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2008年5月

ルービンシュタインの音楽

ショパン:ピアノ・ソナタ集&幻想曲 Music ショパン:ピアノ・ソナタ集&幻想曲

アーティスト:ルービンシュタイン(アルトゥール)
販売元:BMG JAPAN
発売日:2007/11/07
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二十何年も前に亡くなったピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタインの横顔写真を久しぶりに見たので、思い立ってこれまた久しぶりに彼のCDを聞いた。

彼の演奏で、私のお気に入りの一つはショパンのピアノソナタ3番で、戦後生まれの技巧派ピアニストの演奏と比較すれば、多少荒削りのところもあるが、やはり素晴らしい演奏だと思う。

特に第一楽章のシンプルな単音だけのテーマのフレーズの演奏は絶品で、天国にいるような幸福感を得ることができる。長いすにもたれかかって聞いていると、そのまま天に召されてもいいくらいだ。第三楽章となると、もう天国に来ているようだ。

先ごろ亡くなったチャールトン・ヘストン主演の映画「ソイレント・グリーン」の一シーンにエドワード・G・ロビンソンが、安楽死マシーンにかかるのに、ベートーベンの「田園」を聞きながら死んでいくところがあったが、私だったらこのCDをかけながら死んでいきたい。

彼の演奏ではショパンのワルツも素敵で、特に最晩年にイタリアで録音したものが、また天国的に素晴らしい。この演奏では原典版と、フォンタナ版との両方取り入れた解釈を行っていて、少し混乱するところもあるが、ユニークかつ端正な演奏で、ピアニストや練習生のお手本になるレコードだ。 

録音がメリハリが効いていて、ダンパーペダルの利かせ方がよく分かる。 ショパンのワルツの演奏では3拍目か、3拍目の少し手前で、ペダルを放さなければならないのだが、ルービンシュタインの演奏は楽譜に書かれたこの手法を忠実に守っていることが、この録音ではよく分かる。

若い頃、子供の頃に聞いた音楽、演奏というものは、本人にとっては人生の友となり、永遠のスタンダードとなることが多い。

私にとって、ルービンシュタインがラインスドルフと組んで1962年に録音した、チャイコフスキーピアノ協奏曲1番は、小学校6年の頃から、スタンダードになっている。

だから、その後、あまたの、違う演奏家のこの曲を聞いて来たが、その時もルービンシュタインより演奏が良くないな、この部分は遅いな、この部分は速過ぎるなと比較してしまうことになる。

ルービンシュタインは、ライバルの陰性で研ぎ澄まされたホロヴィッツと比較して、正反対の性格といってもよく、まったく陽性で、社交的で、ジョークの絶えない愉快な人物だった。抜群の記憶力の持ち主で、何十年前の何月何日の何時にこういうことがあったと、昨日のように思い出すことが出来る人である。

プライベートでは葉巻、酒、旨いメシ、女、旅行を愛したひとであり、天寿を全うして、天国に召されたピアニストでもある。

そういうキャラクターも音楽に幸福感を与える要素かもしれない。

ルービンシュタインの映画の仕事というと、シューマンの妻・クララを扱った映画で、クララを演ずるキャサリン・ヘップバーンのピアノの吹き替え演奏を彼が担当した。

一度観てみたいが、ソフトは手にはいるだろうか。その題名を知らない。

また彼の息子の一人は映画俳優で、私はテレビ番組の刑事役で出演しているのを見たことがある。その天然パーマは親譲りだった。 その題名は忘れた。

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「素晴らしき日曜日」のナゾ

素晴らしき日曜日<普及版> DVD 素晴らしき日曜日<普及版>

販売元:東宝
発売日:2007/12/07
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黒澤監督の「素晴らしき日曜日」は1947年、昭和22年6月封切の映画である。

35円という予算で、日曜日に恋人同士がデートする話であるが、前々から疑問に感じていたことがあるので、ちょっと調べて推理してみた。

その疑問とは、35円という価値と二人の移動距離である。

35円という価値がサッパリ見当がつかないので、当時の物価、収入で推測すると。

・労働者の平均月収・・・1950円、教員の初任給・・・2000円、

・山手線初乗り・・・50銭、米10キロ・・・150円

・駅弁・・・5円、 銭湯・・・2円から3円に値上げ

これを考慮すると35円というのは、現在の3500円くらいと単純に計算する。

中北千枝子(昌子)と沼崎勲(雄造)・・・・二人の役名は、映画の中では一瞬しか語られてなく、観客には分かりにくい。・・・・は、ある駅で落ち合うが、その駅名がよく分からない。ホームでのアナウンスを聞くと、ボンヤりと「オワトミナミ」と私には聞こえるが、こんな雰囲気に聞こえる駅名が東京にはあるだろうか。

これは多分、出発点をわざとアヤフヤにしたものと思う。駅のホームでの撮影は、いろいろ制限があり、撮影しにくいので、たまたまフイルムライブラリーにあるものを使ったのではないだろうか。そしてその駅がどこか分からなかった可能性がある。そこで駅名をボカシタのだ。

