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2011年10月

風の中の子供

邦画メモ、NO,66、NHKBS

1937年、松竹、白黒、スタンダード、87分

監督- 清水宏、撮影- 斎藤正夫、音楽- 伊藤宣二、

出演- 河村黎吉、吉川満子、坂本武、爆弾小僧、アメリカ小僧、突貫小僧、笠智衆

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↑次男・三平の1学期通知表。修身、国語、算数、歴史、地理、図画と続く。丙は体操だろうか。

 登場する子供たちは10歳未満のようだが、昭和20年ごろにはみんな志願して兵隊になったのだろうか。映画の中では彼等に軍国少年のかけらも感じられず、のびのびと普通の子供たちの遊びに興じている。それがいずれ、彼等がファンだったターザン、ジョニー・ワイズミューラーの国民を鬼畜と呼び、「撃ちてしやまん」を叫ぶ姿になるのかと思うと哀しい。

 戦争のキナ臭いものは感じなかったが、やっぱり当時の私服刑事や巡査が出てくると、問答無用にヒッパラレテいかれるようで嫌だった。

 河村黎吉は私の大好きな俳優さんで、ほんとうに自然でうまい演技をする人。壮年のころの彼を初めて見た。子供が大好きで物分りの良いインテリお父さんを好演。またお母さん、吉川満子も和服姿の良妻賢母を自然に演じている。

 二人の息子たちもお父さんが大好き。会社にお弁当を届けに行った次男は、オフィスで考え込む父親を心配する。固まったままの父親の煙草の灰を、指で落としてやるところなどは、ユーモアを伴った愛情を感じるシーン。

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 清水宏監督の作品を観るのは「ありがたうさん」に続いて2作目で、この人の演出法がなんとなく分かった。ただ、巷で聴くドキュメンタリータッチという言い方には抵抗を感じる。みんなしっかり演技しているし、カメラも演出されている。

 移動する台車にカメラを載せて、後ろ向き・前向きに撮影するシーンが2作品にたびたびある。監督はこの撮影方法が気に入っているようだ。

 当時のカメラのレンズがひどい。パンフォーカスのカットでは画面のほぼ右半分がボケボケ。少し寄りのレンズでは相変わらず、ぐるぐると渦を巻いている。玩具カメラのように単球レンズでもあるまいに。

 笠智衆は警察の受付巡査役で2カットほどセリフ付きで出演。制服姿が凛々しい。

 

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秋刀魚の味

邦画メモ、NO,65、NHKBS

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 この映画はもうビデオテープ版を10回ほど観ているのだが、デジタルリマスター版を初めて観てやっぱり驚いた。高橋とよの着ている着物の模様の鮮明なこと。

 アグファカラーの微妙な色合いのいいこと。ユーチューブで観る予告編の色合いも又、BSプレミアム版と違うけれど、これもいい。

 松竹VTR版では、中村伸郎が笠智衆のオフィスで岩下志麻の縁談話を持ち掛けるところで、フィルムのコマ落が目立ったが、リマスター版ではかなり補正してあった。

 それにしても、香川京子の嫁入り姿から、続いて岩下志麻の嫁入り姿に遭遇して、中高年は、また涙腺が弛んでしまう。

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 この名作はもうコメントのしようがない。ちょっとだけ目に焼き付いている、どうでもいいことをメモする。

 セピアがかった赤色・・・味の素の小瓶、パイロットインクの瓶、やかん、消火器、アリナミンの箱、日展のポスター。

 トリスウイスキー、ダルマ、サントリーホワイト、ジンジャーエール、サッポロビール。その他洋酒は無視。

 ソニーのトランジスタテレビ、エルモ、ミノルタカメラの箱、三菱ステレオ、マクレガー・・・

追記:小料理屋「若松」の膳にならんだ小鉢の美しさ、紫色の小花。三上真一郎が食べているドーナツは不二家のもの。

 この映画のようにアグファカラーの独特の赤色を再現したくて、10年程前、カメラにアグファフィルムを使ってみたのだが、現代では、もう他メーカーの色合いに同調してあるそうで、この映画のような渋い色合いは再現できなかった。 撮影監督、宮川一夫も「おとうと」でアグファカラーを使いたかったそうだが、既にその頃から色合いは平凡なものになっていたという。

