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2008年11月

マディソン郡の橋

マディソン郡の橋 特別版 DVD マディソン郡の橋 特別版

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洋画メモ、NO,50、NHKBS

1995年、WB、テクニカラー、135分、

原題- The Bridge of Madison Couty.

監督- クリント・イーストウッド、撮影- ジャック・N・グリーン、

音楽- レニー・ニーハウス

出演- クリント・イーストウッド、メリル・ストリープ、アニー・コリー、ヴィクター・スレザック

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浮気の映画というと、たいてい大都会が舞台である。人の目から逃れるには人の中に逃げ込めという訳で、物語も人込みや都会の小道具を使えて進めやすいが、これが田舎での話しとなると難しくなる。

この映画には原作の小説があるが、ベストセラーになったそうでイーストウッドもいい話を買ったものだ。 田舎での浮気の話などめったにないと思う。

私の土肥中でもそうだが、ウワサというものはこういうところでは三日で市中に伝わってしまう。 この映画でもその不安が表現してあった、世界中どこへ行っても変わらない訳だ。

昔の母の浮気の話を子供たちが知り、既に家庭の危機を抱え始めた彼らがその母の出会いの運命とその後の人生に共鳴し、再出発へのインパクトを得るという脚本もいい。

アカデミー賞ノミネートのメリル・ストリープがいい芝居をしていて、セリフ運び、表情や目の動きが素晴らしい。イーストウツドが大根に見えてしまう。(失礼)

イーストウッドもデリーケートな人物を好演している。死ぬ間際に、過去にあった4日間だけの浮気相手に素晴らしい贈り物をしていてカッコイイ。

いい原作を手に入れ、少ない予算と製作期間でいい映画を造って、しかもヒットさせるというイーストウッドの手腕に感服する。

ところで屋根付橋というものの存在理由がわからない。デザイン上のものだろうか。 

ちょっと昔、「トマソン」と名づけた、無意味な物を発見して喜ぶ路上観察が流行り、私もカメラ片手にトマソン探しを楽しんだものだが、そのトマソンの種類に「純粋トンネル」と呼ぶ、意味をなさないトンネルというものがあった。 この橋はこれと同じではないだろうか。

  追記:「純粋トンネル」の写真が掲載されたブログ

http://www.nekopla.com/nnk/nlog/archives/200403/on_the_road0322.html

一つ気が付いたことで、イーストウッドの持っている一眼レフカメラにモータードライブのアダプターが付いている。あのカメラは恐らくニコンF2だと思うのだが、物語の1965年当時、あのカメラのオプションにあのようなコンパクトなモータードライブメカが存在していたのだろうか。

追記: ニコンF(モータードライブF36付)だった。

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地下鉄のザジ

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洋画メモ、NO,49、NHK,BS

1960年、フランス、ビスタサイズ、カラー、

原題- Zozie dans Le Metro.

監督- ルイ・マル、 撮影- アンリ・レイシ、音楽- フィオレンツォ・カルピ

出演- カトリーヌ・ドモンジョ、フィリップ・ノワレ

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若い頃から気になっていた題名の映画で有名な映画でもあるが、私は、ザジという名前のフランスのチンピラが地下鉄で暴れる話しだと勝手に勘違いしていた。 ところが、かわいい、ませた女の子が主人公の映画だった。

マル監督の映画は「世にも怪奇な物語」の第2エピソードと「ルシアンの青春」とこれで三作目を観るが、三つとも全く違う作風の映画である。

特にこの映画は芸大の学生かファッション・デザイナーが作ったような実験的に見える映像で、制作・公開には勇気がいっただろう。

この映画は私にはサッパリ面白くなかった。この点は他の評価する人と意見が真っ二つに分かれるところだろう。 でもヌーベル・バーグという言葉には振り回されないほうがよい。

コマ落としの早廻し映像や、カメラのフィルムを停止してまた廻すという、お笑い番組やドタバタ映画で使われる陳腐な手法が使ってあるが、私はこういうことは好きではない。ところどころ私も早回しでフィルムを送ってしまった。

しかし、半分夢を見ているようなシュールな感じは楽しめた。

サルバドール・ダリの自作自演のフィルム芸術を観たことがあるが、彼が監督しても、こんな映画になったかもしれない。

また、フェリーニだったら陳腐なテクニックを使わずとも、彼独特の不思議な映像にしたかもしれない。

フィリップ・ノワレがスタントなしでエッフェル塔の鉄骨にしがみついている。よくやるもんだ。高いところが苦手な私にはちょっとまいった。

ザジが口にする「ケツ喰らえ」という字幕の言葉は原語と合っているのだろうか。米語の「kiss my ass」と同じだろうか。

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パイロテクニック

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↑ (サンダース軍曹のトミーガン)

日本の映画のパイロテクニシャンのお宅で火災が発生し、ご本人は大怪我、そして家族の方も命を落とされたことには誠にお悔やみ申し上げます。

この被害に遭われたパイロテクニシャン氏のことを言っているのではないが、私の過去の経験では、日本国内で撮影された映画の中でのパイロテクニックでは、欧米、香港・韓国映画より優れている、迫力があると感じたことは一度も無い。

例えば銃にしても、使用している撮影用ガンは本モノではない。つまり、俳優さんが手に持ってもズシッとした重さを映像から感じられない。発砲シーンでは発射の反動を感じられない。銃口から発射されるガスの衝撃波は感じられない。それら物理的迫力を一切感じたことはない。