さて、二人はまず最初、振興住宅のモデルハウスに行く。10万円という価格の住宅は新宿1丁目に建つらしいのだが、このモデルハウスの場所は分からない。

10万円の家も、とうてい望み薄いと思い、次ぎに二人は6畳一間の間借りを見に行くが、ここで二人合わせた月収が明らかになる。

それは1200円だ。今だと12万円、ずいぶんと安い。

この間借り(日光が当たらず、窓を開けると隣の工場の便所が見え、発疹チフスが発生しそうな部屋)の賃貸料は月600円で、権利金2000円必要となる。

この費用すら二人には捻出できない。

次ぎのシーン。子供たちと野球をして、ファウルボールが中村是好演ずる饅頭屋に飛び込み、饅頭三つを弁償するハメとなるが、饅頭一個オマケしてもらい、ここで10円支出となる。

この饅頭がベラボーに高い。今なら一個500円というところか。当時は砂糖が統制されており、入手は困難だと思われ、代用のサッカリンなどが一般に使われていた。甘いものに飢えていた時代であるが、この饅頭はほんとうの砂糖を使っていたのでこの値段なのかもしれない。同年封切の小津作品「長屋紳士録」には、どら焼きを食べるシーンがあり、砂糖を使った本モノであると思わせるセリフを発している。

---- ここまではナゾの駅「オワトミナミ」での話し ----

さて、二人は西銀座(友人の名刺で場所が判明)のキャバレー「ドラム」に行く。当然電車に乗ったであろう。電車賃2円くらいは使ったと思う。

残り23円。

その後、空き地でオムスビとタクアンの昼食をとり、子供(フロージ・・・漢字変換できないので、既に死語になっているか)にもオムスビを一個与えるのだが、なんとこの子供は10円札を何枚か持っている。

----- ここまでは西銀座での話し -----

子供の存在に打ちひしがれた二人は気分改め、動物園へと向うがそこは上野だろうか。そうすると銀座から電車賃を2円ほど使う。そして入園料二人で2円。

残り19円。

----- ここまでは上野動物での話し -----

動物園の後、二人は東京公会堂での「未完成」(黒川今朝夫指揮、帝都交響楽団)演奏会に行く。ここは日比谷公会堂のことと仮定すると、そこまでの電車賃が2円。 入場料はB席10円。今なら1000円というところか。大変良心的な値段。もっともヨーロッパでは学生用にこれくらいの入場料のところがある。

ここで演奏会のポスターを見ると、日付が昭和22年2月16日となっていて、暦では確かに日曜日である。脚本にウソはない。

しかし、堺左千夫のダフ屋にキップを握られ、入場を断念。

ところが残り17円のままでは10円の入場料2枚は買えない。もう赤字になっている。

そこで、昌子の言った言葉を思い出す。「私、20円ちょっとあるわ」・・・そのちょっとを5円と仮定しプラスすると・・・

残り22円。

------ ここまでは日比谷の話 ----

どん底の気分となった二人は雄造の下宿に行く。ここがどこか分からない。仮に品川あたりとすると、ここまで、電車賃2円。そして近所のミルクホールで5円と思って注文したコーヒーが薄いミルクコーヒー10円になっていて、お菓子の5円と合わせ、二人で30円になっていた。

この値段は高すぎる。今なら3000円である。あのウエハースのようなお菓子が5円というのもひどい。ここでは有り金のすべて20円払う。残金は翌日の払いとして、ここで10円の赤字発生。

これで今日の残りゼロ。

------- ここまでは雄造の下宿、品川の話 ----

ここで予算がつきた。雄造の下宿には多少、ヘソクリがあるかもしれない。

その後、焼け跡で、空想喫茶店ごっこ、どこかの公園でブランコ遊びをするのだが、いつまのにか野外音楽堂に来ている。ここはやはり日比谷ということだとすると、品川から有楽町まで、電車賃2円

雄造は「未完成」を指揮し、駅で二人は解散。帰りの電車賃は二人で3円はいるだろう。雄造は昌子をホームで見送った後、別方向の電車で帰宅するのかもしれない。

つまりこの日のデートは合計15円の赤字ということになる。

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好きなCM・「スズキパレット」

スズキ・パレットのホームページ

http://www.suzuki.co.jp/dom4/senden/index.htm

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視聴者のテレビコマーシャルの好感度ナンバー1・2に、トミー・リー・ジョーンズのBOSSとソフトバンクのホワイト犬編が選ばれたそうですが、私の好きなコマーシャルはスズキ・バレットのチャップリン編です。