 赤といえば、この映画のワンカットで登場する赤い映画のポスターは、小林正樹監督「切腹」だった。ずーっと何の映画か気になっていたのだが、リマスター版でナゾが解決した。同じ松竹、1962年度作品である。

 長い間、あのポスターのサムライは、ひょっとして黒澤作品「用心棒」の三船かと見当していたのだ。その隣にあるポスターの映画は、私には判読出来ない。

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 追記:小津自身がのん兵衛だったように、この映画の人々も良く酒を飲む。トンカツ屋のシーンも含めて飲酒シーンは10回あった。小津映画を観た外国人の中には、日本人というのは酒が沢山飲めてうらやましいと思う人もいるようだ。

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おかあさん

邦画メモ、NO,64、NHKBS

1952年、新東宝、98分、白黒、スタンダード

監督- 成瀬巳喜男、撮影- 鈴木博、音楽- 斎藤一郎、

出演- 田中絹代、香川京子、三島雅夫、中北千枝子、加東大介、岡田英次、沢村貞子・・

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 ひさしぶりにいい邦画を観た。成瀬監督のものでは、名作・「めし」、「浮雲」よりずっとこの映画のほうが好きだ。

 標準レンズを使った何気ない構図がよい。成瀬作品は、同じ標準レンズによるバストショットを多用した小津監督作品のように、役者がガチガチになって演技しているものより、はるかに硬さの取れた自由性を感じられる。また、特にこの作品では、田中絹代のさりげなく見えて、よく計算された演技で「ホッ」としたような安心感もある。

 香川京子は撮影時、21歳で、この育ちの良さそうな顔立ちの整った美人が、せんべい布団で兄弟ザコ寝する、赤貧洗うが如しの家庭の長女を子供っぽく演じているのは、また意外な面白さがある。彼女には友達以上恋人未満という関係の岡田英次と付き合っているのだが、当時岡田は30歳を超えていて、その岡田もまた子供っぽい仕草と行動なので、この二人はちょっとアンバランスであった。

 香川が花嫁衣装になるシーンでは、さすがに五十路に達した人間には「ホロッ」とくるものがある。それに見惚れる母親・田中絹代の顔にも、これまた「ホロッ」とくる。

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 年齢18歳役の香川京子が嫁入りするかどうかは、ネタバレになるので話せない。

 ただし、個人的には、このヨットみたいな帆掛け舟みたいな頭の島田・花嫁姿は、好きではない。それにしてもこの時代の香川京子は本当に清純で可愛い。今はもう80歳になるのだけれど。

 冗談も言わない真面目な監督のイメージがある成瀬作品としては珍しく、ちょっとした、いたずら・カットで観客をビックリさせているので、まだ未見の方は楽しみにして観てほしい。

 原作は素人の作文からきているそうで、その作文応募では森永製菓が関与している。その為かオープンセットのシーンでは、しきりに「森永キャラメル」の看板が現れる。その広告代で権料をまかなったのだろう。

 録画して保存し、何度も鑑賞したい、大事な作品。

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インシテミル

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邦画メモ、NO,63、地デジ民放

2010年、ワーナー

監督- 中田秀夫

出演- 藤原竜也、綾瀬はるか、石原さとみ、武田真治、北大路欣也、片平なぎさ・・

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 またしょーもない邦画を観て時間の無駄をしてしまった。

 民放だから内容が一部カットされているので、正確な判断はできないが、どうしてこう日本の最近の映画というのは脚本が抜けているのだろうか。

 北大路欣也は最後、死んだフリをしていたようだが、どうやってあの血糊などの特殊メークをしたのだろうか。どこでその道具を都合できたのだろうか。まったく説明がない。

 あの組織内での殺人は日常化しているようだが、法治国家の日本でどうやって運営しているのだろうか。説明がない。

 最後のドンデン返しも、ただ「ア、そうだったの」というだけのもの。

 北大路欣也は、なぜ手ぶらであの組織から出ているのだろうか。報酬の札束はどこにあるのだろうか。

 セットの美術は良く出来ていたが、あのUFOキャッチャーがいけない。相変わらずガッチリとしたメカの剛性感がなく、移動の際はブルブル振動して安っぽいし、材質もオモチャっぽい。日本映画に登場するメカというものは、いつもこんなもんである。

