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2014年12月

正月はドリフの「全員集合」

 2014年の年末から2015年の正月三が日にかけてのテレビ欄を見ると、地上波・BSともに観たいと思う番組・映画が一つもなかった。まあ、これは毎年恒例のことで、なにも私だけのことではなく、この時期、レンタルビデオ屋が大盛況になることでそれを証明できる。テレビ局よ、この事態をちっとは反省しろ。

 ということで、自分は正月休みのテレビ鑑賞を、レンタルソフトのドリフの「全員集合」を観て過ごすことにしたい。

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 ただし、ドリフのコントを洋間の、ちょっとばかしデカイテレビで、映画をカシコマッテ観るようにソファに腰を下ろして観るつもりはサラサラありません。

 こういうものは茶の間の27インチ ・・・・4:3の画面だと我が家で昭和時代にドリフを観ていた18インチのブラウン管テレビに匹敵・・・・ の小さい画面のテレビの前で横になって、炬燵に入りながらテレビ枕を頭の下に、サキイカをつまみに茶碗酒でも一杯やりながら見るのが最高です。

 茶の間のテレビにはHDDレコーダーしか付けていないので、ドリフを観るために、わざわざBDプレーヤーを購入してしまった。

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 プレーヤーも、DVD専用では5000円以下の聞いたこともないメーカーのもありますが、安物買いのゼニ失いになりそうなので、テレビと同じ東芝のものにしました。

 ドリフの「全員集合」の面白さは、やはり生中継によるアクシデントや緊張感にあると思う。それにイカリヤがセリフをトチったのを志村や加藤がアドリブでオチョクったりするところもでしょうか。

 志村とすわ親治のカラミも大好きで、特にフットワークの軽いすわ親治が着ぐるみの仏像に扮して志村とアドリブに近いドツキ合いをするエピソードは、お笑い史上に残る傑作だった。あれをぜひもう一度観なければ。

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川北紘一さん逝く

 特撮監督の川北紘一さんが72歳で2014年12月5日に亡くなられた。合掌

 日本のミニチュア特撮の第一人者が一人欠けてしまった。

 私が川北氏の特撮を見て初めて、カッと目の瞳孔が開いた作品は「ガンヘッド」で、良く造りこまれ閉鎖された空間を進行する、これまた精巧なメカの出現に「アレ?、この映画はイギリスからデレク・メディングスを招待して制作したのか」と思ったほど。

 それまでの日本特撮にありがちな、プラモデルのような表面がツルツルのミニチュアモデルでは無く、緻密な造りで汚しこまれた稼働メカが、ラージスケールなのか、小さいモデルを使って撮影しているのかも見分けがつかず、その操演やパイロテクニック、撮影技法の良さに「やっと日本にも大人の鑑賞に耐えうる特撮を見せてくれる人物が現れた」と喜んだものだ。

 1993「ゴジラVSメカゴジラ」ではメカゴのドック展開で観客を「あ!」と驚かせてくれた。あのシーンは忘れられない。

 また、彼の特撮作品からミニチュア・ビル群の描写は日本特撮で見せられた、中がスカスカの、ただ箱を並べたようなソラゾラしいものから、破壊されても建築構造が納得できる描写へと変わった。この功績は大きい。そのシーンもスタジオ見学しているような神様目線のアングルが減って、人が大地に立った目線で、現実感もより増していた。

 彼は、怪獣同志が無意味なプロレスをするシーンを避けた。これも怪獣映画を子供向けでなく、大人だけでも映画館に行ける本格的SF怪獣特撮へと変えてくれた。

 「サンダ対ガイラ」のメーサー砲の光線描写は彼が担当したという。あのシーンは日本特撮の名シーンの一つに挙げられる。

 親爺さん。ちょっと円谷氏の元に行かれるにはまだ早すぎたのではないですか。

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バッハはピアノの出現を予見していた?

平均律クラヴィーア曲集第1巻1番フーガの楽譜

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 この曲の終わりにもっていくあたり、赤い矢印のある4小節の間、最終小節までバス音の全音符「ド」が押さえっぱなしになっている箇所がある。(実際は全音符の次の八分音符から)

 ピアノ奏者は、この24小節目から左手の小指を、ドの鍵盤で数十秒間、終わりまで押さえたまま、残りの指を使って左手のパートを弾かなければならない。

 ひょっとして、この曲集を愛聴している人でも、ピアノを弾けず楽譜も読めない方は、この事実を知らないかもしれない。

 この押さえっぱなしの指示は、どういうことなのだろうか。鍵盤楽器ではオルガンを除いて一度叩いた音はすぐ減衰して消えてしまう。押さえっぱなしは無意味に感ずる。

 実はこれは弦が解放されたことによる共鳴の音響効果をバッハはねらっていたからである。・・・・と、私は考えているんですが。

 しかし、バッハが活躍していた当時の、チェンバロやクラヴィコードなどの弦の張力が弱い楽器でその共鳴効果がちゃんと得られるのだろうか。しかも、あの「チンチン」という、か弱い音で・・・。実はピアノでも自分で弾いていてド音がちゃんと共鳴しているかどうか分からないのだ。