なぜ好きかというと、チャップリン演ずる人物(映画の中での彼の役名はなんだったか記憶にない)を観ると心理的に落ち着くからです。

彼は少なくともスクリーン上では、絶対悪い人ではない。

しかし、トミー・リー・ジョーンズの宇宙人は地球人を調査しに来ているのだが、ひょっとして侵略の準備をしているかもしれない。イイヤツという保障はないのです。

またソフトバンクのワンちゃんも、以前は星一徹の声、加藤精三氏が吹き替えていて、あの声で、犬なんぞにガンコ親父の声で怒鳴られているのは、あまりいい気分ではなかったですね。

だからやっぱりチャップリンのほうが安心なのです。

それにしても日本ほどチャップリンを愛している国はないのではないか。これはひとえに淀川長治さんの名解説の影響だと思います。 淀川さん本人が、およそ日本人に嫌われていないということもあり、結局、彼の話術によりチャップリンにも好感をもってしまうのです。淀川さんに洗脳されているのです。

しかし、彼は外国では結構嫌われているところもあるのではないでしょうか。また、あの押し売りのペーソスがイヤだという人は日本人にもいるかもしれません。プライベートでは女性関係など、ちょっとエキセントリックな人だったので。

とはいえ、あのスズギのコマーシャルは一番好きです。

でも、またチャップリンをコマーシャルに引っ張り出してきたと、逆に不快に感ずる方もいるでしょうね。

あのCMの音楽は、「そりすべり」や「トランペット吹きの休日」、「タイプライター」のルロイ・アンダーソンで、弦楽器をつかったライトでリズムカルな曲は明るいですね、しかもノイジーではありません。音量も控えめに感じます。

それに、このCMは、その高感度のベスト20にも入っておらず、ヘソ曲がりのアマノジャクである私は、ますます気に入っているのです。

反対に嫌いなコマーシャルというと、某結婚式場のCMで、「ただ・ただ大好き抱きしめたい」と歌を繰り返し、エレキをぞんざいにジャンジャンと弾いている女性のもので、画面の構図も不安定で、下手な歌を繰り返すことが耳障りでウルサク、大変私のカンに障ります。 

このコマーシャルだけは、いつもリモコンのミュートのボタンを押してしまいます。

・・・ただし、中部地方のみのCMかもしれません。

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少年忍者風のフジ丸

アニメ/東映動画アンソロジー 劇場編 アニメ/東映動画アンソロジー 劇場編
販売元:HMVジャパン
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日本式リミッテドアニメの草分けというと「鉄腕アトム」であり、1963年から始まった。

子供にはリミッテドされた動画はさほど気にならず、私もアトムは夢中になって観ていたものだ。

だが、時々アトムが飛んでいるシーンや歩いているシーンに、いつも全く同じ動きのシーンがあることには気が付いていた。

これは当時の虫プロで行われていたバンクシステムというもので、エピソードが毎回違っても、共通で使えるシーンのセル画をプールしておき、そのつど使いまわすという合理化対策の結果である。

また、「宇宙戦艦ヤマト」のように、風景バックのセル画の上に飛行機や宇宙船の絵のセル画を乗せ、上の一枚だけを移動させて、飛行シーンを撮影する方法や、停まったままの人物の顔をジーット何秒間も見せる方法も虫プロが始めたテクニック?だと思う。

こういうやり方に疑問を感じ、いやあれはアニメではないと憤慨して制作されたのが「鉄腕アトム」より少し後に放送された東映動画の「狼少年ケン」である。

このテレビアニメは明らかに虫プロ式リミッテドアニメより、劇場アニメに近い出来具合で、一本あたりのセル画の枚数も「鉄腕アトム」よりはるかに多いと推測する。

当時の東映動画のスタッフの人数は虫プロより多かったかもしれないが、 やはりたいへん無理をしたアニメだったと思う。

東映動画といえば、虫プロよりもずっと以前に発足され、ディズニーアニメに追いつけ追い越せという精神で劇場フルアニメーション「白蛇伝」などを制作した実績を持つ集団である。

そのスタッフには、高畑勲、大塚康生、宮崎駿などが活躍していたことは知られている通りだ。

私は当時、「狼少年ケン」や、その後に放送された「少年忍者風のフジ丸」も良く観ていたが、6歳の子にも、動きが細かい手の込んだアニメだなと分かった。これは私だけでなく、子供たち全員が感じていたことだろう。だから東映動画の当時のスタッフの努力は報われていると思う。 その精神と技術は現在のジブリ作品で花が開いている。

特に「フジ丸」は「アトム」よりもずっと動きが滑らかだった、顔の表情がよく変化した。飛んだり跳ねたりダイナミックだった。その映像が大人になった今でも、記憶に刷り込まれている。