 このUFOキャッチャーにはマシンガンが装備されていて、最初の殺人で使われるのだが、部屋にいる参加者には銃声が全く聞こえない。脚本に「この部屋とドアは完全防音です」とかなんとかの説明が抜けている。それとも銃口にサプレッサーかなんか取り付けてはどうですか。監督さん、美術さん。(それとも私がそういうセリフを聞き漏らしたか)

 アイスピックを太ももに刺された藤原竜也は演技過剰。

 「インシテミル」と言う意味はどこかの国の言葉ではなく、

 「淫してみる」らしい。単なる原作者の言葉遊び。アホくさ。 

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入院生活3

「からだじゅう全体に油がたまって衰弱し

吸収と排泄の調和がとれなくなっている。」

             -「赤ひげ」-より

↓1ヶ月たって、左側と右側の手術あと。

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・整形外科というところ

 まず、入院患者の8割は高齢者であった。したがって、認知症ぎみの人もいる。私の隣の病室から、早朝、「かんごふさーん!!!、かんごふさーーーん、ハラヘッターーーー!!!」という男性の大声が聞こえたものだ。おじいさんはナースコール・ボタンというものの存在が分からないらしかった。

 大声というより奇声に近い声は隣の病室だけでなく、他の病棟からも聞こえてきた。この病院に精神科はないのだけれど。またナースセンターで大声で怒鳴り込んでいる高齢の患者も見られた。歳をとると自己中で我儘になる。ちょっとしたことでクレームをつけてくる。

 看護師さんの献身的な姿には頭が下がった。整形外科の重症患者は動けない。食事にせよ、排泄にせよ、呼ばれっぱなしだった。ナースセンターからコールの音楽(バッハのメヌエット)が深夜以外、鳴り止まないことはなかった。この病院は防音対策がおざなりで、30メートルは離れている私の病室までバッハが聞こえてきたのである。おかげであの音が耳に浸み込んでしまった。看護師に訪ねると、整形外科が一番ナースコールが多いという。納得。

 防音対策がなされていないと書いたが、どういう状態かというと、朝6時頃から口を濯ぐ水・オシボリの各室分配の音でたたき起こされ、その後も投薬の準備、朝食の配膳の音、廊下・トイレの清掃の音やドアの音、会話が9時ごろまで病室内に筒抜けでヤカマシかった。老朽化した病院なので我慢するしかなかったが、実はこの病院、別の場所に新築中で、来年オープンする。新病棟は改善されているだろう。入院するのが1年早かったわけだ。

・抜糸

 手術後2週間目に抜糸した。実は縫合されていたのは刑事・コロンボのエピソードであった融ける糸とホチキス状の金具であった。したがって糸は消えて無く、切開した場所に数十個取り付けてあるホチキスを取り外した。 これが結構痛かった。ペンチのようなもので外すたびに痛い注射を打っているようなもので、顔をしかめた。ケーシー氏は「後半分です」、「もうじき終わります」とはげましてくれた。その後レントゲン撮影し、ギプスを取り付けた。ギプスは石膏状のものを想像したが、ジェルの薬品で浸された青い包帯状のもので、患部に巻き付けた後、凝固するというタイプのものだった。色はピンク、青、薄青と選べたが自分は薄青にした。

