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ゼロ戦の20ミリ機関砲について

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著者:坂井 三郎
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太平洋戦争初期では、圧倒的強さを誇った日本海軍の零式艦上戦闘機に関する、巷で発売されている解説書のページをめくってみると、搭載された20ミリ機関砲の活躍が記載されている。

曰く、1,2発、敵機に当たるだけで、翼がもげて、空中分解する。緒戦におけるゼロ戦の勝利は、太平洋戦争当時、唯一この戦闘機に搭載された、画期的な20ミリ機関砲のおかげであり、空中戦では絶大な威力を発揮した。

しかし、これは事実だったのだろうか。

20ミリ機関砲の弾はどういうものかというと、直径は2センチ、長さは、後期の99式2号では発射薬の部分も含めると17センチ、飛んでいく砲弾は8センチ近くあり、昔の小説家が使うようなブットイ万年筆みたいな形である。弾の中には炸薬が入っていて、これは小さな大砲の弾と言ってよい。 つまり、当たると爆発する弾なのである。(弾の種類には焼夷弾や徹甲弾などもある)

その破壊力を知るエピソードとして、地上で整備中に誤射してしまい、コンクリートの壁に直径20センチの穴が開いたというのがある。 これはもう、飛行機の軽いジュラルミンで造られた機体では致命的な大穴が開くか、翼なら分解してしまうものだろう。

ところが、この重量が123グラムもある砲弾は、発射速度が遅かった。毎秒8発という間隔である。発射リズムは

 ♪  ♪  ♪  ♪  ♪  ♪  ♪  ♪  、毎秒

という感じであろうか。 映画「太平洋の嵐」などの東宝映画特撮シーンでの機関砲発射音は「カン・カン・カン・・・・」という効果音であるが、 これは少し遅すぎる。しかし、実際にこの速度では、両翼2丁あるとしても、一瞬で捕らえた敵機には、なかなか当たりそうにない。

それに、弾数が両翼銃合わせ、初期型では約100発、後期型でも250発しかなかった。 もたもたしていると、あっと言う間に撃ちつくしてしまう。

さらに、弾の重量が多いため、旋回時ではGの影響で弾道が曲線を描き、命中精度が落ちたという。

ところが、胴体に装備されている、7.7ミリ機銃の弾(鉛筆に取り付けるキャップくらいの大きさ)は2丁合わせて1400発もあった。そして一丁で、毎秒15発の発射速度である。

   ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪ 、 毎秒

という間隔になる。

この7.7ミリは、威力は、なるほど20ミリ砲弾よりはるか小さいが、弾道性能が良く、命中率がよかった。因みに、陸軍の「隼」戦闘機の初期型はこの7.7ミリ機銃2丁のみで、大活躍したのである。

ここで、エース、坂井三郎氏の著、「続・大空のサムライ」から、抜粋してみよう。

氏はこう記述している。

----------------------------------------

「零戦が世界に先駆けて採用した20ミリ機関砲については、・・・・ 私ははじめから、終わりまで大きな疑問を持ち続けていた。・・・・ 命中すれば、素晴らしい効果をあげたが、機銃弾はあっという間になくなってしまうのである。弾丸の無くなった機銃は、単なる重量物であって、・・・・ さぴしさと不安を覚える。」

「20ミリの命中率は7.7ミリに比べると格段に落ちたのである。・・・ 弾道が放物線を描いて墜落してしまう。私たちはこれを小便弾といったが、なかなか命中してくれない」

「私が撃墜した戦闘機の70パーセントは7.7ミリの集中射撃によるものである。・・・ どんな敵機でも7.7ミリの弾丸で蜂の巣のようにすれば必ず落ちる」

「航空隊の意見の中に、・・・・初速の遅い20ミリ機銃は「百害あって一利なし」という思い切った要望が出されていた・・・ その後の実戦の戦果により、この意見が間違っているように考えている人が多いようである。これは零戦のあげた撃墜戦果の大半が、20ミリによるものであると考えた上での判断であろうと思われるが、事実はそうではない。」

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と、結んでいる。 それに、別の著書では、20ミリの弾倉に敵の弾が当たると、弾倉が誘爆し、翼が吹き飛ぶ恐れがあるので、当たろうが外れようが、早めに20ミリ弾を全弾撃ちつくして、7.7ミリ機銃で闘ったと述べている。また、7.7ミリ機銃は、まるで名刀・正宗のようにするどいものであり、絶大な信頼をしていた。とも述べてあった。