今回、ユーチューブで、その「フジ丸」のオープニングを再見することができた。

やはり素晴らしいアクションで、記憶に間違いがなかったことが分かった。

決してフルアニメーションではないのだが、独自のテクニックで、ダイナミックかつ実に滑らかに見える。

それに自然界の物理や人間・動物の体の生理的な動きが良く研究されているのが分かる。

驚いたのはカラー映像であったことで、たぶんオープニングフィルムだけのものかもしれない。私の家のテレビは白黒だったので、本編もカラーかどうかは不明である。

-「少年忍者風のフジ丸」のオープニング-

http://jp.youtube.com/watch?v=xvybOuIjiHE&feature=related

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「宇宙戦艦ヤマト」は観なかった

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「日本沈没」のテレビドラマは日曜日午後8時に放送していたと思う。1975年ごろではなかったか。

記憶があいまいだが、その時間の前に「宇宙戦艦ヤマト」をやっていたと記憶する。

この当時は後の1980年前後のヤマトブームは未だ無く、案外地味なアニメだったと思う。

私は、宇宙もSFも大好きなので、気になる存在であったが、チラリと覗いてみて「あ これは問題だな、ひどいな」と感じ、それ以来このテレビアニメを全く無視した。

その問題とは、撮影がよくないということだ。

どこが良くないか。

例えば、ヤマトが左から右に宇宙空間を移動していくシーンがあるとする。するとバックの宇宙空間にヤマトと同じ速度で、セルにくっついた無数のホコリが、やっぱり左から右に移動しているのが目だって見えているのだ。

このホコリやセルの汚れ・傷がひどかった。「宇宙戦艦ヤマト」は。

このことだけで、私はこのアニメを観なくなった。当時、私は高校生であったが、もう一丁前にウルサイ人間となっていて、また元来、イヤラシイ性格なのである。

このセルにくっついたホコリやキズがチラチラ見えるというのは、他のアニメ、ディズニー映画でも見られることだが、特に日本のテレビアニメに多いように感じる。

そして、私の気づいたものではテレビアニメの「宇宙戦艦ヤマト」がもっともひどかった。

たった2枚のセルの動きで2秒から4秒のカットを稼ぐという、日本式リミッテドアニメの手法も、私にはまるで紙芝居を見せつけられているようで、ひどいな感じるものだったが、これは厳しい予算、人員とスケジュールの制作側を思いやると、致し方ないことで、一方的に責めることはできない。

しかし、撮影のとき、セル画を刷毛やエアで掃うという単純な工程も省かれるほど、せっぱつまった制作進行だったのだろうか。

あるいは、単純にオペーレーターの手抜きだったのだろうか。

たったそれだけのことで、一人の視聴者が消えたことを制作者は知っていただきたい。

西崎氏プロデュースによる映画の「宇宙戦艦ヤマト」・・・映画版は3本あるがどれか思い出せない・・・は公開時、東京で見た。 

当時私は20歳だったが、納谷悟郎さんの声の沖田が「大事なもの、それは愛だよ」というセリフのところで、バカバカしくなって映画館を出た。

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日本沈没

日本沈没 DVD 日本沈没

販売元:東宝
発売日:2003/09/25
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特撮メモ、NO,19、レンタルDVD

1973年、東宝、東宝スコープ、カラー、140分、画質良

制作- 田中友幸、田中収、 脚本- 橋本忍、監督- 森谷司郎、

撮影- 村井博・木村大作、音楽- 佐藤勝、特技監督- 中野昭慶

出演- 藤岡弘、小林桂樹、いしだあゆみ、滝田裕介,二谷英明

中丸忠雄、丹波哲郎、島田正吾、中村伸郎

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映画公開当時、小松左京氏が雑誌の対談で、「自分が20年かかって仕上げた小説を半年で映画にしちめーやがった」とボヤいていたことを思い出す。

実際、あの壮大な内容の小説を、2時間や3時間という尺で映画にするには無理があると思う。

ということは、テレビドラマがふさわしいと、私は思うが、後にテレビドラマ化されたものでは、肝心の、もっとも重要で小松氏の描きたかった話、つまり世界に散らばった日本人の運命については、全く触れられておらず、日本国内のストーリーで終始していた。 そのテレビドラマも、毎回、「うさぎおいし、かのやま・・」の歌を持ち出す、日本人亡国のセンチメンタルな話ばかりで、ウンザりしたものである。

・・・・・尚、担当者には気の毒だが、鎌倉の大仏がブヨブヨと揺れて地中に沈んでいくシーンや、金閣寺が箱庭みたいな池に沈んでいく特撮シーンには、当時、高校生だった私を大いに笑わせてくれたものだ。

さて、映画では、特技監督は円谷英二の助手をしていた中野氏が担当している。

到底ありえない状況の怪獣映画の特撮と違い、限られた予算で、ありえるかもしれない地震による崩壊・火災・津波を描写しなければならず、大変なプレッシャーだと推察するが、お手並みは、所詮、怪獣映画のレベルだと感じた。

丹波哲郎の熱演が見もの。この人も、もう故人か。

中村伸郎の英語の発音がひどくて、おもわず顔が赤くなった。

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潜水艇「わだつみ」の水中シーン。円谷から受けついた、スタジオにおける擬似水中撮影で「水中感」がない。水の重さを感じない。 「わだつみ」の潜行速度が速すぎて重量感がない。 こういう撮影は、L.B.アボットのように、なんとしても水中で撮影してもらいたいものだ。 ただし、海流にもまれるカットのみ水中撮影だった。