・リハビリテーション

 入院して二日目、まだ手術もしていないのに、もうリハビリ室に呼ばれた。第一日目は松葉杖歩行の練習。35メートルの距離で行ったり来たりをやらされた。これが結構疲れる。初めてリハビリ療法士というものを見たが、彼等の仕事はマッサージ半分、患者への励まし半分であった。対人術・話術が無ければあの仕事は勤まらない。松葉杖の練習では階段を下るのが怖かった。登りは前につんのめっても階段が支えてくれるが、下りだとすっ転んでそのままガラガラと落ちてしまうからだ。

・退院

 入院生活18日目にて退院。予定より少し早めに病院を脱出した。病院の表へ出た瞬間、季節は夏から秋に変わっていることを実感。これから自宅ではもう車椅子には乗れない。松葉杖生活となる。

 ギプスはその2週間後に取り外し、L型のパットをあて包帯を巻くだけの状態となった。入浴はバスタブに浸かる動作がスッテンと転びそうで怖いので、シャワーだけにしている。ギプスをつけている間はゴミ袋をギプスに巻き、ガムテープで防水してシャワーを浴びていた。

 自宅の寝床は2階にあるので、階段の昇り降りは座って一本の足と2本の手と尻を使っている。これは普段の10倍くらい時間がかかる。

 まだ6週間は松葉杖だという。リハビリのための通院は任意で来てよいと療法士に言われた。まあこれは1週間に1回くらいとなるかな。骨折した箇所は手術の痕でなく、あちこちがピリピリと痛い。これは療法士によると手術で神経が切れた部分が、痛いという信号を発しているのだという。自分でもマッサージするのだが、足の動きが鈍い。腫れて筋が突っ張っている。ほんとうに歩けるようになるだろうか。

 でも、まあ、前向きに考えるとするか。

                  THE END.

 

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入院生活2

「どうせ人間は同じことを繰り返すだけだ」

「朝起きて晩寝て、朝起きて晩寝て」

         -「どん底」-より

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↑お彼岸にはおはぎが出た。えび2尾、きんとん。

 手術の翌日、どうにか痛みは半減した。点滴は夕方まで続き、痛み止めの飲み薬は食後に飲み続けた。こうなると、後はもう回復を待つだけとなる。入院生活で気が付いたことなど徒然なるがままに。

 ・車椅子

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↑これの操作は実に楽しかった。無限軌道(キャタピラー)を装備した戦車やブルと同じ挙動が再現できて、その場でクルリと180度方向転換できる。その操作しているあいだ「2001年宇宙の旅」のスペースポッドの動きを連想した。

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↑「オレは車椅子だってー?・・・」

 車椅子というのは折りたたみ式なので、剛性が弱く、車輪の直進性は悪い。まっすぐ走るにはハンドルのブレーキングにより微調整しなければならない。停止して何か仕事をするときはサイドブレーキを掛けなければ、モロ、作用・反作用の物理法則を体験することになる。

 ・松葉杖

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↑アルミ製、木製のものは今は無いという。

 こいつが床に着くとき「カチャ、カチャ」という結構大きいノイズを発生する。故に消灯後の午後9時以降は誰も廊下では使わない。暗い病院でこの音が聞こえると不気味であることは、患者も看護師も承知している。

 廃墟となった病院で、両足のない幽霊が松葉杖をついて、あの音を立てて動いているというホラーイメージを若いナイチンゲールに語り、怖がらせてやった。ただし、こんな映像は既にVシネマなどで映像作家が制作済みかもしれない。そうでなかったら著作権は私にありますぞ。

 ・テレビ・冷蔵庫

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↑1000ポイント1000円のカードにて観ることができる。

 このテレビは有料衛星放送も含めて、デジタル信号をアナログ高周波信号に換え配線されているもので、画質はアナログで甚だ悪かった。1ポイント分で約1分観られた。冷蔵庫はカードから300ポイント引かれて24時間使える。

 自分は入院している間、無人島生活のように外界と情報を断ち切りたかったので、天気予報しか観なかった。故に約2週間の入院中、カード1枚で済んだ。

 それにしても今時有料テレビとは時代錯誤。病院の規約ではテレビを病室に持ち込むなとあるが、現在は携帯のワンセグでたやすく観られる。

それで、暇つぶしというのは読書。

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↑「宮本武蔵」を2回読破した。ベットの枕元の上にある40ワットのスタンドは高い位置にあり暗く、20世紀FOX・ベット(ジョーク)の高さ調整を最高位に揚げたのだが、それでも光量は足らず、おかげで遠視が少し進んだ。

            To be continued.