さらに氏は、アメリカ軍戦闘機の6連装13ミリ弾(ブローニングライフル)がうらやましかった。とも述べている。

繰り返すが、ほとんどのゼロ戦の解説書は、この20ミリ機関砲の活躍を記述してあるが、私はどちらかというと坂井氏の言葉を信じる。 

私が思うに、20ミリ機関砲は、格闘戦には不向きで、インターセプターとしての用法に向いていたのではないだろうか。つまり、敵機の後ろから、知られないようにゆっくり接近し、一撃を与えるという戦法である。あるいは地上攻撃用にである。

もし、ゼロ戦が20ミリ機関砲の代わりに、恐らく翼内に400発は搭載できるであろう7.7ミリ機銃、あるいは250発入りの弾道性の良く、7.7ミリより破壊力のある13ミリ機銃を両翼に搭載し、胴体の7.7ミリ機銃2丁と組み合わせて格闘戦を展開していたら、坂井氏の撃墜数は、もっと増えたかもしれない。

なお、ゼロ戦後期の52型ではこの13ミリ機銃を、20ミリ機関砲とともに搭載しているが、機体の重量が増し、格闘性能が落ちてしまっている。この頃になると、もうアメリカ軍のP-51ムスタングや、F6Fの対ゼロ戦法などには、太刀打ちできなくなっていた。

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巴里よ! これが翼端灯だ」カテゴリの記事

コメント

スタンリーさんがお読みになったのは講談社から発行されているものですか?私のは光人社刊の「大空のサムライ」と「大空のサムライ・戦話篇」です。
20ミリ機銃の命中率は低かったみたいですね。酒井氏曰く「空中射撃では、1ミリ外れても、極端な表現をすれば、弾丸がどこへ飛んで行ったか、どう外れたのか、まったくわからない」とも書いてますね。
アメリカの戦闘機は三~四百メートルの遠距離からでも、砂をつかんで投げつけるように直線弾道で射弾を送ってきたともあります。破壊力よりも命中率の高い機銃の方が有利ですよね。

投稿: マーちゃん | 2009年4月29日 (水) 11時09分

マーちゃん。こんばんは。こちらは朝の気温が氷点下です。いつまで寒いんじゃ。笑
私の「大空のサムライ」も光人社です。10年も前のものです。この出版社の本は戦争メカ好きにはうれしいですね。
20ミリ砲弾は重いので、仰るとおりの命中率だったのでしょう。それに弾数が少ないので心細いですよね。今の戦闘機はバルカン砲として20ミリを使っていますが、700発くらい積んでいます。でも1秒間に50発撃つので、これもすぐ無くなります。もっとも長くて2秒しか発射しませんが。
アメリカ軍の飛行機に装備された12.7ミリ.ブローニングは今でも使われているライフルです。優秀な兵器だったのですね。
坂井さんの戦記には血湧き肉おどります。
パラシュートで脱出したアメノカ兵を撃たなかったという話もいいですね。

投稿: スタンリー | 2009年4月29日 (水) 20時24分

初めまして。コメントの内容が20ミリ機関砲の批判に成っている様なので、一寸だけ反論を。
 坂井氏の20ミリ批判は、世間の持ち上げ過ぎへのアンチテーゼのように思えます。実際、30%の撃墜機に対しては20ミリを使って落としているのでしょうし、B17やB25の様な大型の爆撃機には7.7ミリ機銃では対抗出来なかったでしょう。
 また、坂井氏はガダルカナル争奪戦の初日に重傷を負って戦争末期までの間リタイヤしていますので、どんな敵機でも落とせたと言うのは旧式の敵機を相手にしていた昭和17年前半までの話と考えるべきです。
 当時のラバウル航空隊には日本のトップエースが揃っていましたから強気な発言も頷けますが、消耗戦により新米パイロットが増え、敵機が重防御の新型機に代わると7.7ミリ機銃は役に立たなく成ってしまいました。
 そうなってから20ミリ機関砲を開発しても戦争に間に合わなかったでしょうから、あの時点での20ミリの採用は間違っていなかったと思います。さらに、20ミリ機関砲も逐次改良型が現れて性能が向上しています。
 因みに、20ミリが当たらなかったという理由は、零式艦戦の大きな翼が軽く造られ過ぎた為強度不足で機銃を撃つと大きくブレる為です。恐らくどんな機銃を積んでも当たらなかったでしょう。紫電という戦闘機に乗り換えたパイロットが、この機の20ミリがよく当たるのに驚いたと言うエピソードがあります。
 一寸と言いつつ長くなってしまいました。失礼します。