 たぶん、全長が3メートル近いコンサートグランドピアノならば残響時間が長く、共鳴音も期待できると思う。実際はどうなんでしょうか。レコードで聴いても気が付かないけど。

 バッハは他の鍵盤楽器の楽譜でも、こういう指示がいくつか見られるのだが、彼は将来、ハンマーで弦を叩き澄んだ透明の音を発し、弦の1音が良く共鳴する、完成された鍵盤楽器が出現することを予見していたからではないか。この部分をオルガンで弾いても鳴りっぱなしのバス音が、ただウルサイだけだと思う。

追記: バッハは、まだ試作段階だった初期のピアノには触れていました。

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↑ソステヌートぺダルの表示は私の校訂。

 このペダルを使わなくとも、音を叩いた後、瞬時に左手の「シ」1指を2指に、右手の「レ」1指を左手の1指に置き替えればなんとかなります。

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バッハの壁

 60年ほど前、ジェット機が音速に近づいたときに発生する問題を「Machの壁」と呼んでいたけれど、こちらは「Bachの壁」です。

 ピアノ愛好家ならば、バッハの平均律クラヴィーア曲集第一巻一番のハ長調プレリュードは弾きやすくて奥深くて誰でも愛奏していますわな。このアベ・マリアは、やろうと思えばペダルを使って指一本でも弾けてしまうほどのシンプルな構成で楽譜も読み易いので、大人の初心者にもよく発表会のプログラムとして人気があります。

 さあ、それで、ペアになっている同じハ長調のフーガも弾かねば曲集の流れとして収まりがつかないと、ページをめくってみると・・・・これが難曲なんであります。

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↑の最初のメロディーが形を換えて右手・左手、その真ん中と曲全体を追っかけていきます。第一小節のこの動機は各所に隠し絵のように繰り返し現れてきます。これがこの曲の醍醐味なのですが、この演奏がまずむずい。メロディーを浮き立たたせるには、かなり練習しなければなりません。しかも楽譜を見ると一見、右手で弾くように解釈できても、実際に弾いてみると、左手が補助するものであったりする。また、その逆もあったり。

 ということで、過去にはなんとか始めたものの、途中でイヤになって弾くの諦めたものです。「こんなもの音のパズルではないか、これを練習して意味があるのか」と捨て鉢な考えになったものです。これは私の思うに「バッハの壁」でありました。まあ、この壁を乗り越えなければ「平均律」に入っていけない・・・・という言い訳で、これより易しそうな他の曲もほとんど手つかずでレコード鑑賞だけのものとなっていました。

 しかし、棺桶に三分の二突っ込んだ身となると、過去のやり残しがどうしても気になる。それで思い切って曲のおしまいまで弾いてみることにしました。すると結構面白く、また哀愁のある忘れられないメロディーもあり、以後、終世愛奏したくなる曲の一つになってしまった。これでようやくバッハの壁は一つ越えられたかもしれない。

 私の好きなフレーズは・・・↓の一番上の2小節。

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 ここがなんとも切ない気分なのです。全体の流れとはちょっと違う異色の2小節。レコード鑑賞ではモヤモヤとした意志の無いフレーズだなと感じていたのに、弾いてみると身に迫ってきます。なにかショパンの曲のような哀愁も漂う。

 また、終わりに向かって解決させるフレーズも好きです。お終いまで弾いてくれてヤッタネー、聴いてくれてアリガトネーと、お祝いの花火を打ち上げたようなカンジ。

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↑右手、指が届かない4拍あたりは1の音を弾いた瞬間、ソステヌートペダルを踏んで解決。

 弾いていて気が付いたことは、このように手の小さい人には困難な箇所があることで、これは校訂された楽譜によって解釈が違うけれど、自分で運指を工夫して解決するのも楽しみのひとつ。例えば・・・

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 ここの2→1の運指になっているゼンオンの楽譜・・・・多分チェルニー版・・・・ では、10度に楽々届いたリストのような巨大な手でなければ弾けない。しかし、ウイーン原典版の校訂では1→1となっており、9度になんとか届く人でも弾ける解釈になっている。これが一般的な指使いだろう。チェルニー版の2→1の運指は理想でしかない。

 てか、小指から人差し指までで、9度音程を弾くなんて、どうやっても不可能でんがな。ピアニストでもラフマニノフかリヒテルくらいしかこう弾けないでしょう。チェルニーはナニ考えてまんねん。

追記: 晩年のベートーベン、チェルニー、シューベルトなどが活動していた時期のピアノの鍵盤の幅は現代のものより狭かったようですが。

バッハは自筆原稿・・・・たぶん妻のアンナ・マクダレーナが清書したもの・・・・に一切指使いを指定していないので、このように、あーだこーだと解釈するのもまた楽しい。

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