天城山の噴火はスタジオ然としている。山のスケールに対して、爆発の粉塵の速度が速すぎる。

地震で倒壊する東京下町のミニチュア造形は、かなり精密。

石油コンビナートの爆発・類焼は、派手でリアリズムに欠けるが、視覚的効果はよい。ハイスピート撮影も適切。 尚、中野氏は以後の映画の石油施設火災シーンでは、この場面のテクニックを繰り返し、または何度も使い回しをしている。

ミニチュアの自動車が暴走・火災を起こすシーンは、まったく怪獣映画のお粗末特撮と変わらない。

同様に見るのも笑ってしまうのは、自衛隊のミニチュアヘリの飛行シーン、墜落シーン。あんなオモチャを見せてどうするのだ。

ビル群の火災シーンも、まったくリアリズムに欠けていて、ゴジラが火を付けたような、あんな燃やし方では、建築工学方面から抗議がきてもおかしくない。

しかも、後の東宝ゴジラ映画でのビル群のように、ただ箱を並べて撮影した感じがいなめない。つまりビルの下の道路、交差点、ショーウンドーなどのを見えなくして撮影している。

下町の堤防が津波で破壊されるシーンはこの映画の特撮でもっとも優れたものだ。カメラアングル、ハイスピード撮影も適切。 「サンダーバード」でクラブ・ロガーが街のレンガ造りの壁を破壊する、迫力あるシーンを思いださせる。

マンション状ピル建築の倒壊も、上々の撮影だが、ハイスピードカメラの回転が遅い。

富士山の爆発も、あのスケールに対して爆発の速度があまりも速すぎて、山の巨大感がまったく感じられない。遠くにあるという空気感がない。スタジオに盛った土山に火薬を仕掛けた撮影と見えてしまう。

これはミニチュアの高圧鉄塔が二本立っている地割れのシーンでも同じで、映画スタジオで撮影を見学しているかのようで、これが特撮とはいいかねる。

漁村が津波に襲われる、波の合成をともなったミニチュア特撮は、過去の映画のシーンを使っている。どの映画かは記憶が定かでない。 同様に山津波のシーンも過去の映画のものかもしれない。

よくできた日本列島の俯瞰撮影も、もう少しハイスピードで撮影できなかったか、ケムリがポコポコ噴出しているところはお粗末だ。

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娘・妻・母

娘・妻・母 DVD 娘・妻・母

販売元:東宝ビデオ
発売日:2005/07/22
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邦画メモ、NO,29、NHKBS

1960年、東宝、東宝スコープ、カラー、122分、肌色がどぎつい

監督- 成瀬巳喜男、脚本- 井出俊郎・松山善三、撮影- 安本淳

音楽- 齋藤一郎、美術- 中古智、

出演- 三益愛子、杉村春子、原節子、高峰秀子、森雅之、宝田明、

団令子、草笛光子、小泉博、淡路恵子、加藤大介、仲代達也、

上原謙、太刀川寛、中北千枝子、笠置衆

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   東京・山の手に住む、とある中流の家族。一見何不自由ない生活ではあるが、ことお金の問題に関しては家族の皆がシビアに接してしまい、やがてはそれがもとで家族の絆に亀裂が生じてしまう……。母親に三益愛子、長男の妻に高峰秀子、出戻りの長女に原節子など、名匠・成瀬巳喜男監督が時の東宝オールスター・キャストを揃えて豪華絢爛に奏でたホームドラマの秀作で、その年の同社の興行トップになった大ヒット作でもある。内容そのものは「所詮、家族も他人」といったものだが、そこをお金絡みで繋げながら描いていくあたりが、自作にお金の問題を持ち込むことが多かった成瀬作品(監督本人も若い頃など、お金には相当苦労していたとのこと)ならではともいえるだろう。高峰秀子と原節子、新旧成瀬映画のヒロインが顔合わせというのもファンには嬉しいが、両者の共演そのものも15年ぶりであった。(増當竜也)

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豪華絢爛キャストでゲップが出る思いであった。

ただし、上原謙や笠置衆などは、ほんのチョイ役でモッタイナイ使い方。低予算でヒット作を造る巨匠・成瀬監督のワガママが通ったか、あるいは会社の作戦に引っ張り出されたのかもしれない。

「浮雲」で死に別れた森雅之と高峰秀子が、別の次元では平凡な夫婦となっていた。高峰は単なる嫁の地味な存在だが、マンガに描くとサクランボの実のようなかわいらしい彼女の目は健在。

出戻り娘に金銭トラブル(成瀬監督の好きな話、森雅之はまた金で悩む)、老いた母の問題、嫁・姑問題と、小津監督のテーマでも使えそうな話。

兄弟同士で母親の行き先を決めかねるという問題は「東京物語」にチョイト似て無くもないが、小津だったらどう撮るだろうか。この映画のような家族会議というドライなシーンは使わないかもしれない。