 

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入院生活

「斬れるものなら斬ってみやがれ」

「斬られりゃ痛てーぞー?」

「フン!、刃物が怖くてヤクザが勤まるかい!」

「まったく馬鹿につける薬はねーなー・・・」

            -「用心棒」-より

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↑朝食、一汁三菜。卵そぼろ、ほうれん草のお浸し、桜漬、牛乳、白米は半ライスにしてもらった。ちょっと阿部譲二氏・「塀の中・・」のもっそうメシを連想する。

 手術後、病室に戻っても痛みは無く、しごくラクチンであった。ただし、「ポカリスエット」の点滴と、もう一つ、化膿止めの小さな点滴溶液が追加された。といっても、もう一発針を静脈に刺すのではなく、混合機によって一本の注射針にまとまって注入される。このへんの医療機器の進歩には感心する。

 手術が終わって2時間、午後6時ごろだろうか、へそから下の辺りに違和感を感じた。ちょうどガスがたまって下腹が膨張したような感覚。いつものことなら、一発スラスター(放屁)を噴射すれば治る症状だが、吹かしようにも腰に麻酔のせいか浮かす力が出ない。

 30分は我慢していたが、しだいに違和感から痛みに変わってきたので、ナースコールを押した。ナイチンゲールによるとガスのせいではなく、膀胱に尿がたまってふくらんでいるのだという。尿意は感じていないのに。

 そこで尿瓶を用意されたが、麻酔の影響でこれまた力が発生せず放水できない。とうとう人生初めてカテーテルを突っ込むことと相成った。処置の最中「縮んでしまって」とジョークのつもりで呟いたが、ナイチンゲールはニコリともしなかった。また言わなきゃよかったと後悔する。

 「ちょっと気持ちが悪いですよ」と言われた。ああいう物をああいう所に押し込むというのは、なにか傷みがあるのではないかと想像していたのだが、ちょっとしたヘンな感覚があるのみで大したこと無く安心した。たぶん、細い小さなチューブの先端は角が取れて丸く、尿管を傷つけないようになっているのだろう。テルモの技術に感謝・敬服。

 トンネルが貫通すると出ること出ること。それとともにスーッと痛みが緩和していく。結構尿瓶にたまった。ナイチンゲールが下腹を押すとさらに放水する。楽になった。感謝・感謝。

 その後、自分でも放水できるように回復したのだか、それにしてもあのポカリスエット(点滴溶液)というのは、どうも小水が近くなるようで、何度も尿瓶の処理のためナースコールを押してしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 午後7時ごろ、夕食が出たがまったく食欲が無く、下げてもらった。昼は食べていないのに。

 しだいに麻酔が醒めて、体がドンヨリ重くなっていくような感覚があった。

 午後10時、とうとう麻酔が完全に醒めた。手術した部分というより右足ひざから下全体に100キロくらいの鉄板を載せられているような締め付けられる痛みを憶えた。飲み薬の痛み止めを飲んでいたのだが効かぬ。座薬の痛み止めも効かぬ。体はのけぞり、顎が上を向き、呼吸が荒くなった。ベートーベンの臨終はこんな感じのような気がした。ま、死ぬつもりはないけどね。

 そこで、とうとう注射の鎮痛剤のおでましとなった。肩に打つ、この注射のイテーのなんの。打っているあいだ足の痛みを忘れるほど。この鎮痛剤は効果てき面だった。痛みを抑えるというより強力な睡眠剤のようで、酩酊したみたいに喋るにもロレツが廻らなくなり、意識モーローとなってそのまま眠りこけてしまったようだ。

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 ↑昼食にはパンも出た。スクランブルドエッグ、ワカメスープ、サラダ、オレンジ。学校給食か。でも3枚の食パンにマーガリン、マーマレード、ジャムが付いたので満足。

 学校の時は同じく食パン3枚に、ちっさなマーガリン一個だったからなー。ありゃ酷だよ。

               To be continued.