投稿: He113 | 2011年1月 2日 (日) 22時48分

He113さん。コメントありがとうございます。
かなり前の記事に長文のご意見をいただき恐縮です。
実は私自身も、坂井氏のゼロの20ミリ論には、若干、一方的な考えだなと感じていました。
ただ、ゼロを扱った諸説の本を読んでも、坂井氏ほどの具体的な7.7ミリと20ミリの説明を記したものが無く(たぶんあったのでしょうが、私が見つけられなかったかもしれません)、「20ミリの圧倒的な破壊力で撃墜したウンヌン」という抽象的な記載だけのものが多く、それに多少反発(なぜもっと20ミリでの撃墜時の具体例を示さないのか)を感じてブログに記しました。
今回、He113さんから大戦後期での情報をいただき、大いに勉強になりました。ありがとうございます。
尚、私の好みとしては大型砲少数装より小型銃多連装・多数弾に傾向しているということもありまして、これもブログ記事に反映されているかもしれません。(発射リズムのことなど)
GEの7.7ミリ・ミニガンなどが好きなのですね。笑
いずれにせよ、実戦経験もなく、詳しく取材もしていない私が、生意気な20ミリ論を記して汗顔の至りですが、ブログの記録として内容は訂正せず、このまま残しておく所存です。

投稿: アラン・墨 | 2011年1月 3日 (月) 11時02分

通りすがりの者です。
最後のコメントから随分経ってますので既にご存知かもしれませんが、日本海軍の20㎜機関砲(海軍では機銃と呼ぶ)は途中で砲身長及び弾薬が変わっています。当初は砲身の短い99式1号銃(エリコンFF)で、砲弾の薬莢サイズが72㎜、初速は600m/s程度と遅く、特に旋回時の見越し射撃はとても困難だったと創造できます。(因みに7.7㎜機銃の初速は約750m/sです。)
戦争半ばに採用された99式2号銃(エリコンFFL)では、薬莢サイズが101㎜となり発射薬が増え、それに伴い砲身も長くなった事で初速は約750m/sとなり、当然弾道はかなり改善されました。
52型他後期の零戦、紫電(紫電改)、雷電等では2号銃が使われましたので(雷電等では数不足で暫く1号銃と混載されてました)、戦争初期と末期では事情がかなり変わった筈です。
零戦や雷電でいえば主翼の前縁から砲身が出ているのが2号銃です。
1号銃では途中からドラムマガジンの装弾数が増え、更に2号銃では途中からベルト給弾になったり、終戦には間に合わなかったものの発射速度を増やした物もありました。
今更の書き込み、どなたもご覧にならないかも知れませんが、一応補足させて戴きました。

投稿: Mad Snail | 2013年5月24日 (金) 16時55分

Mad Snail さん。コメントありがとうございます。
1号銃と2号銃の違いについては学研社が1996年に初版発行した「歴史群像」シリーズVol.12「零式艦上戦闘機」の中の弾丸実物大イラストおよび数値資料にてご指摘の性能評価が記載されています。私はこの本を参考にしました。
坂井氏のいわゆる「小便弾」うんぬんは、1号銃についての氏の個人的評価だと私も思います。
今回、資料を読み直したところ、弾丸の低下量は7.7ミリ弾より2号20ミリ弾の方が300メートル以上では少ないことが分かりました。Mad Snail さんのおかげで再勉強できました。
発射される弾丸の重量について、200グラムと私は記載していましたが、本を見直したところ、これは間違いで、123グラムでしたので今回訂正いたしました。

投稿: アラン・墨 | 2013年5月26日 (日) 10時11分

零式艦戦の20mm九九式機銃は日本最初ではありません、試作機ですが陸軍が中島に試作させたキ12がモーターキャノンで装備しています、また記憶だけで根拠が示せませんが当時のソ連がポリカルポフI16の後期型で装備していたはずで、これが最初の20mm機銃搭載戦闘機だったと記憶しています。

投稿: A6N | 2014年10月27日 (月) 07時35分

A6Nさん。コメントありがとうございます。
ご指摘の件、坂井氏が記述されたものに対してと思われますが、情報ありがとうございます。

投稿: | 2014年10月27日 (月) 09時54分

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