小津の音楽には対位法的使い方、つまり、寂しいシーンで明るい音楽を流すというテクニックを使うが、この映画でも三益が深夜、寝床で悩んでいるシーンでは、あのズンタッ・ズンタッというリズムの「サセレシア」を流すかもしれない。

その三益さんや杉村さんというベテラン女優の使い方だが、控えめに感じた。特に三益さんというウマイ役者さんが、演技を抑えられた感じでもの足りなかったが、逆にこれが成瀬演出の妙かもしれない。

この二人の大女優さんも、小津がメガホンを取っていたら、もっとコチコチの演技だったかもしれない。

原節子に仲代達也が年齢の差を越えて惚れてしまう。まあ、むりもないことで彼女は40歳近いのだが相変わらずキレイ。

原節子のキスシーンを初めて見た。その相手の仲代さんは役者冥利につきる出演。

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ちょいと小津映画「早春」

小津の魔法つかい―ことばの粋とユーモア Book 小津の魔法つかい―ことばの粋とユーモア

著者:中村 明
販売元:明治書院
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小津作品の中でも「早春」はそれほど評価されていないが、面白い作品で、ついつい何度も観てしまう。

何が面白いかというと、以前、竹中直人も指摘していたが、どこか「ヘン」なところが面白い。

竹中氏は国電蒲田のホームで電車が入ってくるシーンでは、電車を待っている大勢の人が一人残らず電車の方に顔を向けているのが「ヘン」だと言っていた。たしかにそうだ。

私が「ヘン」だと感じたのは他にもあり、例えば大の大人がピクニックにグループで行くことで、普通だったら行った先で酒盛りをするとか、焼肉パーティーを計画するところだが、子供じゃあるまいし、予算400円(今なら6000円くらいか)でただただ江ノ島まで遠足に行くことだ。 こんな無邪気な大人をわざわざ描写するのが「ヘン」だ。

またその中のメンバー、田中春男と須賀不二男がどう見ても年齢45.6歳であり、本来だったら部課長クラスのしっかりしたツラをしている人が、どうやら安アパート暮らしの独身のようなスタイルで平社員ヅラをしているのが「ヘン」である。

池部良の送別会を、その安アパートで開くのも何か「ヘン」であり、いくら安月給の仲間とて、居酒屋くらいでやるのが普通だ。

そして、その大の大人みんなで「蛍の光」の合唱。あの須賀さんも歌っている。この場面は「ヘン」を通り越して、ちょっと笑ってしまう。

ところで、小津作品での俳優のセリフ運びが独特なのは有名なことで、笠置衆さんなんかも、娘を嫁にやる役ばかり演っているが、その時はこんな調子の会話だ。

「しあわせになるんだよ」・・・・・「なるんだよ、しあわせに」、と主従逆転の文法で言葉を二度繰り返す。

この言葉の反復は、口下手でも娘の幸福を願う気持ちがよく表されていて、小説などの文学より実にうまい映像表現だと思う。

さて、小津映画の脚本は小津と野田高悟の共同執筆であるが、おそらく野田氏のアイデアによって採用された東京言葉(あるいは山の手言葉というのだろうか)が随所見られる。

そのひとつに「ちょいと」がある。この言葉は「ちょっと」より精神に余裕のある言葉であり、ヤボに感じない言い方である。セッカチな江戸っ子とは違う少しキドリがともなう言葉だと思う。

この「ちょいと」がこの「早春」にはたくさん使われているのだ。おそらく小津作品でも使用頻度はナンバーワンではないだろうか。

そこで、DVDでチェックして「ちょいと」が現れる回数を調べたら27回も登場していた。私もヒマなもんだ。

「ちょいと」だけでなく、高橋貞二のふてくされたときの言葉の語尾「~ンダ」もかなり頻繁に使われ、ちょいとウンザリしないでもない。

「早春」をあらためて観て気づいたことは浦辺粂子さんの芝居がうまいことで、おでん屋のカウンターに寄りかかって喋る演技は粋でオツなものだった。

もう一つ気がついたこと、ニッセイのオバチャン、中北千枝子さんの上半身の下着姿が見られるのはこの映画だけではないだろうか。

黒澤の「素晴らしき日曜日」で彼女は服を脱ごうとしたが、沼崎に止められて見られなかった。

私は映画の解釈はしない主義だが、この「早春」は人生のリセットを描いた作品だと思う。ただし、それは池部・淡島夫婦だけのものではない。

死んだ同僚の母親、淡島の友人の中北、池部の戦友、高橋貞二、キンギョ、笠置衆、ブルーマウンテンの山村聡、その客の東野英治郎・・・・みんな人生をリセットしようとしている人物か、あるいはそれがしたくても出来なかった人物である。