 

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手術主治医手術中

「ウッ、グッッ・・麻酔の注射かなんかねえのか・・・」

「おまえみたいな親不孝者にやる注射はない」

               -「酔いどれ天使」-より

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↑手術後、一週間を経て抜糸し、ギプスをつけた状態。

 入院してから三日目の午後一時、手術室に入った。すでに30分前から点滴針がブッスリと刺さっている。この点滴溶液というのは成分を見てみると、ほとんどポカリスエットと変わらないのではないか。

 手術室に入る前、家族から「がんばれ」と言われたが、ワシャ寝てるだけでなんにもしないけどね。「がんばるのはドクターだ」と返事をすると、ストレッチャーを押している看護師に受けていた。

 手術室はエレベーターで降りた2階にあり、感染症防止のためか他の病棟と隔離してある。鉄の重い扉の内側は、さすがに清潔で新しい感じがする。この病院は築60年を過ぎるのだが、手術室だけは最近改築されたようだ。

 手術台は狭い。寝返りをうつと落っこちそうだ。上半身は特別な上着を着せられ、頭にはカバーを着けられた。下半身は履いていたデカパンのままで、フルチンというわけではなかったので安心した。

 麻酔は下半身麻酔である。全身麻酔を経験したかったので残念。骨髄注射麻酔にて行う。体を横臥し、背中にブスリとやられた。骨にやることを聞かされていたので、強烈な痛みを想像していたが、普通の注射と変わらない痛さだったのでホッとした。 

 その後、胸には心電図の電極、右腕には自動血圧計をはめられた。尚、両手とも体が動かないように結束バンドで板に固定される。

 ペン・ケーシーは2人、アシストの看護師は3人。室内は緊迫した雰囲気はまるでなし。時々彼らの世間話的な会話が聞こえる。自分も緊張しているつもりはなかったが、やはりどこかに不安を感じていたのだろう。アホなことをナイチンゲールに語りかけてしまった。

 手術室内には患者の緊張を和らげるため、スピーカーからBGMとしてオルゴールの音楽が流れているのだが、即興演奏のツマラナイ曲ばかりであったので、「宮崎アニメのラピュタやトトロの音楽をオルゴールにした音楽があって、それはなかなか良いですよ」と話しかけたのである。

 ナイチンゲールは「???」、「ああ、そうなんですか」と、ほとんど無視した。五十路のオヤジがイキナリ何を言い出したのかと思ったのだろう。そのとき、私の顔は少し赤面し、計測器の発する心拍数のビート音が早くなった。話さなければよかったと後悔。

 初めて経験する下半身麻酔は面白かった。まず、注射から5分で腰から下が暖かくなってくる。半身浴につかっている感覚。ポカポカと心地良い。やがて、その感覚も消えるとケーシー氏は、なにか冷たい金具を腰から下の皮膚に当てた。麻酔の効き具合を調べるためらしい。

 腰の下は、明らかに何かムズムズした感触があった。ヒザ上10センチ辺りも触っている感触がある。その後、「ここはどうですか」と訊かれた場所はまったく感覚がない。自分は「エエ?」と答えると、ケーシー氏は「良い感じで効いてきましたね」と答えた。ここがザックリ切開する部分らしい。ちょっと安心した。

 切開前に毛脛を剃られた。ワサワサした感覚があった。足を消毒しているとも言われた。感覚なし。いつの間にかオペが始っていた。金具を入れるための骨をゴリゴリ削るような音も全くなし。静かなもんだった。

 こちらは何もすることが無い。つまらないBGMは無視して、退屈なときにやる手段、頭の中でショパンの「24の前奏曲」のCDをかけた。それが終わると作品10と25のエチュード。ピアニストは誰ということもなく、私の演奏解釈も入っている。これだけで1.2時間は過ごせる。

