼に取り付ける低速時に飛び出すランディング・ギアのような側車が販売されているが、あんものは要らないと金翼氏は仰った。

 なるほど、勉強になりました。うーん、白いゴールド・ウィング。カッコイイ。見なおした。ちょっと欲しくなった。でもタケー。

 その後、兄貴分(本当はCB1100の兄貴はCB1300なんですけどね)の金翼氏は富山市へ、自分は高山市へ離陸・帰還したのでした。

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WTC・平均律第2巻1番プレリュード

 バッハの平均律クラヴィーア曲集

 ・・・・この呼び方も今まで自分が見聞きした限りでは平均律の後、「クラフィア」、「クラヴィア」、「クラヴィール」とかなんとか呼ばれていることがあり、また最後が「ア」なのか「ヤ」なのか、どちらもハッキリせいと思ったものだ。

 「ギョエテとは俺の事かとゲーテ言い」じゃないが、どうせドイツ語発音をカタカナにしても正解などありはしない。しかし最近は書き方としてはクラヴィーアに統一されているようで、どうやらこれが定着しているみたいだ。

 ・・・・を英語圏では略してWTCと書くようで、自分もそれに従いこのアルファベット三文字をタイトルに付けてみた。アメリカ人とこの曲集のことを会話するならば「ウェル・テンパード」で通じると思う。

 それにしても日本語での「平均律」ってのは学門的な硬い言い方だね。数学じゃないんだよ。なんとかならんものですかな。こんな文字付けるからクラシックやバッハが寄り付きにくくなるんだね。これからはもう世界貿易センターじゃないが「ダブルティーシー」って呼んでいいんじゃないすか?。

さて、2巻オープニングのこのプレリュード、

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 ゼンオンの楽譜では冒頭のテッペンにZWEITER  TEIL.と明記してある。同じくゼンオンの第1巻にはERSTER  TEIL.とある。これはいったいどういう意味なんだろうか。楽譜のどこを探しても解説されていないのです。原典版にはこんなものは載っていないんですが。・・・ゼンオン編集部の方かご存知のかた、ドイツ語辞書も無く調べるのも面倒なので教えてくださらぬか。多分、上巻・下巻という意味ではないかと思うのだが。

 やっとで本題に戻ります。この曲を初めて聴いたときは、なんともツマンナイ音楽だと思ったものでした。はっきり主張しているモチーフ、テーマが見られず、なにか口の中でモゴモゴしゃべっているようで、それがお終いまでグダグダ続く。第一小節から現れる32部音符で始まるターンもなにか人をチャカチャカとオチョクッてるみたいで好きではありませんでした。

 ところが、弾いてみるとオモシロいんですな、これが。なにが面白いかというと、儚く消えゆくピアノの弦の音を保つ楽しみと言いましょうか、つまりオタマジャクシの音価を保持する楽しさが満ちている曲なのです。まあ、これはこの曲だけでなく、バッハの対位法音楽共通の楽しみなのですが。

 これをビジュアル的に表現すると、溶接作業で零れる溶けた鉄の球が地面で次々に現れては消えゆく様、あるいは流星群の星たちが消えゆく光の残像の傍で再び流星が発光する様。

 ・・・つまり、消えゆく音・儚い生命をなんとか繋ぎ留めておきたい。という想いがあると思う。これは自分だけの想像だけども、本来、音を持続できない弦楽器というのは、古典音楽から永遠に続くロマンチックなモノのだと思う。

 なんか話が飛んでしもた。この曲には後半、最高音部が半音階で下がっていく箇所もあり、ここもまたちょっとロマンチックでいい。 

                             ↓このへんから

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エンディングが第1巻1番のフーガとほぼ同じ。

↓ここも半音下降もあり聴かせどころ。ただし。

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 この曲も9度音程にやっと手が届く人には演奏困難な箇所があり、私が上記した赤ペンの指使いにせざるをえない。

追記:  電子ピアノのパイプオルガン音で弾くと冒頭の左手オクターブなどで素晴らしい効果がある。このオクターブは本物のグランドピアノでは良く共鳴してこれまた良い響きとなる。

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