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黒澤映画の録音

黒澤明DVDコレクション::蜘蛛巣城 黒澤明DVDコレクション::蜘蛛巣城

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黒澤明が亡くなって10年ということで、あの当時の追悼番組の再放映や特集が盛んだが、そういう番組の対談では故人の悪口を言うのもはばかられ、黒澤のイエスマンたちばかりにより、過去の美談や映像の華麗さばかり語られる。

イエスマンと言われた方は不愉快かもしれないが、黒澤という人物を語るのに中庸を保っている方は土屋嘉男氏と堀川弘通氏のような気がする。

私も黒澤映画は大好きであり、なかには30回を越して観つづけ、愛蔵してきた作品もある。

しかし、ときには黒澤映画に疑問を感じることもあり、今回は技術的なことで指摘したい。 たまには彼の映画へのネガティブな話もいいだろう。

それは黒澤映画の録音が良くないことだ。

彼の映画をはじめて観たのは「七人の侍」であるが、高校生のときである。田舎の映画館なので、それほど音響設備は良くないが、私の耳は丁度もっとも年齢的に聴覚がベストのときだった。

まず、冒頭の野武士が村を襲うかを仲間と相談しているシーンからして良く聞き取れなかった。「なんにもあるめい」だけがかろうじて分かり、だから襲うのを止めると理解できた。だが、麦が実ってからやってくるという予測がつかず、野武士が後で再び村を襲撃する理由が漠然とあいまいであった。

村人が集まり相談しているシーンもサッパリで「神さま、オラたち死んじまえとよ」という本間文子さんの声が一番よく聞こえた。土屋嘉男さんの「あの米はどんなことして手に入れたか」という、野武士と村人の談合の事実を暗示する、とても大事なセリフも、後にリマスターされたソフトにより分かったことである。

話はズレるが、当時の東宝のダビングオーケストラの演奏もひどいなと感じた。特に吹奏楽器の演奏は中学のブラスバンド並みのレベルにしか私には聞こえなかった。

「七人の侍」ではまだまだ聞き取れないところがあった。村の長老の話、小川のそばでの談合する・しないの村人の諍い。等々。

黒澤映画でもっとも録音がひどいのは「蜘蛛巣城」ではないだろうか。

ひどいのは合戦のロケでの三船のセリフで、荒れる馬にまたがって、三船の例のドロドロと聞こえる発音で「ナムサン」という言葉以外、映画館ではサッパリ言っていることが分からなかった。 

これはリマスターされた現在のソフトでも依然として聞き取りにくい。ロケでの収録か、あるいはスタジオでのダビングか判断できないが、ダビングだったらもっとハッキリ聞こえていいはずだ。

もっとも三船敏郎の声質が興奮した場面の演技では、もともと聞き取りにくいというのもあるのだが。

東宝という会社の前身はPCL(Photo.Chemical.Laboratory)であり、トーキー映画を開発・研究する機関だったはずだが、東宝という名前に変えたとしても20年近くたった映画の音があれでは、ちょっとひどいのではないだろうか。

それとも、これは私の大きなカンチガイであり、公開当時のサウンドトラックは、はっきりとした音を出していたのだろうか。

しかし、「影武者」の公開時でも、セリフがよく聞き取れないという指摘あった。試写会では、外人プレス向けに英語のスーパーが入っていたそうだが、ストーリーの展開はそれを読んで分かったという声も聞かれたものだ。

ただし、黒澤映画でも特に音が良くないのは、スタンダードサイズのもので、東宝スコープとなった「悪いやつ・・・」からは、それほど悪くはない。

東宝の録音担当は、そのスタンダード時代は矢野口文雄氏だが、ご在命ならば、事情をお伺うかがいしたいものだ。

東宝スコープ作品でも、私にはどうしても聞き取れないセリフがある。それは「用心棒」の冒頭部分で、三船が井戸の水を乞うた農家のオヤジが、女房の本間さんに向って言うセリフで、

「造り酒屋が絹の仲買始めたの聞いたか」

のこの後のしゃべっていることが、今もってサッパリ分からない。

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CMまたぎ

5月6日の中日新聞に「正解はなぜCMの後なのか」という記事が載っていた。

抜粋すると、

「・・・・ クイズ、バラエティーなどのテレビ番組で、最ももりあがりってきたタイミングで流れるコマーシャル。 CM後に再び直前の映像が繰り返されて(「CMまたぎ」という・・スタンリー記)、うんざりという経験はないだろうか。

榊博文・慶応大学教授の調査では、八割以上が不快と感じ、スポンサーの商品は買いたくないと言う人も三割を超している。・・・・」

記事はなおも、視聴者にたいして逆効果となるこの手法は、欧米よりも日本で多いことを指摘している。

これだけ不快感を与えていることを、なぜ民放各局は続けているのだろうか。

CMだけでなく、民放の番組自体、ダメになってきている。

バラエティー番組は、吉本が乱造したカタカナ名のお笑い・無教養タレント、あるいはオカマ・大食いタレントをステージのひな壇に立体的に並べ、お互いに言葉の言い間違いや、ボケ回答でのけなし合いという、「アゲアシ取りトーク」により、次元の低い笑いで視聴率を上げようとしている。 結局、さっぱり面白くなく、笑っているのはその現場のタレントとスタッフだけなのだ。