 3分に一回ぐらいだろうか。自動血圧計が作動し血管を押してくる。あのドク・ドクと血管を押されるのは気分の良いものではない。そこで、この時だけショパンの作品10の1番、ハ長調の練習曲を、血管の脈動のテンポに合わせて頭の中で演奏した。これは大変遅いリズムでオサライしているのと同じことである。おかげでいやな感覚を忘れることが出来た。音楽というのはいいもんだ。

 そんなことが続き、いつのまにか手術は終わっていた。終了時間は午後4時半。3時間掛かった。ケーシー氏は「あ、うまくいきましたよ」と、さりげなく答えてくれた。彼にとってはこんなこと、いつものルーチンワークに過ぎないのだろう。

 実は骨折してから足掛け3日間のうち、この手術して麻酔が効いている時間が痛みから解放された一番楽な時間であった。感謝。

 ストレッチャーで手術室から出るとき、自分の右足の太腿あたりを触ってみた。「なにか他人の足みたいだ」と発するとケーシー氏は笑った。

                             To be continued.

 

 

 

 

 

 

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緊急入院

見てくれ、このザマだ。」 

 「だから言わねえこっちゃねえ。」 -「用心棒」- より

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 ↑左足にはエコノミークラス症候群を防ぐソックスを履かされた。

 救急車からは隊員二人が出てきた。折れたらしい右足にはサポーターのようなものをあてがわれる。その処置の間、警官には免許証を見せ、携帯の番号を伝える。

 座っている地面から体を抱えられ、ストレッチャーに「どっこいしょ」と載せられたが、私の両手と左足は元気なので、仰向けのまま自分一人でも十分載れたはずだ。隊員には申し訳なかった。

 仰向けのまま、生まれて初めて乗る救急車を見物する。中はけっこう狭い。顔より上面左側には心電図の測定器がある。バイク装束のプロテクターを外され、胸に心電図の電極をつけられ、左腕には血圧計をはめられた。

 「気分は悪くないですか」、「他に痛いところはないですか」と、隊員はバイク事故にありがちな症状を聞いてくる。 自分には全く他の症状の自覚がない。喉の渇きを訴えるが、何ももらえなかった。

 これは後で分かったことだが、着けていた右足のニーシンプロテクターの「ニー」の部分と右腕プロテクターの「エルボー」の部分に擦り切れたキズがあった。つまり、プロテクターを着けていたおかげで、もう二箇所の擦過傷・打撲を負わずに済んだのである。もちろん、グローブを着けている両手にも擦過傷はない。

 短パン・Tシャツ・素手だけでバイクに乗っている貴兄よ。いつかは私より痛い目に遭いますぞ。

 ただし、右足のプロテクターは足の前面部分しかサポートしない。今回は足の両サイドから力が加わったようで、そこまで保護できなかった。残念。

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 ↑ニーシンプロテクター。膝の皿の部分が擦れている。

 救急車はサイレンを鳴らして走っているので、道路や赤信号では他の車に遠慮してもらっている訳だ。すまないねー。

 走っている間、隊員から「A病院にしますか、B病院にしますか」と聞かされる。私の土肥中にはC病院以上はない。そこで自宅から近いB病院を頼む。隊員は携帯で連絡をとっていた。昔なら無線を経由して署から電話したのでしょうな。

 病院の救急室では、ストレッチャーから診察台に看護師の補佐なしに私一人で1本の足と2本の腕でヒョイと横移動した。簡単なもんである。トラック事故の運転手さんは両足骨折ということが多い。それを思えばほんとうに有り難い。ポジティブに考えねば。

 レントゲンを撮ると直ぐモニターで見せてくれた。現在はフィルムなど使わないので、撮影してすぐパソコンで見られる。便利なものだ。ありがたい。

 「あー折れとるねー。2本の骨両方とも・・・」とベン・ケーシーは簡単にのたまう。私には見難かったが、たしかにクラックが認められた。と、そのとき、折れてる箇所で自然に「プチッ」という小さな音がして、一箇所になにか指パッチをくらったような感覚があった。