ヤクザ映画では、チンピラがヘッピリ越しで拳銃を構え、引き金を引くと大げさに発砲の反動アクションを芝居で表現して、逆に失笑したものである。

また、黒澤の「影武者」でも、映像的には魅力のある火縄銃の一斉射撃の望遠ショットでも、銃口の火炎ガスが威力が無く、大変残念なシーンとなった。

結局、それらの三つの物理的要素のうち、ズシッとした重さと発射の反動だけは俳優さんの演技に任せられてしまうのだが、どうあがいても、絶対に本モノに見えない。ウソくさいのだ。 

つまり日本国内の撮影においては、法律の制限により、いかなる優れたパイロテクニシャンがどのように工夫しても、本モノのガンで空砲を使ったものには及ばないということだ。

と、偉そうなことを書いてしまったが、撮影用のガン、ステージガンと言うのだろうか、本場のアメリカではどういう仕掛けになっているのだろうか。

かって、北野タケシがアメリカで映画の撮影をした現場映像を観たことがあるが、拳銃発砲の撮影では、厳重に施錠された武器保管庫から本モノを取り出し、空砲をつめ、パイロテクニシャン(ガンテクニシャン?)が撮影寸前に空砲であることを再確認した後、テークが行われた。つまりやっぱり本モノの銃が使われている。 タケシはテーク終了後、その反動と迫力にビビッていた。

しかし、ある戦争映画の撮影風景では、恐らく7.7ミリ機銃は何かガスの火炎を使ったようなフェイクのガンが使われていた。それでも音と反動はかなりのものだった。 つまり本場アメリカ映画でもニセモノのガンはあるのだ。それでも日本の映画のものよりは迫力があった。

ところで、テレビ「コンバット」を観ていて、前から気が付いていたのだが、良く見ると、使われているガンの銃口の中にさらに細いノズルと小さな穴がある。絶対に戦場で使われている銃と同じではない。

つまり、あれが撮影用のステージガンなのではないだろうか。

私の推測するのに、本モノの銃に空砲を使うと、銃口から放射される火炎がフィルムに良く映らないのかもしれない。また発射される弾丸が無いので、反動が少なくアクションが地味になるのかもしれない。

追記: 空砲だと反動が少なく、弾の自動装填が作動しないという理由による。

そのため、この「コンバット」撮影用ガンは、ガス噴射のノズルを銃口より小さくさせることにより、空砲のガスを勢い良く噴射させ、発光させ、さらに反動を大きくさせるという工夫がしてあるのではないだろうか。

もしそうだとしたら、改めてアチラの撮影テクニックの表現とパイロテクニックの技法に感嘆してしまう。

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「生きる」のナゾのシーン

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黒澤監督の「生きる」については私などがトヤカク言えるものではない。あまりにも偉大な映画で、世界の映画作家にも多大な影響を与えた映画だ。

私はこの映画を少なくとも5回以上観ているはずだ。一つ一つのシーンやカットが目に浮かぶ。夕焼け空を見るといつもこの映画を想い浮かべる。

さて、この映画で永年気になっていたことがあるのでメモしておきたい。

それは渡辺さんが死んで御通夜を行うシーンである。そう、あの有名な、いきなり主人公を死なせ、フラッシュバックで本人の過去を語るという、世界の映画監督や映画ファンにあっといわせたシーンである。

このシーンは現在のDVDではオリジナルのまま編集されているであろうが、海外版では長すぎるという理由で一部カットされていたようだ。 実は私も助役の中村伸郎さんのところなど間の取りかたが少し冗長だと感じている。

まあ、これには個人によって感じ取る違いというものがあるだろう。それに、ひょっとして、黒澤監督も実際の通夜の、静かにゆっくり流れていく時間を表現したかったのかもしれない。

さて、その気になっていることであるが、

● どうして御通夜に職場の同僚が16人近くも列席しているのか。

である。 御通夜というのは地方によって習慣の違いもあろうが、私の地方では御通夜は簡単なお経を唱えてもらって、その後近親者で乾き物を肴に茶碗酒など酌み交わしながら一晩過ごすだけのものだ。

だから、職場の同僚に対して、料理のし出しまで準備して付き合ってもらうことなどありえない。

一歩譲っても、渡辺さんのあの席では、よほど親しかった友人(市民課の6人)くらいが列席しているのが普通ではないだろうか。

● どうしてあの席に渡辺さんの亡き妻側の親戚と、息子の妻側の親戚がいないのか。

これは私が指摘するまでもなく、完全に変である。この映画では会場が自宅であり、本来なら親戚筋であの場はいっぱいのはずだ。そうすれば、そもそも同僚など列席する余地もないのではないか。

● 助役にインタビューに来た新聞記者三人はどうして渡辺さんの死因を知らなかったのだろうか。 彼らは、渡辺さんの死因は、市役所にたいする無言の抗議による覚悟の凍死だと想像していたようだが、助役から渡辺さんが胃がんで死んだと知らさせて驚く。  新聞記者ならあらかじめ死因など取材で知っているのが常識ではないだろうか。

● 小田切みき(役名を知らない)はどうして通夜に来なかったのか。

もと同僚ならば顔を出してもいいはずだと、最初この映画を観たときに思ったが、そうすると脚本が別の方向に行ってしまうので割愛したのだろう。しかし、それはそれで面白いアプローチが出来たと思う。

この映画の脚本は黒澤・小国・橋本氏によるが、在命なのは橋本氏だけである。 ちょっとお会いしてこれらの件を聞いてみたいものだ。

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