まったく情けなくなってくる。

こういう番組制作の企画決済や、「CMまたぎ」承認のハンコを押しているのは、私と同年代の人間であろう。その人たちに言いたい。

君たちはどんどんテレビをダメにしている。今日、民放のテレビ局の繁栄を押し上げてきたのは君たちではない。君たちよりもっと上の既に退職した世代の人たちだ。彼らは戦後の修羅場を体験してきた。ハングリーだった。アメリカのテレビ番組を貪欲に学び採り入れ、そのアイデアを膨らまして面白くしてきた。

それを君たちはブチ壊そうとしている。それどころか低レベルの笑いや娯楽を若者に植え付けようとしている。地デジやハイビジョンなどでテレビのハードウェアはどんどん進化しているのに、君たちはソフトをどんどん退化させている。この責任はどうしてくれる。

それから、少しでも他局の番組をだしぬこうとする卑怯な手法。 番組開始時間を6時55分とか、7時57分とかに始めるフライイングはやめなさい。

これは交差点の先頭で、横の信号を凝視し、赤になったらいち早く飛び出す馬鹿ドライバーと変わらない。結局、君たちもバカなんだね。

私はこういう番組のスポンサーの商品は買わないことに決めた。

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明日への遺言

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邦画メモ、NO,28

あしたへのゆいごん

2007年制作、この地区では2008年4月26日公開

監督- 小泉堯史、脚本- 小泉堯史、ロジャー・パルバース

撮影- 上田正治、北澤弘之、 音楽- 加古隆

主演- 藤田まこと、ロバート・レッサー、フレッド・マックィーン、リチャード・ニール

西村雅彦、蒼井優、田中好子、富司純子、頭師佳孝

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マルチカメラや望遠のショットが黒澤的で面白かった。

観客は法廷現場にいるようで、緊張を強いられる。ただし傍聴席からのアングルは少なく、やっぱり神さまの視線で裁判の行方を見守っている。

弁護側に多くのシーンが割かれていたように感じた。そちら側に多くの被告が並んでいるのも原因の一つだが、これは裁判官から見て、心理的にどうしても右側が集中しやすいためではないだろうか。これは私の漠然とした感覚なのだが。

だから左側の検事のマックィーンの弁術を聞くのはちょっと疲れた。

証人として、「赤ひげ」のちょー坊、「どですかでん」の六ちゃん役だった頭師佳孝氏が出演していてなつかしかった。あの子役も今は頭髪が薄い。

田中好子の証言シーンは長廻しでセリフも多く緊迫感があった。マルチカム使用でつながりが自然。

そういう証言シーンでは私のような凡人だと、カットバックで過去を再現してしまうが、小泉監督はあえてそうせず、役者の語りだけで観客に訴えた。

田中好子の証言による機銃掃射の様子や、べつの証人による爆撃の地獄絵図は映像の説明がいらないほど十分に伝わっていると思う。

独房でのシーンも望遠で撮影し、黒澤の映画を見ているような懐かしさを感じた。

ほっとしたのは、男女の役者さんが、ほぼあの当時のヘアスタイルをしていることだ。 最近の戦争もの映画では、アイドルタレントを引っ張り出してくると、髪を切らず、当時ではとてもありえない格好で出てくることがある。 軍人役として出演するならば、少なくとも男性タレントはこの映画のように丸坊主にさせるべきだ。 あるいは、そんなタレントなど映画に使うべきでない。どうせ芝居もお粗末だし。

ひとつ気になったことは開廷中、赤ん坊が傍聴席に入って来て、藤田が裁判席に尻を向け、プライベートを話し出すことで、こんなことはありえないだろう。 判事の特別許可があったなら、そのシーンが必要だ。

もうひとつは、富司純子さんが、冷静にぐっと感情を押し殺す軍人の妻を好演していたが、斜め横からのアングルだけ、照明の具合か、口が笑っているように見えた。監督の見落としではないだろうか。

110分の放映時間が短く感じられ充実した時間であったが、なにか満腹感が足りない。 

法廷を離れた場所で、検事や判事の、岡田に対する想いというものが表現してあれば、もっとよかったように思う。 

例えば、検事のマックィーンが助命嘆願書にサインするシーンなどがあれば。

死刑囚を絞首刑台に見送る(ここでもカメラは神さまの目線になっている)のはイヤなものだが、最後の岡田のセリフ「ちょっと隣に行くようなものです」という言葉には救われた。 遅かれ早かれ、我々も見送ったお坊さんも扉にいたMPもいつかは死ね。

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