 「アレ?誰か私の足を検査で叩きましたか」と訊くが否やと言われた。なにか骨のほうでささやかな抵抗をしていたのかもしれない。

 ベン・ケーシーは、即入院を宣言し、自然治癒では不安なので、手術して金具を埋め込み補佐したほうがよいと勧める。明後日の手術を決心した。その後CTスキャンを行い、この立体画像や輪切り画像も見せてもらう。

 入院と決まったので、右足にはL型のパットを当てグルグルの包帯巻きにされ、病棟にストレッチャーで連れて行かれた。

 2時間ほど前はゴキゲンで走っていたのに、今は病室の人となって天井を眺めている。運命とは分からないものだ。何週間か何ヶ月か知らんが、ここに泊まらなければならないのか。

 嗚呼ナサケナヤ。そして感謝・感謝。

           To be continued.

 

 

 

 

 

 

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KLX125、胴体着陸

原付2種ツーリングメモ

 これは、この物語の主人公の右足である。

骨折した2箇所を補強するチタン製の金具と、

手術で縫合したホチキス状の金具が多数見られる。

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 2011年、9月14日午後2時30分。

 当日は晴れ、気温は25度前後だったか。

 ツーリング日和だった。

 思えば、8月は昨年ほどではないが暑い日が続くか、あるいはいつ雨が降り出すかわからないような天候が続いて、オートバイにはあまり乗る気が起こらなかった。

 その腹いせで、ようやくバイク乗り装束でも暑くない天候となった9月中旬の当日、KLX125を久しぶりに引っ張り出して、ルンルン気分で散歩に出かけたのである。

 例によって、あまり車が通っていない市内の裏道・農道をノンビリ走って20分ほど経ったとき、10メートルほど先の左の小道から軽トラが本道に向って接近するのが確認できた。こちらの時速は20キロも出ていない。

 見通しの良い、畑と農家に囲まれた、のどかな小さな交差点であった。優先道路を走っている自分は、当然、軽トラがこちらに気が付いて本道の手前で停止してくれるものと思い、そのまま減速せず、若干キープレフトで進んだ。結局、この推測は甘かった。

 軽トラは、停止せず、そのまま本道に飛び出してきた。

 「アラ、!!!???・・・」、ブレーキをかけても間に合わない、軽トラの横っ面にモロ激突する・・・と、とっさに判断した自分は、あえて右側へ車体を傾け、胴体着陸を強行した。アスファルトの路面に向って。

 ヘルメットのバイザーから見た景色は、ほんとうに飛行機が失速して地面が傾いていく様そのものだった。地面はコクピットの水平儀の傾きと同じ動きだった。

 「GATCHAAAAAANN・・・・!!!!!」、「やっちまったー・・・・」。

 道路に寝そべって瞬時に考えたことはKLXは大丈夫か・・・である。軽トラには幸いぶつからず、道路の中央に停止している。 まず、ハンドルは傾いているだろう。ブレーキレバーも折れているかもしれない。ステップも曲がってしまっただろう。修理費にいくら掛かるかな。そんなことを1秒足らずの間に思考していた。

 そして体を起こそうと、ヤレヤレ事故処理が面倒だ。今日のツーリングはこれで台無しだなと思いを馳せていた瞬間、右足ヒザ下10センチから踝にかけての激痛で、思考は完全に停止した。 右足に全く体重をかけられない。変だ。捻挫なら少しはビッコを引いて歩けるはずだ。まったく歩行など話にならない状態。

 それで、軽トラのおじいさんに肩を貸してもらい、道端の草むらに腰を下ろした。自分は骨折していると判断した。

  110と119は自分が電話した。 クラウンのパトカーと白バイがやってきた。

 そして20分後、午後3時30分ごろだったろうか。自分はAMBULANCEの人となっていた。

 人生初めて救急車に乗った。

 To be continued.  以後、「日記・コラム・つぶやき欄」で。

  

 

 

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